返されるもの、癒されるもの-Side:M-
「あんたは……」
老人の登場に俺は言葉を失う。
ここまで瞬く間に様々な出来事が起こっているが俺とヘルマが初めて城壁の中に入ってからまだ一日と経ってもいないのである。
故にその顔を忘れるはずもない。
あの時、防衛装置であったゴーレムを操り俺たちの前に立ちはだかったこのオルディンの顔を。
「……」
その突然の訪問に困惑が隠せない俺とは対照的に傍らのアルーナは何も言わずただじっとオルディンを見つめるだけだ。
緊張によるものなのか警戒心から来るものなのか、その視線には険しいものがあるように見える。
「まぁ待て、そんな顔をするな」
俺の困惑とアルーナの鋭い視線を受けながらオルディンは大して気にしている風でもなくそんなことを言いながらつかつかと部屋の中に入ると静かに扉を閉める。
「おはようございます。オルディン様」
その姿にアルーナは小さく頭を下げながらそんな挨拶を口にした。
そう言えば、この王国においてアルーナは魔法開発室という部門に所属しているといい、その魔法開発室の室長なる立場にあるのが他ならぬオルディンである、ということを今更ながらに思い出した。
つまるところ、アルーナとオルディンは直属の上下関係にある、ということなのだ。
そう考えれば今の挨拶はその立場から口にしたものだったのかもしれないが、しかしこの状況は明らかにアルーナにとってよろしくないと言えるのではないか。
オルディンは俺が昨晩の侵入者であるということを知っており、既に俺はオルディンと一戦を交えているのだ。
敵と一緒にいるところを見咎めたわけであるがアルーナはそれでも平気でそんなことを口にしたのだろうか。
「堅苦しい挨拶はよせ。今や敵同士だ」
そんな俺の不安を他所にオルディンはつまらなそうにそう言うとつかつかとこちらに近づいてくる。
何をするつもりか、と身構えた俺と反対にアルーナが静かに席を立つと入れ替わるようにそこにオルディンは腰かけた。
その実に連携の取れた動きに少し気が抜けてしまう。
しかし、今オルディンが口走ったことは聞き逃すことが出来ない。
今や敵同士――そうはっきりと奴はいった。
それは当然彼女も聞いていたはずであるがそんなことは気にもしていないように席を立ったアルーナは今度は俺の寝ている寝台の隅の方にゆっくりと座った。
「……」
全く予想外の来客であったはずなのに、瞬く間に三者は世間話でもするように各々楽な体勢を取っており俺は一体何が起こっているのかと拍子抜けをしてしまう。
「よくここがおわかりになりましたね」
「ふむ、ネズミが隠れるは地の底と決まっておる」
そんな風に呆けてしまう俺を他所に静かな会話を始めるアルーナとオルディン。
本当に世間話でもしているかのようにも錯覚してしまうがしかしそう言葉を交わす両者の間には僅かにひりつくような緊張が走っているように俺には感じられた。
「だいたいここはブルーム、お前の祖父が作った作業場ではないか。儂が知らぬとでも思ったか?」
ふっ、と軽く部屋を見回しながらオルディンはそう呟いた。
俺はこのオルディンという男のことなどはっきり言って何も知らないのだが、その遠くを見るような表情にはどこか今までの印象とは違うものを感じられた。
「そうでしたか……いえ、当然といえば当然ですね」
その言葉にアルーナも静かに何かを納得した様子だった。
オルディンの口から出たブルームという名前に聞き覚えはなかったがどうやらアルーナの祖父ということらしい。
俺にはわかりかねることではあるが王国の人間同士、過去からの繋がりがあるのだろう。
「それで、我々を捕らえに来たということですか」
「ん? あぁそれもあるが、まぁそれは後でもいいとして」
と、話に割り込むこともできずぼんやりとそのやり取りを聞いていた俺にオルディンがその視線を向けてきた。
「その前にほれ、儂に返すものがあるだろ」
「え?」
いきなり話が振られ反応ができない俺にオルディンは何かを催促してくるようにその手をこちらに差し出してくる。
返すもの――と言われても。
「あ、ああ」
一体何のことだと他人事のようにぼんやりと考えているうちにようやくそれに思い至る。
