垣間見る世界-Side:M-
「――!」
俺との間にあった距離を一足で無とする踏み込みで接近すると同時に王の右腕が振り下ろされる。
一連の動作は通常であれば俺の目には捉えきれるものではなかっただろうがまるで時間の流れが緩慢になったかのような視界でそれをはっきりと見ることができていた。
それが極度の集中によるものなのか、或いは間近に迫った死に対しての肉体の反応であったのかは定かではないが結果として目で追うことができたので問題はない。
そして更に幸いなことにその感覚には肉体も置いて行かれることはなく反応をしてくれた。
「ふっ――!」
小さく息を吐きながら右手に握っていた先ほど奪い取った剣を脇へと放り投げる。
真っすぐに俺目掛けて振り下ろされる光の剣。
俺が優れた剣技の持ち主であればせっかく手にしている剣で受け止めるようにするのが当然の反応だろう。
しかし、残念なことにこのメルク・ウインドにはそのような技量はなく、受け止めた拍子にその剣諸共肉体を切り裂かれる可能性を否定することはできない。
故にできることはただ一つ。
肉を裂き、骨を断ち、罪人を裁かんとする光にただ再び手を伸ばすのみ。
「――」
眼前に王が迫る。
これまでで最も近い距離でその顔を見ることになり視線と視線が合うのを感じる。
冷たく無機質な瞳に俺がどのように映っていたかは知らないが、それをまじまじと見る暇もなく剣は俺の身体へと到達し――
それに刹那先んじる速さで俺の手がその剣に触れた。
「――」
カンッ――、と辺りに響いた乾いた音は人間の肉体が斬られた音ではなく王の足が床を叩いたもの。
強く地を蹴り、その勢いのまま剣を振り下ろした姿勢のまま王が静止する。
俺の身体を斜めになぞるような軌道で線を引いた右手は何かを握り締めていたようにぽっかりと空いた形で固まっている。
罪人を断ち切らんと振るわれたその剣は今その罪人の手に再び握られていたのだから。
「――」
その現実に王は声を上げることもなくちらり、と自身の空いた手を見たかと思うと直ぐに瞳を俺へと戻す。
そして俺もまた口を動かすことなくただ目と目を合わせるだけ。
本当は話を聞いてくれ、などと言いたかったのだがそれもすることができない。
――これは
突如として迸った焼ける様な熱が身体を動かすことを封じた。
そして、それと同時に身体の奥から湧きあがるものが肉体を縫い付けた。
――何だ?
それは見たこともない世界の景色。
呼吸することも躊躇われそうな静寂に包まれた世界。
そこに立つ一つの影。
こちらを振り返ることもなく向けられたその背を俺はただ真っすぐに見つめている。
――いや、違う。
そう違う。
これは俺の知っている風景ではなく、見つめるその影も見覚えもない誰かのもの。
つい先ほど同じように誰かの視界で世界を見ている。
しかし異なるのは今見ている風景は重たく目を逸らしたくなるものであるということ。
「はっ――!」
湧きあがった景色と熱は呼吸すらも止めていたのだろう。
肉体に意識が戻ったとき最も先に求めたのは失った酸素だった。
「――何を見た」
「何?」
呼吸を止めていたのは時間にすれば僅かのことだったのだろうが身体は過剰に呼吸を繰り返し肩を大きく上下させていた俺に王は静かに問いかけてきたがその意味が分からずに答えることができない。
見た、という問いが指すものはきっと今まさに見えたあの風景のことだろう。
しかし突如頭に浮かび上がるように飛び込んできたあれが一体何であるのは俺自身にも理解することはできず、むしろ尋ねたいのはこちらの方である。
「その力か」
問いに答えられない俺に、しかし王はそもそも答えなど待ってもいないのか短くそう呟くと空になった右手を天へと翳す。
「っ!」
瞬間、小さな光の粒子が吸い寄せられるかのようにその手に収束し、次の瞬間にはそれは再び剣の形を成し握りしめられていた。
「――それは不要だ」
怒りのようでもあり、その一方でまるで羽虫を払うかのような無関心にも見える感情が込められた瞳でこちらを見つめながら吐き捨てるようにそう呟くと同時に王の両の腕が動く。
「くっ! すまん!」
交差するように振り下ろされようとする二振りの剣に身体は反射的に動いていた。
『何っ!?』
驚きの声に構うことなく右手に奪った剣と共に左腕に抱えたままのミールを左右に投げる。
一応謝罪はしておいたがそもそも受け身も何もないミールの身体が床を転げるが今はそちらに気を回している暇はない。
「ふっ!」
振り下ろされる剣を受け止めるように両の手を翳す。
そしてその光が俺の手に触れた瞬間――
――ッ!
まるで松明に火がつけられるかのように熱と共に見知らぬ景色が再び俺の目を覆う。
――何なんだこれは!
瞳に飛び込んできたのは暗い闇。
夜の森だろうか僅かに月光らしきものが差し込む中、木剣を握りしめ一心に眼前の木を叩く腕が見える。
それはやはり俺の知る光景ではなかったが太い木を叩くその衝撃は腕にも伝わり単なる幻か何かではないと感じる。
その痛みは恐らく剣を振る誰かも感じていたはずだがそんなことはまるで意にも介していないかのように眼前の木を叩くことを止めはしない。
「――ッ!」
しかしその夢想もひと時のうちに消え、身体は現実の世界が引き戻される。
『止まるな!』
そうして意識が再び現実に戻ったのも束の間、耳に飛び込んできたのは今しがた投げ捨ててしまったミールの叫びであり、視界が捉えたのは二刀を構え斬りかかる王の姿。
「なっ」
反射的に後方に飛びながら己の手に握られている重量を感じる。
振り下ろされた二振りの剣はやはり『怒涛の簒奪者』によって奪うことができていたようだ。
しかしどうやら王は今度はそれに気を取られることなく俺の意識が僅かに飛んでいる間に剣を創り出し三度斬りかかって来ていたのだ。
回避する俺の胴を両断するように左方から横薙ぎに振るわれるそれを奪った剣から手を離し間一髪で受け止めるように触れる。
――くそっ
瞬間、視界には見知らぬ光景が映りそれは熱と共に消えてなくなる。
「何だってんだっ!」
そうして現実に戻れば止まることなく剣が振るわれるのでそれを受け止め、奪う。
その度に浮かんでは消えていく光景を何度見ただろう。
時間にすれば一瞬のことではあったがそのいずれも息の詰まるような暗く重たい空気の光景であったことは共通していた。
「――」
その光景を見る度に走る熱に俺の息は徐々に上がっていくが、王はただ淡々と剣を振るい続けるのでそれを奪い続けなければならない。
「くそっ!」
最早数えることも忘れた何度目かの一閃を奪い、流れ込んでくる景色に視界を覆われる。
――これは
そこは暗い部屋の中。
小さな火だけが灯りぼんやりと照らす部屋の中で立ち尽くしている誰かの視界で世界を見る。
すっ、とその視線が僅かに下に向けられる。
その手には一振りの剣が握られていた。
装飾もなく実に簡素な造りであるがよく手入れされているのだろう、光源の少ない部屋の中でもその刀身は鏡のようによく世界を映していた。
――ああ
そうして悟る。
否、最初から気が付いていたことでもあったがようやく確信を得る。
薄暗い部屋の中、一人剣を睨むように見つめる誰か。
その刀身に反射しているものは見間違うはずもない男の顔。
――これはお前の記憶なのか
今まさに現実にて相対している男の顔がそこにははっきりと映し出されていたのだから。




