天を目指す-Side:M-
時は数刻前に遡る。
「何だ……今の?」
石造りの小さな部屋の中、突如響いた声に意味はないとわかっていても反射的に周囲を見回す。
ちらり、と横をみえればアルーナも怪訝な表情を浮かべており、これは彼女にとっても予想外の出来事であることがわかる。
ただ一人、オルディンだけが扉に手をかけたままその動きを止めていた。
「……まったく面倒なことばかり」
ふぅ、と小さくため息をつきながらその言葉の通り、本当に面倒くさそうな動作でオルディンはゆっくりとこちらを振り返えるとじっと俺を見つめてきた。
「お前も運がいいのか悪いのか」
「え?」
「お前たち、この後どうするつもりだ?」
向けられた表情と言葉の意味がわからず聞き返したのだがそれには答えることなく、オルディンは改めて俺たちの方にしっかりと向き直すとそう問いかけてきた。
「……」
「人を探すつもりだ」
その問いへの回答権は譲るとばかりに視線をよこしたアルーナに小さく頷きで返し、俺は答えた。
やらなければいけないこと、という意味では山ほどあるような気がしたが優先順位ははっきりとしていた。
「人? あぁそういえばもう一人小さいのがいたなそういえば。はぐれでもしたか?」
僅かに目を見開くオルディン。
俺の言葉は彼にとっては少し意外なものだったのかもしれない。
「まぁ……そういうところだよ」
「ふむ、まったく随分とのんびりとした侵入者よ」
俺とヘルマが二人でいることは昨晩のことから知っていたのだろうが、その数少ない仲間と忍び込んだ先で離れ離れになっているということが面白いのか、呆れているのか、少し表情を崩しながらオルディンは小さく呟く。
「あの、オルディン様先ほどのものは一体?」
そんなオルディンに対しアルーナはおずおずと問いかける。
結局のところ俺たちとオルディンは敵同士と言えるのかどうなのかよくわからないが生真面目なアルーナにとっては直属の上司であるということは変わらないようであり、その口調は少し硬いものであるように感じる。
「ん? あぁ気にするな。つまらん呼び出しだ」
声の主を睨むようにちらりと虚空を見つめる姿にはどこか不服そうな態度が見えるが、
「しかし、お前たちにとっては良い流れかもしれんな」
俺たちに向き直りそう言うその表情は何か愉快なものを見るようなそんな瞳をしていた。
*
そしてそこから僅かに時は進み。
「あの、メルクさん本当に大丈夫なんですか?」
「……多分」
その不安を隠すこともなく問いかけてくるアルーナに俺はのけ反る程に顔を上へと向けたまま答えるが自信満々というわけにはいかなかった。
いや、一応ここに来るまではそれなりに自信もらしきものもあったきはするのだが、いざ辿り着いてみるとみるみるそれは小さくしぼんでいってしまったように感じる。
「けど、本当にあっさりとだったな……」
自信が完全に失われ弱気が顔を覗かせる前にそれから目を逸らすように持ち上げていた顔を戻し辺りを見回す。
「もともと人が出歩くこともないのですが」
釣られて辺りを見るアルーナ。
大小様々な建物が規則正しく立ち並び石畳の地面には汚れやゴミなどなく、その風景だけでここがいかに正しく管理された空間であるかが見てわかる。
しかし一方管理が行き届いていながら人の気配が感じられない場所というのはまるで絵画や何かのような静止した世界を思わせそれが悪いものであるとは思わないが心温まる良い所、と思うこともできなかった。
「まぁそうでないと困るんだけどな」
念のため、というわけではないが辺りに人の気配がないことを確かめつつ俺は改めて「それ」を見上げる。
整備され管理された世界の中央に聳え立つ、ここれは象徴であり同時に本体。
目に見えるどの建造物よりも巨大、強大。
即ちヴァイラン王国の王城そのもの。
その真下に立ち、上を見上げると角度の問題からその頂点は最早はっきりと見ることもできない。
こんな場所俺という人間にはおよそ関わりがないはずなのにおかしなことに昨晩から一日と経たないうちに二度目の訪問となっていた。
「あの、本当に大丈夫なのですか?」
俺の視線が王城に向いたことで再びアルーナが念を押すように問いかけてくる。
「……あいつの言葉を信じるよ。それに今はそうするしかない」
俺を心配しての言葉と目であることは十分にわかっていたが、それはあえてしっかりと見ないことにした。
じっとしていると別の方法はないかと思考を巡らせることを言い訳にきっと足が動かなくなる。
「こう見えても結構身体を動かすことは得意なんだ」
アルーナと自分自身を安心させるため、そんなことを言いながら一度大きく息を吐くと俺は手を固い城壁へと伸ばし、僅かに出っ張った個所を力強く掴んだ。
「ここにいますので、どうか下のことはお気になさらず」
そして旅立つものを見送るアルーナに俺は頼む、と頷くと腕に力を込め己の身体を持ち上げ、ゆっくりと聳える王城のその外壁を上へと昇り始めた。
「……」
大地という足場から自ら離れ、己の重量を一身に感じる中、思い出されるのはあの部屋での老人の言葉。
*
「良い流れ?」
意味ありげな表情を浮かべるオルディンに俺は何やら不気味なものを感じつつもそう尋ねてみる。
「今の声だが、あれは全局全室長に向けた招集だ。つまり儂も行かねばならないのだが」
俺の質問に答えているのかいないのか、オルディンはまくしたてるように話を始めた。
「議題はまぁ十中八九お前を早く捕らえろということだろうが、要するに直属隊の最上位は皆そちらに出向くことになる」
話ながらくるり、と背を向けると再び扉に手をかける。
どうやらその招集とやらに応じてどこかに行くのだろうが、結局それと先ほどの言葉のつながりがよくわからずぼんやりと聞いているしかない俺に
「今から一時の間、ここら一帯に人目は完全になくなる。この国の連中は指示なく動くものはまずいない」
まぁたまに例外はおるが、と背中を向けたままそう言われるがやはり意味はよくわからない。
「人探しなら今が最後の好機ということだ。だが、のんびりしている暇はないぞ? 王からの指示が下りれば今度は国中総出で賊探しだ」
地の底にいるものが天から垂れた糸を見つけたような希望とその糸が間もなく切れると知らされる絶望。
その両方を同時に受け、困惑をしている俺をオルディンは肩越しにちらりと見やると
「迷い人を見つけるなら高い所からよ」
背中を叩くかのようなそれは助言なのか、さらに下へと突き落とす一押しなのか与えられた言葉の意味を俺が飲み込む前に老人は扉を開けると今度こそ部屋を出てどこかへと去っていった。
「……」
「……」
狭い石の部屋に取り残された俺とアルーナはただ顔を見合わせることしかできなかった。




