その真意
己の器を超えたものを目指す道行は文字通りのいばらの道であり、それはただ自身の身を裂く行為に等しいものだった。
それでも歩みを止めることをしなかったのはその痛みを必要なものと感じ望んでいたからだ。
遠く、高みにあるものを目指すためには痛みがなければならない。
――その道を歩み続けても自分がそこに至ることはない、と気付かないためには痛みがなければならない。
*
「まだ二人は騒いでいるようだね」
「そりゃねぇ、騒ぎ出したら自分達で止まるような奴らじゃないでしょ」
「やれやれ、その血気盛んなのも考え物だね」
緩やかに階層を下るたびにけたたましい音が耳と身体を揺らす。
正確に言えばその破壊の轟音は上の階にいた時から聞こえており、空気を震わせる力もひしひしと感じていたが近づくにつれて一層鮮明になるそれには一言言わずにはいられなかったのだ。
「ここでこんな騒ぎを起こして、もう少し周りのことも考えてほしいものだけど」
「そんなこと考える奴らだったら最初からこんなことになってないでしょ」
「確かにね」
ははっ、と呆れたようにわざとらしく乾いた笑みをこぼしつつ肩を落とす男――アルフェム。
困り顔のその男の少し後に続く女――フレヤも笑みを浮かべているがその意味合いは多少異なっている。
突如現れそして消えた侵入者も、それを手助けしたオルディンも、勝手にどんぱちやり始めた外の二人も、その他諸々のことも生真面目なアルフェムはどうやら深刻に受け止め頭を悩ませているようだがフレヤは決してそうではなかった。
この国においてこういう出来事が起こるのは久方ぶりのことであり、それを彼女は楽しいものとして受け止め、今も聞こえてくる音に耳を傾けているのだ。
「それでさぁ、あの二人止めてどうしようっての? 侵入者はあれが追ってるんでしょ?」
しかしあまり露骨に喜んでいる風でもアルフェムから不要な反感を買うだろうということはわかっていたのでなるべく抑えるようには努力をしながら尋ねる。
あれ、とはいつも王の傍らにいる人形のような女のこと。
名前も知らないが王からの信頼は厚いようでありその指示を自分たちに伝えにくるほどなので立場も向こうが上と言えるのかもしれない。
フレヤとしてはまともに会話をしようともしない鉄面皮であり別に楽しい相手でもないので大した興味はないのだがどうやら侵入者とオルディンを追う仕事はあの女に振られたようである。
それが王の命であるのならそれに従い、追えという指示がない限りは動かないのがアルフェムという男のはずだが一体何をするつもりなのかが気になったのだ。
「別に何をしようってわけじゃないよ。ただ今は僕たちが中でつまらない小競り合いをしている時じゃない。オルディン殿の行先は恐らく『歴帝』だろう。何を考えているつもりかは知らないが――何をしようとしているのかはおおよそ想像ができる」
フレヤの言葉に振り返ることなく背中で答えるアルフェム。
その口調はいつもの穏やかな彼のものであるがその奥に何か普段の彼にはない感情が込められていることにはフレヤは敏く気が付いていたがあえてそのことを問おうとは思わなかった。
「『歴帝』ぃ? 何でわざわざあいつと」
それよりもその口から飛び出した予想外の名前の方が気になってしまった。
『歴帝』の二つ名を持つ男のことは当然知っている。
法制局人事室の室長であり即ち自身と同じく王国の最高権力の一人である人物。
正しくは男なのか、そもそも人物なのかも不正確なのだが。
何しろあれは一冊の本でありその存在の奇妙さから言えばあの人形のような女以上ともいえる。
そんな姿なので滅多に人前に出ることもなくフレヤ自身最後に直接目にしたのはいつのことだったかも覚えていないほどだ。
普段は王国の地下深くの部屋で一人――というよりも一冊静かにこもっていると聞くその名につい頭に疑問符が浮かんでしまう。
「――うん、彼はオルディン殿と古い知り合いだからね」
不思議そうに尋ねるフレヤの問いにしかしアルフェムは彼にしては珍しくどこか曖昧な答えを返してきた。
「ふぅん」
己の問いが濁されたことにはもちろん気がついてはいたがそれも深くは追及しない。
アルフェムが決して無意味にこうしたことをする人間ではないことは知っており何らかの意図があることはわかる。
だが首を突っ込んでは面倒になることがある、ということもわかっておりそうした線引きを冷静に行えることはフレヤという人物の長所と言える部分であった。
「さて、それじゃあ二人には落ち着いてもらおうか」
ぼんやりと何かを考えているらしいアルフェムの背中を眺めていると階段を下りきったその男の言葉に意識が現実に戻る。
「はぁい、っと」
その声に返事と返しつつ周囲を見回す。
依然として響いてくる轟音に相応しく無残に砕け散った入り口の扉。
床には大きな穴が開いているがこれは昨日の夜に開けられたものと聞くがしかし思えばこれもまた今まさに騒ぎを起こしている男が穿ったものである。
まったく王の鎮座する城の入り口玄関とは思えぬ惨状であるがこの原因が外敵ではなく王国の人間だというのだから尚のこと始末が悪い。
「やれやれ――」
散らばった瓦礫を避けながら真っすぐに破壊された扉へと向かうアルフェム。
表では何が起きているかなど想像する必要もない程であるがその足取りには恐怖や躊躇というものはない。




