力の所在
「ぬぅう――」
大地を蹴る速度もそれを受け止めた際の衝撃もおよそ人間のものとは思えぬものであり、まさに地上を奔る生ける稲妻。
魔獣の牙も戦士の剣も通すことのない鎧が激突に軋みを上げるのを感じながらそれでも鎧の男レヴルスは蹴りぬかれようとしていたその足を両の手で掴む。
バチバチ、とその足に触れるだけで硬い手甲が弾けるような音が響く。
魔力を雷へと変換し身に纏う力、その原理は単純な武装であるがしかしその密度は最早その域を超えているといえる。
この手が触れているものはまさに雷そのものである、ということを否が応でも実感する。
若くしてその戦歴のみで室長の地位にまで上り詰めた雷。
仮にも規律室の長でありながら粗暴な性質や規則に従わぬ傾向もありはしたがレヴルスは軽んじてはおらず、そして決して悪くも思っていなかった。
ただそれはこれまでのこと――
もしもこの男が王国の意に背くというのであれば己はただそれを正すのみ。
「おぉおおおおお!!」
一方、ぎりっ、と握りつぶされそうな程の力で足を掴まれた雷の男トールも雄たけびを上げる。
しかしそれは痛みに対しての悲鳴などではなく、ただ蹴り込めた力を緩めることなくその勢いのままに振りぬくのみ、という咆哮。
自分の蹴りが止められたことは癪ではあるが、まったく想定外でもない。
詠唱なしの単純展開の魔法武装であったが無論手心など加えてはいない。
この蹴り一つで“手練れ”程度の豪傑などは容易に吹き飛ばすことが出来ただろうが、目の前にいる鉄塊はそれをはるかに上回ることはトールとてよく知っていた。
己の力を受け止めるレヴルスの姿にふと思考が巡る――
――この国、ヴァイラン王国の頂点は言うまでもなく国王その人である。
その存在は強大であり、その命は絶対。
癪なことだがそれがこの国の掟であり、トール自身もそれにだけは逆らうことが出来ないでいた。
では、その次に控えるのは誰であるのか。
権力、地位としての意味であればその力は国王直属隊全4局の8名の人間に振り分けられていた。
法制局審問室室長
法制局人事室室長
魔法局魔法開発室室長
魔法局魔法研究室室長
保安局魔獣管理室室長
保安局保全管理室室長
兵士局規律室室長
兵士局防衛室室長
王より任命を受けたこの8人が王の継ぐ権力を有しており、8人の中においてはその権力に上下はない。
トール自身もその内の一つである規律室の室長へといつの間にか押し上げられていたわけであるが、未だ興味も感じられないその立場に就いた過程については今はどうでもいいことである――
いずれにしてもこれはこの国における発言権などといった権力の在処についての話である。
では――そうでない力、即ち単純な武力はどうなのか。
もしかすればそれもまた頂点に立つのは国王なのかもしれない。
しかし仮にそうだとしてその次にいるのは誰かと考えたとき――それは自分、或いは眼前の鉄の男であろう、とトールは考えていた。
他人に対する敬意や礼儀などとはおよそ無縁と自覚している自分であるがそれでもこの鉄塊のその力に対してはそういった認識を持っており、そしてそれは間違いではないと感じていた。
「――っ」
その男が今その力を以って己を破壊しようしていることが――とても愉快なことに感じられた。
「はっ! どうした! そんなもんかァ!!」
何か特別なことをするわけでもなく、ただ握りつぶされようとしている足に力を込める。
その感情の高ぶりに応えるように稲光が目を焼くほどに激しく輝きその手甲を弾き飛ばさんと迸る。
「ぬぅ――!!」
勢いは止まることなく一層苛烈となるその蹴りに、しかしレヴルスの手が離されることはない。
「――『外装転換, 雷不落, 拳鋼也』!」
「っ!?」
その手に留まらず肉体諸共吹き飛ばそうとした雷を受けて尚、レヴルスから闘志が消えることはなく、鎧の向こう側の口が詠唱を紡ぐ。
そしてそれに呼応するようにバチバチ、とけたたましく鳴っていた稲妻が少しずつその勢いを失っていく。
「ふぅううううう!!」
まるでその手で稲妻そのものを封じ込めるかのようにぐっ、とトールの蹴りを掴む腕にさらに力を込めるレヴルス。
「っ! 『轟――ッ」
足を掴まれた不安定な状態のまま、しかしトールもまたその戦意は毛ほども喪失することはなく、むしろ湧き出た反逆の意志に従い再度詠唱を紡ごうとしたが、それをレヴルスが許しはしなかった。
「ぬぁあああああ!!」
僅かではあるがトールの力が弱まった隙を見逃さず、そして二の矢が継がれるその前に全力を持ってその肉体を地面へと叩きつける。
「がっ!」
まるで木の枝か布でも振り払うかのような動作と速度でトールは硬い地面へと叩きつけられその勢いのまま大きく上へと跳ねた。
*
「――ッ」
両者の一合は時間にすれば僅かに瞬きの間。
目の前で起きた出来事はアルーナの知る戦いといったものとは大きく異なる純粋な力のぶつかり合い。
離れた位置にいるにも関わらず、その力の奔流に巻き込まれてしまうのではないか、という本能的な恐れが脳内に走る。
それでも尚、直ぐにその頭を切り替えることが出来たのも彼女の持つ才能の一つと言えるのかもしれない。
じっ、と目は眼前の戦闘から逸らすことなく、しかしゆっくりとその足を動かしていく。
荒れ狂う雷とそれを受け止める鋼は今この一瞬その意識を互いから逸らすことが出来ないだろう。
故に好機は今。
「っ!!」
小さく息をつくと覚悟を決めて地面を蹴り、駆ける。
逃走――ではなく、その行先は先ほど穿たれ破壊された扉の向こう。
目指すは上、どこかにいるであろう仲間のもと。
――がっ!!
背後では何かと何かが猛烈な勢いで激突したかのような地鳴りと苦悶の声。
それに振り返ることもせず、アルーナは力の限りその足を前へと踏み出した。




