旋律は告げる-Side:M-
「君が侵入者、ということでいいのかな?」
先ほどの破壊の爪痕のように砂埃や小さな壁の欠片が散乱する室内。
突然そこに飛び込んできた俺を前にしても特段驚いた様子もなく男はこちらを見下ろしながらそう尋ねてきた。
「――」
その問いにうまく反応が出来なかったのはその表情と口調が実に平穏なものであり、何故そんな言葉をかけられるのかと、むしろそのことに俺が驚いてしまったからだ。
「フレヤ君が取り逃したのかな? けどまさかここにやってくるとはね」
顎に手を当て何事か思案するような素振りを見せる男。
「それとも、これも君の企てなのかな?」
じっ、と俺を捉えていたその瞳が別の方向に向く。
その視線の動きに釣られるようにして俺は背後を振り返ると、そこには。
「さて、どうだったかな」
真ん中から大きく割れた巨大なそれは円卓か何かだろうか。
役目を果たすことのできなくなった卓を背にするようにして老人が一人立っていた。
誰あろう俺が今ここにいる発端ともなった人物であり、俺がこの王国の中で名前と顔を知る数少ない人物の一人。
「――オルディン」
真っ二つに割れた円卓の前に立ち、あの時の宝玉がはめ込まれた杖を手に掲げるオルディン。
その姿が俺の知っているどこか飄々とし、淡々とした態度の彼のものとは異なるような気がして思わず名を呼んでしまう。
「おや? どうやら彼は君のことを知っているようだね」
「ふむ、そのようだな」
俺の呼びかけに答えることもなく、じっと互いに視線と言葉を交わす二名。
その会話に思わずオルディンの名を呼んでしまったことを今更ながらに後悔する。
一体今何が起こっているのか状況は俺にはわからない。
城壁が破壊されたのはこの部屋で何かが起こったからということは想像がついた。
そしてその原因が十中八九俺にある、ということも。
そんな破壊の只中に立ち、向き合っていた二人が穏やかに世間話をしていた、とは考えることはできず何らかのいざこざが起きていたのだろう。
そんな状況でさも知り合いであるかのようにその名を呼んでしまったことはオルディンと俺に繋がりがあることを示しているのと同じであり、彼にとって非常にまずいことをししてしまったのではないか、という思いが走る。
「まぁいいさ、説明の機会は十分に用意するからね」
とん、と男が一歩未だ立ち上がれないでいる俺、或いはその背後にいるオルディンへと一歩近づく。
「『Single-on』!」
それに反応したのはオルディンの声だった。
短く、しかし力が込められたその言葉に応えるようにしてオルディンの足元が淡く輝き、そして弾けるように何かが放たれた。
ッ――――――!!!
空気を裂き、音を割る速度で放たれたものは俺の目にはとても捉えきれなかった。
その目標が俺の脳天であったとしたら今頃俺は物言わぬ塊に変わっていたであろう。
しかしオルディンの元より射出されたそれは俺の傍らをかすめながら真っすぐに相対する男の元へと着弾し――
パァン――――――
と、まるで空気をためた袋を力任せに叩き割ったかのような破裂音を響かせた。
「――ッ?」
耳を叩いた音が予想外のものであり俺は思わず目を見開き、男に視線を戻す。
やはりというべきか、今この二人が平穏な状態ではないようだが今の一撃を男は対応できたのだろうか。
避けたにしても防いだにしても奇妙な音を響かせながらそれでも男は平然とそこに立っていた。
ただ、その周りの空間には何か小さな金属の欠片のようなものがキラキラと舞っていた。
「ふんっ」
その姿を見て忌々し気に言葉を吐いたのは先制したオルディンの方。
己の攻撃が決まらなかったことが気に食わないというよりも、そうなることは最初からわかっていたかのように吐き捨てる。
「ふう、流石は『魔翁』というべきだね。詠唱から発動まで実行できるとは。けれど――ここではそれが限界だ」
その視線と言葉を受け止めながら男はきっぱりと宣言するようにそう言い切った。
それでもその表情や口調には人を責め立てるような厳しさといったものは感じられず、あくまでも物腰は穏やかなものであった。
「そのようだな……では場所でも変えさせてもらえるかの?」
「残念ながらそれは遠慮してもらいたい。魔法の披露合戦になれば僕にはとても勝ち目はないからね」
「まったく、めんどうな」
オルディンの言葉に軽口のように返す男だが、本当にそう思っているのかもしれず、オルディンは小さくため息をつく。
「――ああ、ご安心を。結界は直ぐに閉じますので」
つかつか、と石の破片が散乱する床を歩き近づいていた男が突然足を止めながらそんなことを言った。
「?」
前を向いたままの男の言葉は俺でもオルディンでもなく、また別の誰かに対して向けられた言葉であり、俺は身体を起こす流れでその視線を追って――
その人形と目が合った。
「――ッ」
「……」
いつからいたのか、否、きっと最初からいたのだろう。
真っ二つに割れた巨大な円卓の傍らに隠れるわけでもなく、何かを構えるわけでもなく、ただ控えるようにして女が一人立っていた。
床にまで着きそうな程の長い髪、血色の薄い白い肌。
簡素さはそのまま清廉さを表しているかのような衣服に身を包みただ立っている姿は一瞬本当に城の中の彫像か何かと錯覚をしてしまった。
ただ――その目が俺を捉えていた。
色素の薄い色彩の瞳もまた人形のようであるが、しかしまるで熱が鉄をじわじわと伝わってくるかのように、その瞳は見ているだけで何かを俺に発していた。
怒り、驚愕、困惑、拒絶。
一体それが何かを分析する暇はなかったがただ確かに感情といえるものが瞳から瞳へと伝わり、それが目の前の女が生きた人間であるという証明にもなっていた。
「? まぁいいか。お互いここであまり騒ぎを長引かせたくはないだろう?」
じっ、と俺を見つめる女の姿が気にかかるのか男は僅かに怪訝な色を見せながらも直ぐにオルディンへと意識を戻し、更に一歩近づく。
「もちろん君が侵入者の確保に協力してくれるというのならそれは歓迎するよ」
ちらり、と俺に視線を向けながらそれでも今はオルディンが優先なのかそのまま傍らを通り過ぎるように歩を進め、
「これ以上は不要です――」
静かに響いたその声に足を止めた。
「……不要とは?」
俺の真横に立つ位置で足を止めた男はその視線をまっすぐにその視線をあの人形の女へと向けている。
「これ以上は。『裁典』アルフェム・ギィンライト・サダンクロス」
「……」
それが男の名なのか、静かにしかし旋律のように響く声でその名を呼ばれアルフェムと呼ばれた男は息を飲むように沈黙する。
女に呼び止められたこと、そしてその後に続く言葉を待つように。
「これよりは王、御自らが処罰を下します」
アルフェムもオルディンも俺も皆が黙してその言葉を待つ中、女は静かに、しかして明瞭にそう告げた。
それが一体何を意味しているのか、理解をするのには僅かに時間が必要だった。




