過去と今-Side:M-
「――?」
ミールが静かに語ったその言葉に思考が停止する。
否――思考しようとした途端にそれは迷路に迷い込んだかのように行先を失って行き止まる。
今語られた言葉と俺が知っている現実、その間にある差と矛盾を感じた頭が理解することよりもそれ以上に踏み込まないことを選ぶ。
――ここで何をしている
そしてその言葉を受けたもう一人、未だ姿なく声だけで語り掛けてくる王もまた問いかけに答えることはなかった。
『何をしていると言われても別にここは立ち入り禁止の区画ではないだろう。この青年がいることが問題だと言われれば否定はできないが……そこはまぁ私の運び役とでも思ってくれ』
冷たく、感情を感じさせない王の言葉に対してしかしミールはさして気にする様子もなく軽口を叩くようにそう言った。
声だけでも聴くものを圧するそれに対してもそういった態度でいられるのはミールの気質故なのか――或いはミールと王との関係によるものなのか。
――久方ぶりに姿を見せたと思えば
ミールの言葉に王はそれでも冷徹とも思える静かな口調を崩しはしない。
ただ、そこに僅か一欠片程だけ何らかの感情が込められているよう感じたのは気のせいだったのだろうか。
「――そのような姿になろうとも口だけはよく回る」
そして次の瞬間、空間に響いていた声がより一層鮮明になったように感じたのと同時――天にあった黄金から雫が一つ零れたのを俺の目が捉えた。
地下空間の天井にある『大権』そのものが溶けだしたかのようにその雫もまた煌々とした輝きを放っていたが、それがただの水滴か何かでないことは直ぐにわかった。
「あれは……」
『大権』に向けたまま目を逸らすことができない。
零れだした雫は少しずつその形を人の形へと変えていく。
誰にも触れられるはずのない黄金から現れた人物。
それが誰であるのかなどということは最早想像する必要もない程に明確なことであり、そうしている間にもさらに輪郭が鮮明になっていくそれは見間違えるはずもない男の姿。
『やれやれ、久しぶり顔を合わせたと思えばひどい言われようだな』
天から現れる男の姿もきっと見えているのだろう、ミールはその言葉に肩でも落としてそうな口ぶりで答える。
それでも呆然と立ち尽くし見上げる俺と軽口を叩くミールに対して向けられるのは冷たい視線だけであった。
天の黄金――曰く『ロキの光』――より姿を現し、眼下のものたちを迎えるでもなく拒絶するでもなく、ただ観測するように無機質な視線を送るだけの男。
その黄金がそのまま形を成したかの如く、金の髪に金の虹彩の瞳を携えるその顔はつい先刻見たばかりの人物――即ち王その人であった。
『――右へ一歩』
「えっ?」
まさかそんなところから現れるとは、とその登場の仕方に呆気にとられたような驚愕したような感想しか持てないでいた俺は耳を声が叩く。
しかし今目の前で起きている出来事に気を取られていた俺は聞こえてきたその言葉にほぼ反射的に従って身体を動かしていたのだった。
故にそれがミールの言葉であったということも、それが俺に回避を促しているということも気が付いたのは全て後のことであった。
「ッ!」
俺がぼんやりとその言葉の通り身体を右にずらした次の瞬間――今まさに自分がいた位置の床が爆発したかのように砕けて割れた。
そして俺と言えばその破裂音と振動でようやく事の次第を掴めたというわけだ。
『随分な挨拶だな。それともそんなことをしているうちに再会の喜び方も忘れたか?』
床が何故砕けたのか、それは考えるまでもなく未だ上空でこちらを見下ろしている王によるものなのだろう。
咎めるようなミールの言葉にしかし王は変わらずその顔には感情らしきものを浮かばせない。
何の警告もなく攻撃を放つその顔は冷たく感情というものを伺わせない。
しかしその風貌はどう見ても俺とさして歳の変わるものとは見えず、
「あんたは一体誰なんだ?」
思わずそう問いかけてしまった。
その言葉自体に深い意図があったわけではない。
ただ、今なお俺の思考と惑わせているものはミールの言葉と目の前の現実の矛盾。
ミールが語った過去と今現在の姿にある隔たり、その答えが知りたくてただ安直にそれを尋ねただけ。
「――私はこの国の王」
しかしその問いに返されたのは知りたい答えとは遠くかけ離れた静かな言葉。
短い言葉であったものの、そこにはそれ以上問いただすことも踏み込ませることも許さないという姿なき圧が込められていた。
そして俺の頭はそれを無意識に理解していたのか、その言葉に対して何も言うことができない。
『意地が悪いな。それとも自分の口でいうのは躊躇われるか?』
それでもただ一人――ミールだけはそれを前にして畏怖することもなく、俺に代わり二の句を継ぐ。
『まぁ別に君が言わないのであれば私が代わりに話をしよう。その権利はあるだろう?』
「――」
淡々と、しかし何かを糾すようなミールの言葉に王は何も返さない。
或いは先ほどのように攻撃をしてくるかも、と直ぐに動けるように身構えてもいたのだがどうやらその様子もないようである。
『よく聞いておくといいメルク・ウインド。とはいえ別に大した話ではない。ただかつて勇者であった男のその人生のほんの一欠片だ』
姿を見せたままの王は変わらず上空に留まったまま。
地上に立つ俺は腕の中の男の言葉に耳を傾けたまま動くことができない。
煌々とした光の満ちる空間を今一時だけはミールという男が支配をしていた。
『かつて一人の勇者がいた。資質、技能という点ではいくつかの課題を抱えてはいたもののそれは確かに勇者であった。――その男の名はラグナ・フリングル・ヴァイラン』
そして男はその物語を緩やかに紐解き始めたがそれを止めるものは誰もいなかった。




