荒れ狂う力
「……」
目と目が合う。
先ほどまでの余裕と悦に浸るような瞳がほんの一瞬だけ驚愕に見開かれる。
「……」
突然の襲撃から瞬く間に色々なことが起きた気がしたがようやく相手の顔をまじまじと見ることが出来たような気がする。
間近で捉えたその男から目を逸らしはせず、帆のように揺らめいていた白いマントを確かに握りしめた手から力を抜くこともない。
まるで扇を振って風を起こすように、振るわれること二度、その力の奔流を見せたそれが今俺の手に握られているがこうしていると何の変哲もないものである。
否――
俺が掴んだからこそそうなっている、と考えていいのかもしれない。
昨晩、オルディンの杖から宝玉を奪い取ったとき、それまで動いていたゴーレムたちは皆糸が切れた様に地面へと倒れ伏した。
あの宝玉を通じてゴーレムたちに力が伝えられており、それが失われたことでそうなったと考えれば、それと同じように姿なき衝撃の根源であるこの純白の布を掴むことで俺の力がそれを封じている。
そう考え特攻まがいの行動を打ち、そして結果としてはこうなった。
「はっ」
今、俺は一体どんな表情をしているのだろう。
己の予想がうまくいったと喜びに頬が緩んでいるのか、あるいは決死の一手が決まり安堵の表情でも浮かべているのか。
それはわからないがしかし少なくとも目の前の男のように心の底からの笑顔などは浮かべてはいなかっただろう。
「ははははははははははっ!」
自身の武器ともいえるだろうマントを掴まれ、攻撃は不発に終わった。
ヴァンデルハミッシュからすればそれは想定外のことのはずであり、ともすれば困惑の一つでもするのが普通だと思っていたのだが、男はやはり愉快そうに笑うのみだった。
「なんだこれは? 今何かしたのか? さっぱりわからなかったぞ」
口角を吊り上げ、実に興味深いという風にヴァンデルハミッシュは尋ねてきた。
――心の底からの笑顔というのは訂正だ。
言葉も、その声色も笑ってはいるがその瞳の奥は得物を狙う獣のようにまっすぐに俺を捉え逃そうとはしておらず、その心中の最も根源の部分ではこの男は笑ってなどいないのだ。
「っ! 逃げろ!」
たまらず俺は背後の2人に向かって叫ぶ。
この男は危険である、本能で感じた危機感が理性を追い越して口を動かしていた。
「はははははっ、質問に答えてくれないか?何故私の魔法が発動されない、君の力なのかな?」
そんな俺の焦燥すらもが愉快であるかのように笑いながらヴァンデルハミッシュがマントを握ったままの俺の腕を掴む。
「っ……!」
ひやり、と冷たいものが背筋を伝うような感覚。
ただ素手で掴まれているだけだというのに、瞬間的にそんな恐怖にも似たものが走る。
もとよりマントを掴んだ手を離すつもりなどなかったが、仮に俺が離していたとしてもヴァンデルハミッシュの手が逃げることを許しはしないだろう。
「まったく面倒だ」
静かにそう言ったヴァンデルハミッシュ。
面倒だ、といいながらもその顔から笑みが消えることはなく、この状況が愉快で仕方がないというそんな顔をしたまま――
「――『力、鎮まるものをも飲み干さん』!!」
その口が言の葉を紡ぐ。
それがただの言葉ではなく、何らかの呪文であると理解した時には既に遅かった。
いや、仮に気が付いていたとしても意味はあったのだろうか。
目に見えない衝撃からは気が付いていたとしても逃れることなどできはしなかっただろう。
「っ!!??」
身体が揺れる。
白いマントを掴んでいる俺の身体がそのマントと共にバサバサと空中で揺れる。
ォォォォォォオオオオオ――
という地鳴りのような音が響き渡る。
暴風――などというには生ぬるい圧倒的力の奔流がヴァンデルハミッシュを中心に吹き荒れ俺はマントと一体になったかのように空中ではためく。
「うぉおお!!!!」
小さな部屋の中に嵐が巻き起こる。
積み上げられた本は飛び散り、部屋全体がギシギシと衝撃に軋む。
「わわわ!!」
「っ!!」
突如巻き起こる風に吹き飛ばされまいと床にしゃがみ込むヘルマとアルーナが視界の端に見える。
俺はぎゅっと手に力を込める。
離すまい、と強い意志を持って白い布を掴んでいた手。
それは相手を逃がさないためであったはずが今は逆にそうしていなければ自分が吹き飛ばされてしまうようで必死になって掴んでいる。
「はははははっ! 君のことはせっかくならじっくり調べたい所なんだがな、どうも手加減は苦手でねぇ!!」
バサバサと目の前で揺らめく俺はヴァンデルハミッシュの眼にはどう映っているのだろうか、憐れむわけでも申し訳なさそうにするわけでもなく、その哄笑が止まることはない。
「はははははははははっ!」
そして次の瞬間――その笑いに連鎖するかのようにして、空間そのものが爆発するようなひと際激しい力が放たれた。
パッァアアアアアアアン!!!
けたたましい轟音と共に部屋中が上下に激しく揺れ、ついに屋根がバリバリと剥がれるようにして吹き飛ばされる。
当然それは至近距離にいた俺にも届く。
もはや風や何かという次元のものではなく、巨大な何かに弾かれるような勢いに俺の手はマントを掴んでいることなどできなかった。
「うぉぉおおおおお!!!」
そしてそのまま弓から放たれた矢のように背後の壁へと吹き飛ばされてしまった。
「がっ!」
一度目の衝撃など比にもならないような力の奔流に壁に叩きつけられ肺から酸素が漏れる。
「くっ……」
その衝撃に一瞬、身体から力が抜けぐったりと天を見上げる。
そこには既に屋根などなく、真上に上った太陽と青天の中に無残にも飛び散った木片や本の数々――
そして宙に舞う少女の姿があった。
「…………………………………………は?」
声が口から外に出る時間すら遅い。
手を伸ばす時間すらない。
瞬く暇――そんなものすらないうちに吹き荒れた衝撃に吹き飛ばされたヘルマが1人、透き通るような青天の中に消えて見えなくなった。




