襲い来る波、掴み取る手
ゆっくりと鎌首をもたげるように白いマントが立ち上がる。
まるで布そのものに意志があるかのような動きであり、広がったマントを背にするヴァンデルハミッシュのシルエットは翼を広げた生き物のようにも見えた。
立ち上がるマントは魔法によるものなのだろう。
何が起きていて、何をしようとしているのかはわからないが、しかしその様子は見る者に危機感を抱かせるようなものではなく俺はゆらゆらとなびく白い布をぼんやりと眺めていた。
それ故に――反応が遅れてしまった。
ふわり
と、マントが揺らめく。
風を受ける帆のようなどこか穏やかともいえる程静かな動きを眼が捉えた瞬間――突風が吹き荒れ、俺の全身を襲っていた。
「っ!!」
否、突風――というには激しすぎる目には見えない激しい衝撃が前方から飛んできた。
咄嗟に腕を前に構え防御の体制をとるが、それは弓矢や魔法による火球のような、どこか一か所を狙った“点”の攻撃ではなく、全身を叩く“面”の力。
それは姿なき巨大な波に飲み込まれるような、そんな逃げ場のない暴力だった。
「くっ!!」
「がっ!!」
アルーナを掴んでいながら尚、俺の身体は吹き飛ばされ、2人諸共積み上げられた本の山に背中から叩きつけられる。
今の一撃で飛び散ったのだろう、辺り一面には紙片が舞う。
「っう……」
衝撃に声が漏れてしまう。
刃で傷つけられたわけでもなく、出血も目に見える負傷もない。
しかし全身を殴打されたような痛みは体内深くまで染み込み痺れたように身体が動かない。
「メルク! アルーナ!」
痛みと衝撃にちかちかと明滅する視界の端、紙切れが舞う中ヘルマが青い顔をしながらこちらを見て、一歩踏み出した。
「ば……逃げっ」
俺たちを心配しているのだろう、目の前にいる男には目もくれずに駆け寄ろうとするヘルマ。
そんな少女に“逃げろ”と叫びたかったのだが、肺は押しつぶされたようで口はうまく動かず声が出ない。
――はははははっ
駆け寄るヘルマと、誰かの笑い声と、たなびく白い布が一瞬の時間のうちにスローモーションで認識される。
このままでは、と頭では今から起こるであろう事態に理解が至ったが身体はそれに従おうとしない。
「ぐっ……」
身動きができない俺の目の前で、ふわり、と白い布が大きく揺れる。
あと数瞬の後、先ほど俺たちを叩いた衝撃があの少女を襲う。
それは今からどうにかなることではなく、そしてこのままではどうなるかは明らかであり――
「Staccato!!」
その緩やかな時間をも断ち切らんばかりに高らかに声が響く。
パァアアン!
と何かが激しくぶつかり合うような轟音と共に木片が飛び散る。
今ヘルマが立つ場所の、その半歩後ろ辺りに積まれていた本の山が床板共々砕け飛び散った。
「!!?」
背後を駆け抜けた衝撃と轟音にヘルマが身を竦ませる。
しかしその身体には怪我などはないようで直ぐにぱたぱたとこちらに駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫かよ!?」
「あぁ……何とかなっ……」
今だ本の山に背を預けたままの俺を心配そうに覗き込みながらそう尋ねるヘルマに少しずつ痛みの引いた体を動かし、何とかそれだけ絞り出す。
そしてそのまま視線を前方へ向ける。
金の髪をなびかせながらアルーナが俺たちとヴァンデルハミッシュの間に立塞がるようにしてそこにいた。
「お怪我は?」
肩越しに背後の俺を見やるアルーナ。
ヴァンデルハミッシュの攻撃からヘルマを守るため立ち上がったアルーナ。
共に吹き飛ばされていたが負傷による痛みはないのか、とも思っていたのだが問いかけてきたその肩は僅かに上下をし、彼女もまた苦痛に耐えていることが見てわかった。
「なんのつもりだ、とは聞かないぞ」
立塞がるアルーナにヴァンデルハミッシュは尚、口角を吊り上げたままである。
「はははははっ、しかし賊を庇うような行動、明らかに反逆行為だなぁ」
もとより最初からアルーナを味方と認識していなかったにも関わらず、実に愉快そうにわざとらしくヴァンデルハミッシュはそう言った。
「では裁判にでもおかけください」
そんな言葉をまっすぐに受け止めながらアルーナは動揺することもなくそう言い返した。
俺はその背後でゆっくりと立ち上がる。
助けられたのならば次は俺が助けるしかない、と視線を辺りに送るがしかし逃げ道らしきものは玄関の一つでありそこにはヴァンデルハミッシュが立塞がっている。
「はははははっ、それもそうだ、何事も順序があるからなぁ」
くつくつとヴァンデルハミッシュは笑う。
「しかし知っているか? 裁判というものはな――」
笑いながらそのマントはゆらゆらとはためいたままであり――
「裁かれるものがいなければ成り立たないのだよ!」
躊躇も加減もなく、それが三度振るわれた。
「させるかぁ!!」
それを見て、足が地面を蹴っていた。
その白い布が振るわれれば衝撃が俺たちを襲う。
先ほどはアルーナが防いだが軌道を変えることがせいぜいでありそれを打ち消すことは叶わない。
逃げ道はなく、逃げ場もない。
となればこのままではその力に飲まれるは必定であり、このまま3人諸共吹き飛ばされるのならば、と俺はアルーナを追い越すように駆け出した。
それは自暴自棄の特攻だったのかもしれないが、しかしどこかで感じていることもあった。
――俺ならば。
この力ならばどこかにまだ活路を開くことが出来るのではないかと、それだけを信じヴァンデルハミッシュへと飛び掛かる。
狙いは奴自身ではなく――その揺らめくマント。
鋼の兵士たちとの闘いの中。
オルディンの構えたその杖、そこにあった宝玉をこの手で奪ったことを思い出す。
あの時と同じように、この手が、怒涛の簒奪者が魔法すらも奪うことが出来るというのならば――!
「止めてみせる!!」
衝撃が波となって襲い掛かってくるその直前、俺の手がその白い布を力強く鷲掴みにした。




