これは決して閑話ではない
「大権は未だ戻らず。一意専心にて事にあたれ」
以上が王の言葉です、と一人現れた女は美しく、それでいて圧が込められた声色で実に短くそう言った。
そしてそれで話は終わりとばかりに口を噤みそれ以上は何も言わない。
長い髪は床に接着しそうな程であるがしかし絹糸の如く手入れをされ部屋に差し込む日の光に淡く反射している。
その均整の取れた外見、感情らしきものが伺えない表情は人間ではなく精巧に作られた自動人形か何かではないか、と思うこともある。
「――」
無論、己の目で見てそれは違うとオルディンはわかってはいる。
この国の中枢、全8名の室長のうちその5人を前にしているにも関わらず凛とした姿で立つ女の表情には恐れも緊張もありはしない。
しかしそれでも彼女は生きた人間であることはわかる。
時折こうして王の言葉を代弁するときにだけ姿を現す人形が如き人物。
思えば名前も聞いたことがないが尋ねたところで返答など帰ってくるはずもない。
これが王の言葉しか受け取らず王の言葉のみを伝える存在であることは既によくわかっているのだから。
「……」
たった告げられた言葉をオルディンは目を伏せただ黙って飲み込んだ。
いちいち人を集めておいてたったそれだけか、と憤ることなどない。
そもそもこの場で白熱した議論が巻き起こるなどとは最初から思ってもいなかったし、それは今ここにいる全員がそうなのだろう。
ちらり、と視線を向ければ卓を囲む他の4人もまた感情を表に出すこともなく黙してそれを聞いていた。
ただオルディンにはどうにも気にかかっていることがある。
話を終えた女が帰りもせずに居座り続けていることが、ではない。
ただ、何故一日に二度も我々が呼びたてられたのか、という一点のみがオルディンに思考を巡らせていた。
(何を考えている?)
「――どうなっている」
まさかオルディンの心を読んだわけでもないだろうが静けさが満ちていた空間に声が響く。
先ほどまでの女の言葉が体内から感情を震わせる旋律であるとすれば今のは首元に刃を当てられたそれに近い。
共に人の心を動かす、という点では同じかもしれないがその方法はまるで異なる。
並の人間であれば例え己に罪がなくとも罪を認めてしまいそうになる、そんな威圧を以って一人の男が口を開いた。
「答えろ。トール」
重厚な黒い鎧に身を包む男は顔も何も見えはしない。
ただ、その鎧は至る箇所が鋭く研がれ触れることすら危険であることだけは見てわかる。
他者との交流を拒むことの主張であるかの如き鎧を纏い、男は静かに対面に座る青年にその言葉の刃の切っ先を定めた。
「あぁ?」
青年とて己に向けられた刃の鋭さがわからないわけではないだろう。
しかしトールと呼ばれた青年は己の不機嫌という感情を包み隠そうともせず、むしろ突っかかってくるものには今にも食って掛かりそうな表情で男を睨み返した。
「勇んで飛び出したのだ、まさか武勲の一つもなしとは言うまい? 『戦雷』よ」
「はっ!」
『戦雷』と皮肉交じりに己が二つ名を呼ばれトールはしかしまったく興味もなさそうに吐き捨てた。
そんなトールの態度が気に食わないのか鎧の男は組んだ腕に力を込めた。
外からはその鎧の奥は見てわからないが恐らく表情が穏やかな笑顔でないことだけは明らかである。
「ヴァンデルハミッシュが暴れていたな? あれが賊を捕らえたとも聞かんが貴様ら規律室はただ騒ぎが好きなだけか?」
「バカか、レヴルス? 仮に捕えてたってヴァンデルハミッシュが気真面目に報告してくるわけねぇだろ」
「けれど自分の部下の手綱くらい握っているべきじゃないかい? 君たち規律室がこの国の規則を守るのだからね」
レヴルスと呼ばれた鎧の男とトールがにらみ合いながら互いに鋭い言葉を交わしていたところ、オルディンの隣に座っていた若者が一人割り込むように口を挟んだ。
「ヴァンデルハミッシュ君は優秀な人物だけど荒事を起こしやすいのは確かだ。その管理は君がしっかりとして然るべきじゃないかな?」
