円卓の間にて-第2幕-
「15になった次の日、王子どこへともなく国から消えたという」
組んだ足のつま先をゆらゆらと揺らしながら愉快な秘め事を口にするようにヴァンデルハミッシュの顔には笑みがたたえられている。
一方でアルーナはとてもそのような顔にはなることはできない。
今語られている話が真実なのか、自分が本当に聞いていい話なのか、そういったことがうまく判断できずにただ言葉を失ってしまう。
「……王子は一体どこへ」
「はははははっ、それはわからん。そも、このような話が確かな記録に残っているわけもない。誰にも告げることなく消えていったその足取りなど知る者はいない」
「……そうですか」
確かにヴァンデルハミッシュの言うことはもっともだが、それなら何故そのことをここまで知っているのだろう、という別の疑問が浮かびかけてきたがそれを尋ねたらまたさらに話は混迷しそうな予感がしたのでやめておいた。
「ただ、王子は戻ってきた。それだけは確かだ」
と、そこでそれまで楽し気な笑みをたたえていたヴァンデルハミッシュの顔が僅かに変化したのをアルーナは感じた。
相変わらず口角は上がり、目は細められているのだがその瞳の奥が何かを射抜くようにすっ、と鋭いものに変わったことを話に集中しまじまじと顔を見つめていたことでアルーナは気が付くことができた。
「その放浪は3年ほどだったと聞くがある日消えていった時と同じように何の知らせもなく王子はふらりとこの王城の門を開けた」
ふっ、と腰かけている椅子の背もたれに深く背を預けるようにして天を仰ぐヴァンデルハミッシュ。
その視線の先には瓦礫の散乱する床とは対照的に華美な装飾が施され、この空間本来の在り方を示すような天井がある。
それは果たしていつ作られたものなのだろう。
「3年……」
或いはあれもまたこの国の歴史を見守ってきたものの一つなのかもしれない、とヴァンデルハミッシュの視線を追いながらふとそんなことを考えていたアルーナがぽつりと呟くとそれを高らな笑いが答えた。
「はははははっ、そう3年だ。たった3年といるのか、よもや3年もというべきかは最早どうでもいいが――まぁ愉快な3年だったのだろうな」
肩を揺らしながら大笑するヴァンデルハミッシュであるがその顔に浮かべている笑みはやはり人がつられて笑ってしまいそうになるものではなく、どちらかと言えば見るものを芯から震わせるような冷たさすら感じさせる表情である。
「何があったのかは誰も知らないことなのでは?」
愉快――などと言っているがその顔からしてそれが真実とはとても思うことができずにたまらず尋ねたのだがヴァンデルハミッシュはいやいや、と首を軽く振って否定した。
「愉快なものさ。何しろ戻ってきた王子が持ち帰ってきたものがあのご執心の『大権』なのだからな」
「っ!」
そもそもこれはヴァンデルハミッシュが知るという『大権』についての話であり、始まったときから何となく予想をしていたことではあったがはっきりとそう言われるとやはり言葉に詰まってしまう。
「……貴方はあれが何かをご存知とのことですが」
「はははははっ、では問うが君は何だと思う?」
「……いえ、私には」
顔に笑みをたたえたまま、何かを探るような瞳でそう問われるがそれにはただ首を横に振るしかできない。
そもそも自分はその存在と名しか知らずそのものなど見たこともないのだから何だと思うと問われても答えようがない。
「はははははっ、だろうな」
自ら尋ねておきながらそういう答えが返ってくることがわかっていたのか、ヴァンデルハミッシュはにやりと口角を吊り上げ頷きながら、あれはだな、と仰々しく前置きをし、
「単なる財宝などではない。あれは愉快な魔道具だ。どこからともなく持ち込まれたあれはこの国で丁重に扱われると緩やかに、しかし確実にその機能を振るい始めたのだ」
「魔道具? 機能?」
あれこれと説明をされているようだがそのどれもが自分にとっては初めて聞くことばかりでありただ鸚鵡返しにそう呟くことしかできない。
「はははははっ、まぁということを父から聞いたに過ぎないのでな。それ以上のことは私も知らんのだが」
と、そうして呆けていたアルーナに返ってきたのは何とも肩の力が抜けてしまいそうな言葉だった。
否、この国の隠された部分ともいえる歴史をこれほどまでに知っているという時点で驚くべきことなのかもしれないが結局のところ知りたかったことは何も聞けずにあてが外れたような感情になってしまう。
「何、気になるのなら見に行けばいい。下がどうなっているかはわからんがな」
そんなアルーナの内心を読み取ったかのようにヴァンデルハミッシュはそういうと椅子に腰かけたままちらり、とその視線を下へと向けた。
――床に空いた大穴から覗くどこまでも続く様な暗い闇へと。
「っ……」
何をしろ、と言われているのかはよくわかる。
ヴァンデルハミッシュの言葉を信じるのなら、この穴の先に『大権』があるのだろう。
そしてその言葉を信じるのなら、今まさにそこには王がいるという。
そのことを理解でき言葉に詰まってしまう。
しかし同時にそこにはいなくなったメルクもいるだろうとも感じ、それならばここでこうしているよりはそこへ向かった方がいいのではないか、とそこまで考えたところで、
「――何の相談かな? 良ければ僕たちにも聞かせてもらえるとありがたいのだけれど」
困惑や焦りといったものに溢れかけていた自分の心とは対照的な穏やかで優しげな声が割り込み、思考を遮った。
「っ!?」
反射的に床の穴を見つめていた視線を上げ、声の方角へと向ける。
開け放たれた入り口の扉。
先ほどヴァンデルハミッシュが現れた時と同じようにして、そこには影が立っていた。
「貴方は――」
その顔に言葉を失う。
直接会話などしたことはないがその顔だけはよく知っているから。
それも当然のこと。
何しろそこに立つのはこの国の中枢にあり、王の次に権力を持つとされる8人の者たちの一人。
「けれどいけないな。ここは誰も彼もが勝手に入っていい場所ではないのだからね」
法制局審問室室長『裁典』アルフェム・ギィンライト・サダンクロスが笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
そしてその背後には二つの小さな影。
「ヘルマさん!?」
そのうちの一人がよく見知った顔であり、それを見つけ思わず出てしまった大きな声がふざけた様に円卓の間に反響して消えていった。




