魔法脈
「さて、どこから話しましょうか」
カップに一口つけながらアルーナはそう切り出した。
「……」
俺とヘルマは顔を見合わせる。
何から話そうか、と言われれば俺としては目の前のカップに注がれた見たこともない色の液体について聞きたいところであった。
部屋の中に入り呆然と立ち尽くしている俺たち2人をどうぞおかけください、と部屋の真ん中――俺の背よりも高く積み上げられた本のせいで部屋の全容がわからず真ん中なのかは不明だが――に置かれた小さな卓に導くとアルーナは客人を迎える準備をしてくれた。
先ほどアルーナ自身が言っていたように、ここは本当に彼女にとって寝食をするためだけの場所のようだった。
部屋は書物庫さながらに本で埋め尽くされており、棚に並ばないものは床に積み重ねられ空間を塞いでいる。
一方で足の踏み場もないほど乱雑しているわけではなく、獣道のように玄関から一直線に本が置かれていない道ができており、その先には食事をするためと思われる円卓、更に少し奥には一人用のベッドが置かれそこを目指すだけならば何かに躓くこともなく歩けるようにはなっているのだった。
そんな部屋をきょろきょろと見話増しているところに差し出されたものが何とも表現をしにくい色をした飲み物であったわけだが、アルーナ自身は気にもしていないようにすっ、と優雅な素振りで口をつけている。
よく手入れされた金の髪や立ち振る舞いから良い教育を受けた人物であるとは思っているのだがそれと部屋の在り方は別問題なのかもしれない。
「アルーナは何を盗られたの? アルーナは何をするつもり? 私たちは何をすればいいの?」
カップに注がれた液体に映る不気味な色をした自身の顔を見ながらそんなことを考えているとヘルマが口を開いた。
矢継ぎ早に投げかけられた問いにしかしアルーナは落ち着いた態度を崩さずゆっくりとカップを置くと、
「では最初のご質問から」
泣く子供に言い聞かせるような、そんな穏やかな口調で語り始めた。
「私が盗り返したいもの、いえ正確には盗られたと考えているものは我がゴルドシルド家に受け継がれている【魔法脈】です」
「まほーみゃく?」
「そうですね、簡単に言えば魔法を使う人々の体内に流れる力のことです。それは魔法を使うことにより鍛え研ぎ澄まされていき、世代を超え時に濃く、時に薄く受け継がれていくものなのです」
子供に何かを教えるような口ぶりで、すっ、と線を引くようにテーブルをなぞりながらアルーナは話を続ける。
「ゴルドシルド家は代々王国に仕え、魔法の研究を行ってきた一族です。決して高名な家系ではありませんが皆魔導の研鑽に勤しんできました」
アルーナの表情は変わらず淡々としたものであるが、その中にはどこか悲しさのようなものがあるように俺には感じられた。
「しかし、その【魔法脈】が私の祖父の代より失われた、そう父は言い残しました」
そして俺たちをまっすぐに見ながらきっぱりとアルーナはそう言い切った。
言い残したということが何を意味するのかはよく分かった。
それは奇しくも先ほどから一転し静かに話を聞くヘルマと同じ境遇と言えた。
アルーナの話を黙して聞いているヘルマが今何を考えているかは俺にはよくわからないが、しかしただ難しすぎて理解が出来ない、という表情でなく彼女なりに理解をしようとしていることだけは見てわかった。
「なぁ、はっきりいって俺はそっちの知識はさっぱりなんだが、【魔法脈】っていうのはその……盗られるようなものなのか?」
なので、というわけではないが俺はそう疑問に思ったことを素直に聞いてみた。
恥ずかしながら魔法など一切使えない俺にとってはその言葉すら初めて聞くものであったが、しかし聞いている限りでは何か形のあるものではなく、血や才能といったような概念的なものであるような気がしてしまいそう尋ねたのだ。
「そうですね、私もそう思います」
そんな俺の問いはばっさり否定されるかと思いきやアルーナは頷きながら同意をしてきた。
「【魔法脈】とはまさに血脈のように受け継がれるものであり、それ自体が形のあるものではありません。なので盗られるという表現は適切ではないのかもしれませんが」
はっきりとした口調で言いながら、ただ、とアルーナは言葉を続ける。
「祖父の代を境にゴルドシルド家から何かが失われました。受け継いできた知識、あるいは歴史、何かがぽっかりと消失しているのです」
「……どういうことだ?」
「物理的な話ではゴルドシルド家の歴代の研究史が一部失われているのです。それは魔法を修める一族としてはあり得ないことであり何者かの手によるものと考えています」
そう言いながらアルーナは己の手をじっと見つめ
「そして、これは感覚の話となるのですが・・・過去一族が研究してきたものと、今私の中に残る力、それがどこか食い違っているように感じるのです。連綿と続いていたものがどこかで断ち切られ、違う道を歩んだ結果が今であるような、そんな感覚がするのです」
どこかぼんやりとした口調でそう続けた。
「……なるほどな」
納得したような口ぶりだが正直なところ理解は半分もできていないのかもしれない。
【魔法脈】という目に見えないものが失われた――奪われた、と言われても余人には理解が出来るものではない。
ただ、実際にアルーナの家が積み重ねてきた研究の一部が失われているということ、そしてそう語るアルーナ自身の姿から少なくとも何か偽りを言っているのではない、ということが伝わってくる。
「それで、私たちにできることがあるの?」
じっと話を聞いていたヘルマが口を開く。
今の話を自らのことのように受け止め聞いているような、そんな表情であり、それを見てアルーナもこくりと頷き言葉を続ける。
「祖父は何かを失ったことを嘆きながら亡くなったと聞いています。父もまたそれが何かを探っていましたが叶いませんでした」
しかし、とアルーナは言葉を紡ぐ。
「しかし、父は最期に私にこう言い残しました。“失われたものは――」
「失われたものは【大権】に眠る、かな?」
「!?」
突如、背後からかけられた声に3人で一斉に振り返る。
積み重なった本の森に引かれる道の上、いつの間にそこに立っていたのか影が一つあった。
「はははははっ、いやしかし賊にしては随分と優雅な時間を過ごしているようで。邪魔をしたかな?」
開け放たれた扉から差し込む光を背後に受けながら、白いマントを羽のようになびかせながら男が笑っていた。




