セイプル・グニム
「……何なんだあいつは」
先ほどまでの騒ぎから一転し静寂が包む部屋の中でようやく口をついて出たのはそんな言葉だった。
突如現れ全てを荒らして去っていった男――ヴァンデルハミッシュ。
その存在の異様さもさることながら、その力は平原で相手にしたような明らかに兵士たちとは一線を画していた。
「国王直属隊兵士局規律室室長長補佐――ヴァンデルハミッシュ・アイナムバーン候。或いは『白鯨』と呼ばれる人物です」
「……何なんだよ」
俺の問いに簡潔にそれだけを答えるアルーナ。
しかしそう言われも王国の人間である、ということが分かった程度で結局あいつが何者なのかはさっぱりわからない。
「私も直接言葉を交わしたのはこれが初めてでしたが」
そう付け足すアルーナの声や表情には隠し切れ疲労の色が見える。
立ち上がりこうして話してはいるものの、アルーナもまた俺と同じく奴の攻撃を受けていたのだ、その身体に負傷がないわけがない。
その痛みを押して俺を止めてくれたのだ、と今更ながらに申し訳ない思いがする。
しかし――
「お待ちください」
吹き抜けとなった天井を見て、開け放たれた扉に向かい歩みだそうとしたところをアルーナの声が止めた。
「見てなかったのか!?」
その言葉の意味が理解できず、つい声を荒らげて返してしまう。
――ヘルマが吹き飛ばされた。
色々なことが起こりすぎ、身体も傷ついたままであるが今は彼女を探しに行くことこそが最優先であるはずだ、と駆け出そうとする俺に対し、
「見ていました。それでも今はお待ちください」
じっと俺の顔を見つめながらアルーナは静かにそう告げた。
「っ! 何でだよ!?」
押し問答のようなやり取りに段々と腹が立ってきて喧嘩腰になってしまう。
或いは俺の身体を思っての言葉だったのかもしれないが、それは無用な心遣いである。
アルーナがここに留まるというのであれば俺一人でも探しに行く、と構わず外へ出ようとするところ腕を掴まれ止められる。
「今、この時に外へ出てはいけません。総ては見られています」
「……?」
意味はわからないが、俺を見つめるその表情にはどこか緊張と怖れのようなものがあるように見え、俺は足を止めずにはいられなかった。
*
天地が上下する。
否、既に上下も左右も前後の感覚もない。
突如として吹き荒れた風に部屋中の本や何やらが舞い、慌てて姿勢を低くした。
それは飛ばされまいとしての本能的な行動であったが、それならばもっと重たいなにかにでも掴まっておけばよかった、と思ったりもした。
しかしその思いが後悔となる前に己の身体はふわり、と硬い床から解き放たれていた。
つい先刻、冷たい水路に落下した時にも感じた浮遊感。
だが、ほんの一瞬だったあの時とは違い、今度はその感覚がいつまでも続いている。
「!」
瞬間的にばたばたと手を動かしてみるが何かを掴むこともできない。
助けを呼ぶことも、助かる道を探すこともできないうちに、どんどんと世界が遠くなる。
俯瞰した視界の中、壁に叩きつけられ天を見上げた彼と目が合ったような気がしたがしかしだからといって何かが出来たわけでもなく、その姿は瞬く間に小さくなって見えなくなった。
その後はただ視界一杯に青い空と大きな大きな城だけが見えた。
*
「――――――」
光が飛び込んでくる。
眩しさに一瞬困惑するがすぐにそれは自身が瞼を開けたためだと気がつく。
木で作られた質素な天井とその中央に取り付けられた小さな灯りがぼんやりと揺れているのが見えた。
「……」
仰向けの体勢でそれを見上げているようだったが事の前後が理解わからず反応ができない。
「うわ、生きてた」
と、ぼんやりと目を開けていると小さな声が聞こえた。
「あっ、あのぉ……」
声はすぐ横から聞こえてきたので顔だけをそちらに向ける。
「わわっ」
視線が合った瞬間、小さな影が小さな悲鳴をあげ、びくっとはねる。
「……?」
その反応はよくわからなかったがとりあえず身体を起こす。
しかし何だかどっと疲れたように力が入らずそれだけで一苦労してしまった。
「おっ、起きて大丈夫?」
か細くて聞き漏らしてしまいそうではあるが声は心配をしたようにそう尋ねてくる。
「??」
部屋を照らす明かりもまた小さなものであり隅の方は薄暗く目を凝らさないとよく見えなかった。
「あ、あはは……」
薄暗い部屋の隅、簡素な木で組まれた作業机らしきものの陰に隠れるようにして――実際には隠れてもいないが、少年のような、少女のような子供がこちらを覗き、愛想笑いを浮かべていた。
「ここ……は?」
きょろきょろと辺りを見回す。
小さく暗い部屋、そこに置かれたベッドに寝ていたようであるが、しかしわかるのはそれだけであった。
「ここ……僕の部屋。あ、あの君、空から落ちてきたんだけど……大丈夫?」
たどたどしい口ぶりながらもそう言われ何となく先ほどまでの記憶が甦ってきたような気がする。
とは言えそれは吹き飛ばされ、天高く舞ったという思い出したくもない記憶でもあったが。
「そっか、私……」
なので感想などもなく、今はぼんやりとそう呟くしかできなかった。
「あのぅ……ぼ、僕はセイプル、セイプル・グニム・・・き、君は誰?」
おどおどとしているのか、しっかりとしているのか、物陰に隠れながらもいきなり自己紹介をしてきたセイプルに反射的に頭を下げて応える。
「わ、私はヘルマ、ヘルマ・メイギス。あの、助けてくれたの?ありがとう」
「あ、いや……」
双方名乗りをあげ、そして沈黙が流れる。
何とも言えない形であったがこうして少女ヘルマは少年(少女?)セイプルと出会ったのであった。




