王国の力
それから先は何もなかった
*
「『大権』を守る?」
差し出された手には一瞥もくれず己を見据えてくるアルフェムを睨むように見返すトール。
「ああ、僕たちでね」
問いただす、というよりもそのまま噛みついてきてもおかしくないトールの様子にしかしアルフェムはあくまでも穏やかな笑みを浮かべたままである。
「――チッ」
その姿が何故かとても気に入らずに小さく舌を打つがそれでもアルフェムの態度は変わらない。
どんな言葉よりも雄弁に怒りの感情を顔に出している相手に対してもそんな風に接してくるアルフェムという男についてトールはあまり深くは知らない。
正しくはあまり知ろうとしていない。
それは恐らく根本的な部分で自分とこの男は相容れることない存在であると本能ともいえる感覚で理解をしているからかもしれない。
法制局審問室の室長にして『裁典』の二つ名を持つ男。
その所属する組織の名称からも明らかであるようにこの男はこの国における法の管理、罪人の処罰といったいうなれば国自体を守護する人物である。
トール自身が属している規律室という組織もその活動目的は”国の規律を乱すものを糾す”などと定められているがやっていることと言えば要するに罪人や問題を起こしたものを力で叩き捕えて裁きの場にかける、という実に血生臭いものである。
それに対し審問室はただ法を貴び、その罪を量るという天秤の担い手である。
しかし流されることもなく、時に穏やかに時に冷徹ともいえる態度で事に当たるアルフェムという男は法の体現者としてその頂点に立つに相応しい男でもあった。
自分と似た立場ではあるものの己の成すべきことへの意識やその責務の感じ方などはまるで正反対であると感じるからこそこの男とは相容れないのだろう、とトールは時折考える。
――或いはただいつでも沈着冷静です、という態度が単純に気に入らないだけなのかもしれない。
「それは陛下の指示か」
じっと視線を交わしたまま動かないトールの背後からガシャガシャと鈍い音を立てながら黒い鎧が近づいていた。
トールと同じく今この場にてその魔法を封じられたレヴルスもまたアルフェムの言葉には二つ返事では答えるつもりはないようだった。
レヴルス自身が気にかけているのはトールとはまた異なる部分ではあったかもしれないがいずれにしてもアルフェムの言うことを聞く男ではないことをトールは知っていた。
「いや違うよ」
地を鳴らしながら近づいてくる鉄塊の言葉をアルフェムは笑みを浮かべたままきっぱりとそう否定した。
「――なんだと?」
ズンッ、とひと際深く足を踏みしめながらレヴルスはトールを押しのけるようにして隣に並ぶとアルフェムに問いかける。
否、それは問いかけというよりも力任せの脅しにも等しい。
黒い鎧に包まれ顔は見えないがその目元に空いた隙間から己を見つめてくる瞳に明確な怒りと威圧が込められていることなど当然アルフェムはわかっており、そしてその理由もわかっている。
仮にアルフェムが王国の規律の体現者であるのなら、このレヴルスという男はその見た目の通りに鋼鉄の意識を持ち、何物にも揺るがされることなくただ王の命を忠実に執行する兵士の極み。
血気に溢れ、力で物事を解決しようとする側面はあるもののその心と体は王国へと捧げられている。
即ち、レヴルスに命を下せるのはこの国の王ただ一人であり、立場としては肩を並べるアルフェムであろうともその言葉に従うつもりは毛頭なく、むしろ己を従えようとする男に対し怒りを感じずにはいられないのだ。
「ちょっとぉ、そんないきなりピリピリするなってのぉ」
そうしてアルフェムの提案にあからさまな怒りの感情しか見せない二人に対しフレヤがつい呆れた様に声をかける。
しかしその呆れは顔を合わせるなり話も聞こうとしない二人に対してだけでなく、こうなることがわかっていただろうにいきなり話を切り出したアルフェムに対してでもあった。
「結構さぁ、今面白いことになってんのよ」
話を聞こうとしない二人をなだめるようにふふん、と口角を上げるフレヤであるがその笑みはアルフェムの優し気なものとは異なり何かを企てているかのような不敵さが込められていた。
「ううん、面白いっていうのは少し語弊があると思うんだけどね」
「まぁまぁいいってのぉ」
不用意にさらっとそんなこというフレヤの言葉を気まずそうにアルフェムは否定をするがそれは笑って流された。
「あんたらが外で騒いでる間に色々あったってわけよぉ、オルディンのやつは侵入者とどっか逃げちゃうし、その後追うのはあの女の子の仕事になっちゃったしぃ」
「――オルディンの野郎が?」
「陛下はその追跡を我々に命じなかったと?」
ははっ、と楽し気に笑うフレヤのその言葉にトールとレヴルスは明らかな反応を示した。
その驚きと小さな苛立ちの理由は多少異なっていたかもしれないが二人にとって引っかかることであったのは確かなようだ。
――その際、傍らに立つアルフェムもまた僅かにその顔を険しいものにしていたのだがそれは一瞬のことでありその場の誰も気が付くものはいなかった。
「――そう、詳しい話は今は省かせてもらうけど侵入者の目的が『大権』であることはまず間違いない。となればそれを守るのは僕たちの責とは思わないかい?」
そして相変わらずの柔和な表情のままアルフェムは話を当初の提案に戻す。
トールもレヴルスも『大権』を守るということそれ自体には然したる興味もないようであるがしかし今の事態には関心を持ち始めたようだった。
トールはその闘争心を満たす場を見つけたから。
レヴルスはその忠義を果たす場を失ったから。
理由はアルフェムの望んだものとは違っていたがそれよりも今は同じ方向に向く仲間が増えることの方が重要であり細かいことは置いておくことにした。
その顔には笑顔を浮かべたまま、遠く王国の秘宝へと近づく男たちを想う。
それはアルフェムにとっては憎むべき敵などではなく、ただ裁くべき罪。
仮に王の命がなくとも国を乱す存在を男は認めることができないでいるだけだった。
「ふぅ――」
これまでのこと、そしてこれからのことを考え小さくため息をついた。
それに応えるように――何かが砕ける轟音と聞きなれたような、聞いたことのないような悲鳴らしき声が突如辺りに響き渡った。




