円卓の間にて
「――ッ、これは」
扉を開けた先で目に飛び込んできたのは想像をはるかに超えた惨状であり、思わず声が漏れる。
壁に空いた大穴は今なおボロボロと崩れ既に外界との境界線の役割を果たしていない。
穿たれたそこからよく見える外の景色は実に良い青空でありそこだけ見れば何だか気が緩んでしまいそうになるがそういうわけにもいかない。
「……」
恐る恐る、という足取りで室内に一歩踏み込む。
足取りが慎重になるのはここが自分が入っていいような場所ではないから、というだけでなく、床にぽっかりと空いた穴に落ちないように気を付けているため。
自分の立場では踏み入ることも許されないここは室長会議の円卓の間。
その名の由来となっているはずの円卓も今は大きく割れその木片諸共あたりに散乱している。
部屋を包む埃っぽさと不気味な程の静けさについ呼吸を小さくしながら辺りを見回す。
まるで戦禍に巻き込まれた家屋のようでもあるが一方で辛うじてその破壊の被害を受けていない壁の一部や天井は豪奢な彫刻や設えが顔を覗かせており、目の前の現状とこの部屋の本来の姿との落差にここで起きた出来事の異常さを感じてしまう。
外から見上げていた際、突如内部から爆発したかのように壁が砕けた場所は恐らくここだろう、と当たりをつけ扉を開けたのだがどうやら正しかったようである。
通常であれば厳粛な会合が開かれるのみと聞くこの空間で一体何が――、と最も気になる床の穴の方にゆっくりと足を向けたその瞬間、
「はははははっ、全く騒がしいことこの上ないな」
突如背後からかけられた声に飛び跳ねそうになりながら振り向く。
「っ!」
声をかけられるのがあと僅かに後だったら驚いた拍子にそのまま穴に落ちてしまっていただろう。
寸でのところで足を穴の淵に残しつつ視線を今自分が入ってきた扉の方へと向けると、
「何か面白いものでも見つかったか? アルーナ・ゴルドシルド」
開け放たれたそこに純白の影が一つ立っていた。
その声もその顔も知らぬはずがなく、忘れるはずもない。
「『白鯨』――」
一体何が面白いのか、愉快そうに口角を吊り上げながら己の名を呼ぶ男こそ思えば今の混乱の発端とも言えたかもしれない。
純白の衣装に身を包んだヴァンデルハミッシュがその視線をこちらに向けていた。
「はははははっ、先ほども言っただろう? つまらん渾名で呼んでくれるなと」
「――っ」
その言葉にアルーナの脳裏には嫌でも先ほどの出来事が思い出される。
今と同じように突如として現れ破壊と共に去っていった白い暴力。
恐らく今自分は驚きの表情を浮かべていただろうがそれは不意に声をかけられた驚きとその記憶がない交ぜになったため。
あの時、ほんの気まぐれ程度に自分を見逃した男が再び目の前に現れた意味を考え思わず一瞬思考が停止してしまう。
「それで? こんなところで何をしている?」
「――何かが起きたと感じ確認をしに来ました」
「ん? 何だ今は一人か?」
「はい」
じっ、と扉を開けた位置で立ったまま問いかけてくるヴァンデルハミッシュに視線を逸らすことなく答える。
本来ならばアルーナの立場であればここにいることそれ自体が罪でもあり、それを咎められてもおかしくはない。
しかし既に自分がメルク達と共にいることはこの男には見られており、そういう意味では罪は同じことだろうと無駄に取り繕うことはしない。
「はははははっ、何だ面白くもない。てっきり何か緊急事態かと駆け付けたというのに」
小さく肩を上下させながらそういうヴァンデルハミッシュであるがその顔は変わらず笑みをたたえたままであり、本当にそう思っているのかは怪しいものである。
しかしその笑みはやはり人を落ち着かせるようなものではなくそれを見せられるアルーナとしては心が穏やかになることはなく視線を逸らすことはできない。
「はははははっ、それにしても随分な荒れようだな。これでは権威も何もあったものではない」
しかしヴァンデルハミッシュとしてはそんなアルーナの心情など気にするわけもなく、笑みを浮かべたまま室内に入ると辺りを見回しそんなことを口にした。
或いは聞きようによっては侮辱とも受け取られかねない言葉であったがヴァンデルハミッシュはさして気にする風でもなく、近くにあったまだ辛うじて形を保っている椅子を引き寄せるとそれに腰かけてみせた。
「はははははっ、なんだ? 気にすることはない、君も座るといい」
そしてあまつさえアルーナにもそうするように促してきた。
いくら周囲に人の目がないとはいえここは王国の各室長のみが入室を許可された部屋でありアルーナは当然のこと、室長補佐であるヴァンデルハミッシュであろうとも本来ならばこのような行為は許されることではない。
「気にすることはないというのに。どうせ今は王もここにはいはしない」
つまらないことを言い捨てるかのように聞きようによっては無礼極まりないことを言ってのけるがアルーナを含めそれを咎める者は今ここにはいない。
むしろアルーナとしては今の一言に引っかかることのほうが多い。
「陛下がいない?」
それは一体どういう意味なのか。
この国を統べる王、アルーナの知る限りこの国では自分達が王の下へと参じることが常識であり、王自らがどこかに赴くということは聞いたことがない。
王の声は空間を超え届き、王の耳は全てを聞くという。
故に王は常にこの王城に在る、と聞くがそれが今は不在というのだろうか。
「はははははっ、陛下に在られては『大権』にご執心のようだからな。ここのことなど気にも留めてはおるまい」
アルーナの疑問に対しヴァンデルハミッシュはわざとらしく敬意を払った風にそんなことを言って見せた。
「――『大権』」
そして不意に飛び出したその名に思わず反応をしてしまう。
祖父が語った最期の言葉。
ゴルドシルド家から失われた何かがそこには眠るという――『大権』
「ん? あぁそう言えば君もあれとは縁浅からぬ一族だったな」
そんなアルーナの変化をヴァンデルハミッシュは見逃すことはなかった。
ひじ掛けに体重を預けながらこちらに向けてくる視線は笑みの中にも射貫くような鋭さがありその言葉も含めまるで自分の知らない何かを知っているようでアルーナは僅かに冷たいものを感じる。
「祖父のことをご存知でしたか?」
「はははははっ、いやまるで」
そう感じ、ふとそんな疑問を投げてみたのだがそれは笑いに一蹴された。
「ただ、あれが何であるのかは知らないわけでもない」
さして期待をしていたわけでもないがその言葉に僅かに気落ちをしていたアルーナに畳みかけるようにヴァンデルハミッシュはそう続けた。
「はははははっ、まぁいいだろう、ちょっとした時間つぶしに話してもいい」
その言葉に頭に疑問符を浮かべてしまったアルーナを実に愉快そうに見つめながらヴァンデルハミッシュは少し遠くを見るように視線を宙へと向けた。
何か、少し昔のことを思い出すような瞳には果たして何が映し出されているのだろうか。
「あれがこの国に現れたのは今から50年ほど前か、私の父の代のことだ」
二人きりの部屋に響くその言葉にアルーナは静かに耳を傾ける。




