闇の果てに待つもの-Side:M-
「うぉぉおおおおおおおお!!」
声を上げるもののその音は下へと落ちていく身体の速度には着いて来ることはできず上空に置き去りにされていく。
浮遊感と落下の圧という矛盾した感覚が全身を襲う中、できたことと言えば肺の中の空気をそのまま吐き出すかのようなそんな絶叫だけ。
床という確かな足場が崩れ、身体が一瞬ふわりと浮くのを感じた。
それが誰によるものかはわかっており、その直前に『備えろ』という声も聞こえた。
そんなことを言うのでてっきり床が一枚抜け、下の部屋にでも落ちるのかと思っていた俺の目に飛び込んできたのは真っ暗な地面――というよりもどこまでも底の見えない世界であった。
老人の仕掛けた大仕掛けは遥か下界へと続く大穴であり、何と俺に対してその落下に備えろ、と言うのである。
魔法もろくに使えない俺に何を期待しているのだ、と文句の一つも言ってやりたいところだがそんな余裕などありはしない。
「―――――ッ!!」
身体に風を感じながら手足をバタバタと動かしてみる。
別にそれで何をしようというわけでもなく本能的な行動であったがまるで羽ばたこうとでもしているかのような無様な動きは共に落下してきた老人の目にどう映っていたのだろう。
「――『Bird-On』」
方向感覚もなくなり、今自分がどこを向いているのかも曖昧な俺の耳に短く、少し腹立たし気な声が聞こえてきたのと、俺の身体ががくんっ、と一瞬揺れ、そして目まぐるしく回っていた世界がゆっくりと見えるようになったのは同時であった。
「!?」
先ほどまでとは一転して身体は垂直に立った形へと変わり、ゆっくりと実に緩やかな速度で視界が下へと降りていき、そしてついには両の足が再び確かな足場を捉えた。
「何だ貴様は、碌な魔法も使えんのか」
一体何が、と目を丸くしている俺に呆れた様に声をかけてきたのはこの一連の事態の張本人である老人――オルディンであった。
「いや……えっと」
「『Bird-Off』」
答えに窮している俺を他所にオルディンがそう呟くとふっ、と肩に乗っていた重みが消えた。
「?」
その感覚に視線を上に向けると、遥か上空には小さな光。
今俺たちが落ちてきた穴の入り口であろう光が輪のように見え、その中に一羽の大きな鳥がいた。
いや、正確に言えばそれは石を寄せ集めて作られた鳥の形をした石像がその羽を羽ばたかせて宙を舞い、そのまますうっ、とオルディンの肩に止まった。
無言で鳴き声を上げることもないがその目らしき部分が俺をじっと見ている。
――オルディンの魔法で作られたゴーレムの一種なのだろうか、どうやらこの鳥が掴んでくれたおかげで俺は無残に地面に叩きつけられることなく着地することができたということらしい。
「えっと……助かったよ」
「ふむ」
我ながら何とも呑気な言葉だな、と言ってからそう思ったがともかく助けられたようなのでその鳥とオルディンに対して礼を伝えるとそれをどう受け取ったのか、オルディンは短く答えるのみだった。
しかし俺にはその態度だけではこの老人が何を考えているのかを読み取ることはできなかった。
いや、これ以外のことも含めてこの老人の思惑は理解できないことばかりなのだが。
傷ついた俺に回復を施してくれたことも、まるで俺を逃がすかのように魔法を使いそして今もまた助けてくれたことなど、なぜそうしようとするのかは未だにわからない。
「さて、とりあえず歩けるようなら行くぞ」
そんな俺の思いなど気にもせずオルディンはそれだけ言うとゆっくりと歩き始めた。
「行くってどこにだ?」
「黙ってついてこい」
当然の疑問として投げかけた俺の言葉をしかしオルディンは振り返りもせずに背中で答えながらどんどんと先に進んでいく。
「おい……待ってくれよ」
