疾走、破壊
「うぉっ! ――とっとっとぉ!」
落下の勢いのまま足を動かす。
「―――!!」
背後、というよりも上空から聞こえる叫びは俺を呼び止めるものだったのかもしれないが生憎立ち止まることも聞いている余裕もありはしなかった。
足を動かし続けなければ体勢を崩し倒れてしまうだろう。
「ッ――」
走る、というよりも落ちている感覚の中、大樹を踏み外さないよう足元の感触を確かめる。
叫んでいた女――フレヤが追ってきているのかいないのかはわからないがまだ足場としている大樹は生えたままであった。
逃走のために利用させてもらっていたが元よりフレヤの魔法によって現れたものであり、或いは彼女の指先一つでたちどころに消えてしまう可能性も考えてはいたがこの状況でもまだ走っていられるということはその心配はなさそうであり、それならば今は足を動かすことに専念できる。
「ふっ――」
短く一度息を吐く。
人が走れるほどの直径を持った大樹は俺の落下の衝撃にもたゆむことなく力強くその根を張っており、その根本に向かうに連れてその太さも少しずつ増しているように感じる。
まずは逃走のことだけに動かしていた頭と身体であるが、根本に近づくたびに徐々に別のことを意識する。
それは即ちこの大樹がどこから伸びているのか、今自分が目指している場所がどこであるのか、ということ。
上からは見えず断定はできないが予想はできる。
だが、仮にそうだとしてもこの状況で他に取れる選択肢はなく今はただ一直線にこの道を駆け抜けていくしかない――ッ!
「――っと!!」
落下に等しい速度で風景が流れていく中俺の視界が捉えたものは――今なおボロボロと崩れているその大穴であった。
もしかしたらこの大樹の根本が別のところに繋がっているのでは、と思っていなかったわけでもなかったが現実は冷たいものであった。
しかしそれでも今更足を止めることはできず、それならばと今一度強く足場の樹を蹴ると俺はそのぽっかりと空いた大穴へ、王城の中へと飛び込んだ。
「ッ!!」
かなりの速度で飛翔した肉体は正確な着地をすることができず、地を捉えた足は勢いを制御することが出来ず体勢を崩すとそのまま全身で倒れこんでしまう。
「っう……」
ごろごろと何度か天地が入れ替わる感覚の後ようやく身体が停止する。
疾走により荒くなった呼吸や転げた痛みもあったが身体で感じる硬い床の感触、その確かな地面の感触にほっと安堵の気持が込み上げる。
「いっ……」
走りすぎたせいか、それとも今床を転がったためなのかぐるぐると方向感覚が確かでない頭を押さえつつ何とか身体を起こす。
とりあえずの逃走を試みて、それは成功したのかもしれないがそれでも状況は何も変わっていない。
むしろ俺が今いるここはまさに王国の中心そのものなのだから。
いつまでも寝転がってはいられず直ぐに大勢を立て直さねば。
そう思っていた俺の目の前に――
「……君が侵入者、ということでいいのかな?」
男が一人立っていた。
*
「……メルクさん」
瞬く間に揺れ動いた局面は王城の下にいたアルーナもまた捉えていた。
王城の外壁を上へと昇って行ったメルクの道行に邪魔が入らないように、万が一落下してきた際に何かができるように上を見上げていたアルーナであったがしかしそこで起きた出来事は彼女にとっては想定外のことばかりであった。
登頂していたメルクが大声で叫び始めたこともさることながらそれに呼応するように突如城壁が中から爆発したこと、そしてそこに空いた大穴から樹のような何かが伸びてきたことも全ては驚きでしかなかった。
壁に張り付いていたメルクが追い詰められている、と見てわかってはいても地上にいる彼女にはそこから何かをすることはできずもどかしい思いをしていたのだが、更にその不安の対象がその足場を飛び降りたというのであるから既に頭は困惑の極みであった。
一体何を、と声を上げそうになった彼女を他所にメルクはその足場を一息で駆け抜け、そして大穴の中に消えていってしまった。
「……」
普段は努めて冷静さを保っているアルーナであったが、流石にその一部始終を目の当たりにして自分はどうすればいいのだろうかと迷ってしまう。
このままここで待つ、という選択肢もある。
そもそも今こうしているのはメルク曰くはぐれたヘルマを探すための作戦、なのである。
実行されたのは中々に想定外の行為であったがあれならばヘルマが外にいる限りここにいることに気が付いた可能性は高く、ここで彼女との合流を果たすことができるかもしれない。
メルクもまた何らかの手段で脱出してくる可能性もあり、それならばここを離れるのは得策ではない。
しかし。
「っ……」
視線を上に挙げたまま小さく歯噛みをする。
可能性、という意味で言えば城の中へと飛び込んだメルクがそんな状況ではないことの方が遥かに現実的だ。
何しろそこは相手方の総本山。
決して兵力に力を注いでいる国ではないがそれでもわざわざ飛び込んできたネズミを取り逃がすほど穴だらけの袋ではないことは彼女自身がわかっている。
それを考えれば自分もまた城内へと乗り込むべきか、と足を一歩中へと続く扉へと踏み出しかけたところ――
――――――!!!
「!?」
背後から轟いた爆音がそれを止めた。
音と身体を叩く衝撃に反射的に振り返ると視線の先ではまるで間欠泉のように土煙が空へと立ち上っていた。
それが何であるのかはわからなかったがその位置はつい先ほどあの城壁に空いた大穴から飛び出した何かが落下した位置であるように思えた。
いや、正確には何かが飛び出したから壁に大穴が空いたのだな、と立ち上る煙を見ながらそんな呑気なことを考えていると――
「ぬぁああああああああああっ!!!」
轟音、そしてそれにも掻き消されない程の怒声と共に、そこから更に衝撃が飛んできた。
間に建っている建物などものの数にもないとでもいうかの如く、それは一直線に建物を破壊しながらアルーナの直ぐ脇を通り過ぎ、そして彼女が今まさに向かおうとしていた扉に激突するとそれを粉々に打ち砕いた。
「……っ!」
「――どうした『戦雷』。稽古が足りんのではないか?」
破壊された扉の方を向き、言葉を失うアルーナであったがその声にはっ、と意識が戻る。
振り返れば目の前にはまるで草むらを突風が撫で伏せたかのようにまっすぐに破壊の道が一本拓かれていた。
そしてその道に立ち込める土煙の中には黒い鉄の塊が一つ悠然と立ちこちらを向いていた。