物腰は穏やかながら怒り心頭といったトールに対しはっきりと若者は己の意見を述べた。
「はっ! だったら今日からお前の部下にでもしてやろうかアルフェム?」
「いや、それは遠慮しておくよ。僕では彼に殺されてしまいかねないからね。そういう意味でも君が彼を一番御しきれるんだよ」
と、冗談なのか本気なのかわからないトールの提案を若者――アルフェムはあっさりと受け流すように却下した。
「それで? 王の話を聞いていの一番で駆け出して行ったわけだけど、何か戦果はあったのかい?」
先ほどまでのレヴルスとトールのひりつく様な会話から一転いつの間にか進行の主導権はアルフェムに握られ、穏やかにトールへと問いかけた。
「ま、あったらここに置いてあっただろうな」
その問いに不機嫌そうに肘をついている円卓に視線を向けながらトールは短くそう返す。
それが問いに対する明確な答えではないことは彼自身も分かっていた。
戦果がないことはともかく、飛び出していったあと具体的にその場で何があったのか、何を見たのかといった点についてはあえてはっきりとは答えなかった。
「なぁんだ、珍しく来てたから何かあったと思ったのにぃ」
そんなトールの答えを聞き円卓を囲む最後の一人、今まで黙っていた女が退屈そうにそう呟いた。
「けど珍しいといえば……ファウマスは何やってんのよぉ」
うぅーん、と疲れたのか椅子に座りながら大きく背伸びをしつつ、その視線を空いた席の一つに向け、そう続けた。
空席は3つあるがそのうちの一つが空いていることは確かに珍しいことであった。
「そうだね、彼が招集に応じないなんて珍しい。またぞろ誰かに説法でもしているのかと思っていたんだけど、君は知らないのかいフレヤ君?」
ふむ、と何かを思案するように顎に手を当てながらアルフェムがそう尋ねるがフレヤと呼ばれた女性はただ首を横に振るだけだ。
「なぁんで私が知ってるのよ。保安局って言ってもあっちのことなんて知りもしないわよ」
「――話を戻すぞ」
フレヤがはぁ、と大きく欠伸をしながら僅かに癖のある髪をいじり始めた頃、空気の弛緩を感じたのか鎧の男レヴルスが重量のある声で話を断ち切った。
「『戦雷』に戦果がないことはわかった。では賊の行方はようとして不明ということか? 王の懸念はそこにあると?」
腕を組んだままそう語るレヴルス。
その頭部こそ動いてはいないが、その視線は今ここに集まるもの全てを射抜くように見ていることが気配で分かる。
「そうだね、こうなっては誰の手柄ということでもないだろう。全局の力を結集して事に当たるべきだ。それは王の意向でもあるだろうしね」
「……」
レヴルスの言葉に賛同を示すアルフェム。
王のため、王の意向、という表現が気に入らずトールは憮然とした態度であるがしかしそれを殊更に咎める者もいない。
「ではさっそくだけど方針でも固めるかい? 地味ではあるがここは人海戦術でも――」
「まだです」
アルフェムが再び会話の主導権を握りかけ話を進めていこうとしたところ、声がそれを遮った。
静かな、美しい奏での如き声は今の今までこの会話に割り込むこともせず、しかし立ち去ることもしていなかった人形の女のものだった。
「まだ、語っていないものがいます」
それは異様なことであり、声を聞く5人の室長たちは表にこそ出さないが内心では多少の驚きを感じていた。
この人形の如き女は決して自らの言葉は持たず、ただ王の伝言を伝えるのみであり、要件が終わればいずこかへと消えていくのが常だというのに。
それが今口を動かしている。
それが語り忘れた王の言葉――などではなく、女自らの言葉であることは明らかであった。
「貴方の知っていることを語りなさい。『魔翁』オルディン・アブルスラーム」
そしてその静かな目をすっと今まで沈黙を貫いてきた人物へと向けた。
「ふむ……」
己が二つ名と共に名指しを受け、それでも尚オルディンはただ己の髭を撫でながらぼんやりと答えるのみだった。




