声は奏でる-Side:M-
これは一体。
これは一体どういうことか。
柔らかな椅子に腰かけながらオルディンはその顔にこそ出すことはないが内心では思考を深く巡らせていた。
脳が思考を巡らせている間、手持ち無沙汰の手は無意識に手元の者に触れる。
その感触だけで樹齢とそこに宿る自然の息吹を感じるような大きく、光沢のある木製の円卓。
部屋の中にあるものと言えばその卓と椅子程度のものであるがしかし決して殺風景とは思わない。
複雑な紋様が刻まれた壁や目を見張る絵が描かれた天井、そして輝く窓枠や鏡のように磨かれた床板などこの部屋を構成する一つ一つがおよそ質という概念においてその頂点を目指しており、なまじ余計なものがないということが一層この部屋の格式を高いものとしていた。
などと、普段であればぼんやりと部屋でも見回しながらこの後のことでも考えているのだが今に限ってはそうした余計なことは頭に浮かんでくることはなかった。
「……」
ちらり、と周囲を見やる。
巨大な円卓を囲む椅子は8つ。
そしてそこに腰かけるのは自身を入れて5人。
全員が揃うことは期待もできないがそれでも召集を受けたものはほぼ来ているのだろう。
普段であればいるはずの者がおらず、そして来ないと思っていたものがいたりとその面々は多少予想とは異なっていたのだが。
しかしいずれにしても今この国の中枢に立つ人間のそのほとんどがここに集まっているということは間違いがない。
「定刻です」
その空間に静かな、竪琴の心地よい音色を思わせるような声が響く。
元より誰かが騒いでいたわけでもないがその言葉に一層場がしん、と静まり返ったのは決して思い違いではないだろう。
「お集まりいただいておりますね」
何もない部屋ではあるが当然扉はある。
そしてこの部屋には扉が二つ。
一つは我々招かれたものが入るための扉。
そしてもう一つはそれとは反対、招いたものが控えている場所へと繋がる扉。
部屋の奥、誰も開けることのない大きな扉がゆっくりと開く。
厳かともいえるような光景に見慣れないものはそれだけで頭を垂れたくもなるかもしれない。
無論、今ここにいる面々にとっては既に何度か見た景色ではあるが、しかしそれでも一応は皆無言で敬意だけは示す。
「お聞きなさい。王の言葉です」
扉の向こうから現れた一人の女は部屋に一歩踏み入ると挨拶もなくいきなりそう切り出した。
静かでありながらしかし口を挟むことも憚られる圧のある言葉と姿。
それ自体は慣れたことであり唐突とも思わない。
ただ、これから何が語られるか、それだけがオルディンにとって唯一気にかかることであり、思考は緩やかについ数刻前のこと、こことは正反対のあの石造りの小さな部屋での出来事に巻き戻る。
*
「何だって?」
狭い石作りの部屋には音はよく反響し、何かの聞き間違いかと思ってそう尋ねた俺の声が虚しく響いたように感じた。
「ん? 何、この国をひっくり返すこともお前の力ならできるかもな、と思っているだけよ」
「……それは一体」
問いかけに目の前の老人オルディンが実にあっさりとそう返すので流石にアルーナも少し目を見開き己の耳を疑うようにそう尋ねる。
オルディンが今口走ったこと、それはどう考えればと思考を巡らせるほど深遠な言葉ではないような気がする。
ただこの男は俺の力でこの国がめちゃくちゃになるのを期待しているとそう言ったのではないかだろうか。
「貴様までどうしたゴルドシルドの娘。頭が茹る程の謎かけをしているつもりはないぞ?」
珍しく困惑を表に出すアルーナにオルディンはやや呆れた様にそう返すがしかし当の彼女はそれにうまく反応が出来ずにいる。
「いえ、その……」
「あんたはこの国の人間なんじゃないのか?」
混乱しているのは上手く己の疑問をアルーナに言葉にできないでいるアルーナに代わり俺は端的に尋ねた。
即ち、このヴァイラン王国の味方なのか、或いは敵なのか、ということ。
「ふむ」
俺なりに鋭く問いかけたつもりではあったがオルディンは蓄えた髭を撫でながらのんびりと壁を見つめている。
「何も血生臭いことを期待しているわけではない。ただ凝り固まったものが好かんのでな。別にそういうことになってもいいと思っているだけのことよ」
そして語るのはやはり変わらぬ言葉。
「むぅ……」
はぐらかされているのか、或いは俺には理解できないだけなのか、結局のところオルディンが何を考えているのかわからず思わず小さく唸ってしまう。
「そのためにここに来られたのですか?」
一方でそんな俺とは異なりアルーナの思考は既にその先に進んでいるようだった。
いつの間にか場の雰囲気に流されるようにして忘れていたが確かにそれは真っ先に確かめなければならないことであった。
「ん? あぁ、まぁ大きな目的はこれだがな。早く回収しとかんといつその小僧がいなくなるかもわからんからな」
アルーナの問いにオルディンは自身の胸を叩きながら俺を見つめてくる。
叩いた胸には先ほど返した朱い宝玉が仕舞われており、それを示しているのだろう。
「ではな。これからどうするかは好きにしろ」
そして本当にそれで目的は果たしたのだろうか、オルディンはゆっくりと席を立つと俺たちに背を向けながら短くそう言った。
好きにしろ、という言葉が俺だけに向けられているわけではないことはわかった。
「はい」
傍らのアルーナがそれを受け小さく頭を下げたのが振り返りもせずにわかるのか、ふむ、と頷くように息を漏らしオルディンは古びた木の扉に手をかけた。
本来であれば裏切り者と裁かれてもおかしくないアルーナをオルディンは見逃した。
この老人もまた裏切り者だからなのか、或いは何か別の考えがあるのか、或いはただの気まぐれなのか、それはわからなかったが別に何も気にしていないという風に実にあっさりとオルディンは部屋を出ようとした。
その瞬間――
『勅令、全局全室長に告ぐ。勅令』
短く、しかし有無を言わせぬ圧が込められた声がどこからともなく響いてきた。
「――!?」
ばっ、と周囲を見回すが当然誰もいない。
姿は見えないがまるで耳元に語り掛けられるような言葉はまるで先ほどの出来事を思い出させるがしかし今聞こえたのは静かな、竪琴から奏でられるような女の声だった。
「今のは……」
それはアルーナにも聞こえたらしいがしかし今回は彼女も少し困惑をしている様子だった。
あの時の王の言葉とは異なりこれはアルーナにも予想外のことだったのだろう。
「……ふぅ」
そしてもう一人、今まさに部屋を出ていこうとしていたオルディンもまたそれを聞き、一度短くため息を漏らした。
「まったく偶然か? いや、しかしどう転がるか」
扉に手をかけたまま俺たちに振り返ることもなく、ただ虚空に向かって一人何かを考えるようにオルディンはそう呟いた。




