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遠い始まりの物語の終わり

 声が聞こえる。


  ――。


 微睡の中、肩を叩かれているような心地よさすらも感じる感覚と共に聞こえてくるそれは誰のものなのだろう。


  ――。


 声を聞く耳はあるはずなのに身体の感覚はまるでなく、今自分が立っているのか寝ているのかもわからず宙に浮いているようにも錯覚をしてしまう。


 そんな曖昧な世界に響いてくる声はいつかどこかで聞いたことがあるようでもあり、まるで聞いたこともないような声でもある。


  ――、――。


 しかし何故かそれは決して無視をしていいもののようには感じられず、感覚のない体のままその声の方向へと向かう。


  ――、よくぞ。


 足を動かしている感覚もないが意識がそれに近づいた、と感じると同時に自然と声自体が鮮明に聞こえてくる。


 男か女か、若いのか年老いたのかは不明瞭であり、そしてやはりよく知ったようでもあり始めて耳にするような声。


  ――、よくぞここまで来た。


 しかしそれは自分を拒絶するのではなく、受け入れているのだと感じ声の招くままに更に形のない足を前へと進める。


 一歩、さらに一歩と踏み出すたびに何か――とても大切な何かが削がれていき、それと同時にその隙間を埋めるように何かがなだれ込んでくるのを感じる。


  ――ああ、よくぞここまで来た。歓迎しよう。


 声は人を招いているようなことをいってはいるもののそれはやはり無機質で感情らしきものを感じさせない。


 だがそれでも足をそこで止めようとは思わなかった。


 或いは――そこは既に平たんな道ではなく後戻りなどできない下へと下る坂の最中であったのかもしれない。


  ――歓迎しよう。汝に才覚なし、されど汝に素質あり、故に汝に資格あり。


 何かの文章を読み上げるかのように淡々と語られるがそれには答えることができない。


 首を振る感覚も、声を出す方法も今はまだうまく思い出すことができないのだった。


  ――覚醒するがいい。これより汝は奪うもの。ロキの光に瞳を閉ざされし静謐(せいひつ)執行者(しっこうしゃ)なり。


 そうしてこちらが何もできないことがわかっているのかいないのか、声が静かにそう告げるのと同時――強い光が世界に満ち、身体を照らすのを感じた。


 或いは自分自身が光になってしまったかのような錯覚を覚える中、ふと思い至る。


 削がれてしまったのは恐らく自分が自分であるために必要だった何かであり、今それを埋めているものがこの光なのだと。


 しかし気が付いたところで最早何かができるわけでもなく、何かを哀しむ間も悼む間もなく身体の輪郭と世界が瞬く間に鮮明になっていく。



  *



「――! ――いっ!」


 誰かの声が聞こえ、どうやら自分が目を閉じていたのだと気が付いた。


 しかし聞こえてくるのは眠る人間を起こすような甘い声とは程遠い怒号のような叫び声。


 一体何事だ、と目を開け身体を起こそうとしたところで、


「――ッ!?」


 神経を槌か何かで殴られたような肉体の芯まで響いてくる痛みがそれを許さずに声にならない声を上げてしまう。


「っ! 生きているか!?」


 しかし傍目にはそれが反ってわかりやすい反応となっていたのか、声は僅かな驚きと安堵を含ませた声をかけてくる。


 そんな風に人を気遣うような声色など今まで聞いたこともなく思わず笑いそうになるがその僅かな振動すらも今は苦痛に変換された。


「――……ぁ」


 ああ大丈夫、或いはありがとう、とでも言いたかったのだが最早それすらもできなかった。


 ただぼんやりとした視界の中にいるのはよく見知った顔であり、いつも苛立ったような陰気臭い顔が冷や汗と赤い液体で染まっていることだけで事の重大さが伝わってくる。


「動けるか? いや、だがこれは一体……呪詛(じゅそ)にしては回りが速すぎる……」


 どうやら私は地に伏しているらしい。


 こちらを覗き込みながらそのよく見知った男はぶつぶつといつになく焦った様子で何かを探るように視線を動かす。


 私とさして歳の変わらない男ではあるものの、私の知る中でも五本の指に入る程聡明な魔法使いがその顔を青くしている。


 きっと――とてもよくないことが起きているのだろう、などと身体の痛みは相変わらずだがそんな他人事のようなことを考えられるほどには頭は覚めてはいた。


「ッ! ラグナ!」


 そして青ざめた魔法使いは立ち上がりよく知った男の名を叫ぶ。


「――……」


 若く、時に拙く、しかし背を預けるに足る男の名。


 その彼が一体どうしたのだろう、と頭を動かすことはできなかったが眼球だけを横に動かし魔法使いが叫ぶ方へと視線を送る。


 するとそこには小さな光があった。


 暗く、荒れた岩肌の洞窟を照らす輝き。


 洞窟を抜けた先、外の光が差しているのだろうか――と感じたところでそれはあやまりであると気が付く。


 周囲の闇を払い光で染めるそれこそは私がよく知った男その人だった。


「――……?」


 声にならないとわかっていながらも呼びかけてしまう。


 光に包まれた、というよりも光を放っている男のその顔もその目も私が知るものであり、同時にまるで知らないものだったのだから。


 真っすぐに前へと向けられたその瞳は叫ぶ魔法使いを見ているのか、地に伏せる私を見ているのか、或いは何も見ていないのか。


 しかしいずれにしてもそれはいつも私の行く道の先を切り開く男のそれではなく、冷たく感情というものを失った光を携えていた。


「答えろラグナ!」


 焦ったような、縋るような叫びは実にこの魔法使いらしくもないが確かにそう言いたくなるほどに目の前の男には承諾できない程の違和感があった。


「――それは不要だ」


 しかしよく聞きなれた男の声が今まで聞いたことのない冷たさを伴って魔法使いの叫びを一息に切り捨てる。


 何が不要で、何故不要なのか、などということは聞いたところで返されるはずもない。


 そして向こうもまたそんなことなど求めていないのか、光を放つ男は緩やかな動作で指をさすようにその手を持ち上げる。


 その伸ばされた指の先が私の視線と交差する。


「――しかしその知恵は必要だ」


 それはまるで判決か何かを言い渡すような言葉であるようにも感じられたがしかし声があまりにも冷たく意志というものを感じられないせいだろうか、不思議とそれに対しての恐怖などはなかった。


「っ! ミール!!」


 ただ、振り返った魔法使いの男の叫びに少しだけ申し訳なさを感じてしまった。


 すまない、我が友オルディン。


 きっと何か良くないことが起きているらしいがどうやら自分はここまでなのだと察し、後を託してしまうことに詫びを伝えたかったがそれも身体を襲う痛みが許さなかった。


 もう一人、大切な仲間がいたのだが彼女は無事なのだろうか、と思いを巡らせようとしたところで意識という光は暗い闇で塗りつぶされた。

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