呼びかけにも立ち止まる様子がないため仕方なくその後を追う。
助けられたとはいえ別に仲間になったわけでもないのだからわざわざ行動を共にする必要もないのだがこんなところで一人になるよりは『ついてこい』と言っている以上はその言葉に従うことを選んでしまった。
なぜならば周囲は明り一つない真っ暗な闇が広がるだけの世界なのだから。
「なぁ、ここも城の地下なのか?」
「……」
こつこつ、と俺とオルディンの足が石畳の床を叩く音が響く中そう問いかけるが返事は返ってこない。
周りを見回そうにも視界は不明瞭であり、頼りになるのはオルディンの手に握られた杖から発せられている淡い光だけ。
小さな光で道を照らすオルディンの背中をただ追うことしかできない。
ただ、歩んでいる道の感触や音の響き方、何となく感じる土の匂いなどから小さな通路を歩んでいるのではないかと考えていた。
先ほど一度見上げた時に見えた上空の光からそれなりに長い距離を落ちてきたのだろうとはわかっていた。
王国の地下、というとあの水路とその先での出来事を思い出してしまうがここはあそことはまた違う部分なのだろうか。
暗闇の中を行先も伝えられず歩んでいるがしかし不思議と恐怖はなかった。
そもそもオルディンが俺を敵として見ているのであればこんなところに一緒にいるはずもなく、それがこうしている以上彼には彼なりの目的がありその間は自分には危険はないのだろう、とそんなことまで考えてしまうのだったが流石にそれを口に出そうとは思わなかった。
「ところで貴様、何故あんなところにいた?」
「え?」
ぼんやりとオルディンの後を追いながらそんなことを考えていると不意にその背中がそう問いかけてきたが何に対する問いなのか瞬時にはわからず問い返してしまう
「大した魔法も使えないであろうに、壁にでもへばりついていたのか?」
「あ、ああ。さっきのことか」
振り返りもしないが声だけで呆れている様子が伝わってくるような言葉であったが
「あんたが言ってただろ? 人探しなら高い所に行けって、だからさ」
とりあえず取り繕う必要もないだろう、と素直にそう答えておくことにした。
「……」
「あー、えっと……」
しかしそれには驚きも感心も納得もなく、ただ沈黙が返されたのみでありまるで己の行動と思考を全て否定されたような気がしてしまい何かもっとうまい言い方をした方がよかったのか、と思考を巡らせていると、
「ついたぞ」
それよりも先にオルディンの足が止まった。
ぶつかりそうになった足を止め視線を前に向けると杖の淡い光に微かに照らされた先には古びた扉が一つあった。
「ここは?」
「邪魔するぞ」
どうやら目的地らしいようだがこんな暗い通路の奥にあるここは一体何なのだろう、という俺の問いにしかしオルディンは答えることもなくそう声だけかけると返事を待つこともなく扉を開けた。
「――っ」
扉が開くと共に暗い世界に飛び込んできた光に思わず目をつぶる。
『久しいな『魔翁』、そして……何者かな』
その光と共にかけられた声。
反射的に閉じていた目を開けると眼前には開け放たれた扉とその向こう側の小さな部屋が見えた。
『先ほどの振動は君の仕業か。つまり……あぁなるほど』
穏やかでありながらもどこか感情の機微を感じさせない無機質な声は一人で何かに納得したかのようにそう呟く。
だが――俺の目にはその声の主を捉えられないでいた。
視界に見えるのはただ小さな部屋とそこに置かれた机の上にある一冊の古びた本だけである。
『まぁいい、こんなところまで来たのだ。ゆっくりとしていくといい。生憎とお茶は出せないが』
そんな俺の困惑を他所に依然として開け放たれた部屋の中から聞こえてくる声。
その時ふと――その声はその本から聞こえてきているのだと、何故か俺はそう思ってしまったのだった。