昨晩、俺とオルディンは相対した。
それは戦いと言えるほど秩序だったものでもなく、またその戦力だってとても対等だったとは思えない。
しかし、それでも尚俺が生き延びることが出来たのは――
「えっと、これのことか?」
一度は気を失った俺であったが腰に下げていた麻袋はまだしっかりと付いたままであり、俺はいそいそとそれを開けると中からそれを取り出して見せた。
深い朱に染まる宝玉を。
「これは……」
俺が取り出したものにアルーナは僅かに眉を上げながら呟く。
そう言えばこれはアルーナには見せていなかったのだったか。
「ふむ、ちゃんと捨てずに持っていたか」
そんなアルーナを他所に感心感心、などと言いながらオルディンは差し出された宝玉をぱっと取り上げると懐に仕舞う。
そう言えばあの時、この宝玉が収められていた杖を今は持っていないということに気が付く。
「メルクさん、そんなこともしていたんですか?」
と、目の前で実にあっさりと繰り広げられるやり取りがさぞ気になったのか、アルーナは僅かに呆れた口調でそう言ってきた。
「いや、そんなことって言われても……」
怒られているような、驚かれているような言われように少し委縮してしまう。
確かにいきなりそんなものを取り出したとあっては手癖の悪い動物のようでもあるが、しかしあの時はこうするほかなく、そして何よりこうして返すためにしっかりと持ち歩いていたのだからむしろそこは評価してほしい、などとも思ったがそれはそれで口にしたら面倒そうだったのでやめておいた。
「全く、奇妙なものよ――」
と、じっと向けられるアルーナの視線に気が向いていたところ、オルディンの手が宝玉を渡し宙に浮いたままの俺の手を掴んだ。
「!?」
瞬間、反射的に手を引こうとするがその力は強く引き剥がすことができない。
油断した――と僅かに血の気が引く感覚が走る。
何となく気が抜けてしまうようなどこか穏やかな雰囲気が流れていたが、先ほどオルディン自身が言っていたように俺とこの男は敵対する関係だ。
その二人がこんな間近でぼんやりと向かい合っていることの方が異常な状態でありそこで気を抜いてしまうということは言い訳の一つもできない俺の甘さであった。
「っ――?」
手をがっしりと掴まれる。
両者に距離は最早ない。
あまりにも瞬間的な出来事に空いた手で抵抗することもできず、できたことと言えばただ身体を緊張で硬くすることだけ。
そんな俺の手をオルディンは二、三度軽く虫でも払うように叩くと――
そのままあっさりと手放した。
「――え?」
「大した魔法脈もない癖に無理やり飲み込もうとした反動だな」
困惑と緊張で僅かに息の上がった俺にオルディンは変わらず淡々とした口調でそれだけを言ってきた。
「多少痛みは抜けたはずだがな」
椅子に腰かけじっと見つめられ俺は思わず今掴まれた手を見つめる。
「……確かに」
そして、先ほどまでとは少し感覚が違うことに気が付く。
別に動かせない程でもなかったが僅かにあった腕の違和感が今は完全になくなっていた。
それがオルディンの先ほどの行為によるものなのだろうか。
「流石ですね」
「ふむ、荒療治よ」
俺自身は今されたことに理解が追い付いていないが、アルーナは短く称賛の言葉を述べオルディンはそれにつまらなそうに答える。
どうやらやはりあれが何らかの回復のための行為であったことは確かなようだ。
「えっと……感謝していいのか?」
「当たり前だ」
ようやく理解が追い付いたような気がしたので一応そう言ってみるとオルディンは憮然とした態度でそう返してきた。
「そうか、助かったよ」
そう言われたから、というわけではないが素直に感謝の意を伝える。
あまりにも唐突で理由も不明だがそれでも身体を治してくれたことは事実なのだからそう言ったのだがオルディンは気にするな、と短く返す。
「儂としても興味深いものだったのでな」
感謝を伝えられ照れているわけでもなく、謙遜しているわけでもなくオルディンは俺の手を見つめながら、
「それに、その力であれば或いはこの国をひっくり返せるかもしれんしの」
実にあっさりとそんなことを口走ったのだった。




