立ち上がる-Side:M-
立ち上がることのできないその首を目掛けて振り下ろした刃が空を切る。
硬く握っていたはずの剣がいつの間にか失われ、徒手を虚しく振っている。
それは最早幾度も見た光景であり、そこに驚きなどない。
ただ胸に湧くものは驚愕ではなく疑問。
――何なのだ、この男は
振り向きざまに剣を奪った男と視線が交差する。
疑問を持ったのはその力――ではない。
円卓の間で裁きを与えたはずが生き延びたのもその力によるものか、こちらの振るう武器を奪うそれは確かに奇妙なものだとは思う。
自分の中にある知識にはない力であり興味深いものではあったがしかし脅威と感じることはなかった。
疑問を持ったのはただ目の前の男は何者なのか、というだけの単純なこと。
――この男は
真っすぐにこちらを見る瞳には苛立ちの色がはっきりと見える。
何かに対して怒りを覚えているらしいメルク・ウインドと名乗ったこの男のことなど知りはしない。
何故ここにいるのか、なども最早どうでもいい。
本となった知己の男がどこからともなく連れてきたようだがその目的が『大権』であることは明白だった。
これまでもどこで嗅ぎつけたのか、それを求めてここに来るものがいなかったわけではない。
だがその悉くはそれを成すこともできずに光に裁かれていった。
故にその真意や目的は重要なことではなく、ただ裁かれるべきを裁くのみ。
それだけでいいのだが、
『その力で勇者になればよかっただろうが!』
先ほど吐き出すように叫んだ男の言葉だけが頭に刻み込まれたかのように残り消すことができない。
――勇者、だと
男の言葉を繰り返し思い出す度に頭が揺さぶられるかのように視界が揺れる。
そう、かつて勇者を目指していたものがいた。
そのものは旅の果てに巨大な力を得て――そして。
「ッ――!」
何かを考えようとしてそこでぐわん、と歪みかけた視界を無理やりに戻すように瞳に力を込め、眼前に意識を戻す。
「うぉおおおお!」
すると目の前には先ほど奪った剣を放り捨て、拳を固め叫ぶ男の姿があった。
*
「うぉおおおお!」
振り返ると同時に奪った剣を放り捨てる。
こうした攻防は既に幾度も繰り返してきたはずだが、何故か眼前で王――ラグナは困惑したかのようにその動きを止めていた。
それを冷静に隙、と判断したわけではなく、ただ身体は自然と拳を固め、声を上げていた。
「おおおおおお!」
そうしてそのまま拳をラグナのその顔目掛けて振る。
そうすることに何の意味があるのか、と問われたとして何と答えただろうか。
まるで意味のない、ただ自分の感情のままの行動と今度こそ言い逃れのできない行為だったのかもしれないがそんなことを考えている間に拳はラグナの顔を捉え、何の抵抗も感じることなくその身体を後方へと殴り飛ばしていた。
「がっ!」
どんっ、と受け身を取る素振りすらも見せず背中から床に叩きつけられ小さく息を漏らすラグナ。
『ラグナ……』
仰向けのままぼんやりと天井を見上げるだけのその姿に床に転げたままのミールが心配気な声をかけるがそれにも何か答えることはない。
「――メルク・ウインド」
「っ!」
ただ返ってきたものが俺の名を呼ぶ言葉であり、不意にそうされたことでまるで罰を咎められた子供のように全身にぎゅっ、と力が入ってしまう。
「メルク・ウインド。お前も勇者だったと、そう言ったな」
「……ああ」
顔面を殴られ、床に伏せたままではあるがその言葉から先ほどまでの威圧がなくなることはなく、向けられるその問いを無視することはできなかった。
「お前はその力を以って何を成すつもりだ。何のためにここに来た」
天を見上げたその目には何が映っているのか。
どこまでも高い天井か、そこに輝く『大権』か、或いはそのどれとも違う何かだったのだろうか。
「勇者になるか? 『大権』を奪うか?」
「……」
呟くような問いに僅かに言葉を失う。
俺のことなどきっとラグナは何も知りはしない。
ただパーティーから外され、思わぬところで力を手にしただけの男のことなど知るはずもなく、その問いには深い意味などなかったのかもしれない。
「わからない。勇者になれればいいんだろうけどどうもそうはいかないみたいだからな」
それでも――それに対する答えはきっと俺にとっては重要なことであり、沈黙ではなくはっきりと、今考えていることだけでも答えなくてはならないような気がした。
「ただ、俺の知り合いが困っていて、それをこの力で何とか出来るなら何とかしたい。それだけだ」
力を手に入れたことに何者かの意志を感じるわけでもない。
自分がすべきことなども今の俺にははっきりとはわからない。
それでもそんな自分でもできることがあるのなら、それぐらいはしたいだけというただその気持ちでここに来たことは決して嘘ではない。
「――」
問いに対する答えにはなっていないとはわかっていたがそれだけは伝えたかった俺の言葉にラグナは深く沈黙で返した。
「――そうか」
そうして長い沈黙の後、発せられたのは短い呟きのような言葉。
俺の言葉を肯定するわけでも否定するわけでもない反応を示しながらラグナはゆっくりと倒れていた身体を起こした。
「――ならば成したいと思うことを成してみせろ。それができなければ意味はない」
緩やかな動作で直立しこちらを見るその顔の右の頬は僅かに赤くなってはいるものの、その瞳は変わらず静かなものだった。
「自らが願うことすら成せないのなら、それは何よりも罪なのだ」
真っすぐに俺を正面に捉えながらその両の手に光の剣を握るラグナ。
――きっともうすぐ何かが終わる。
その姿にふとそんな予感を感じた次の瞬間、ラグナは地を蹴り俺へと一直線に切り込んできた。




