水路からの脱出
暗い水路をひたすらに進む。
目的などなく、ただ兵士たちが待ち構える下流から少しでも離れるための逃避行。
願わくばこの道の先に出口があることを祈るが、もしそうでなければ本当にここで俺たち2人は終わりかもしれない。
はぁはぁという2人の苦し気な呼吸音と地面を蹴る音だけが水路に反響する。
灯りの薄い道であるが臆することなく走れており、ヘルマが暗いところに慣れているようで幸いした。
「お、王国の奴らってのはみんなああやって直ぐに襲ってくるのかぁ!?」
先を走るヘルマが息を切らせながら、疑問というよりもほとんど怒りが込められたような声色でそう問いかけてきた。
「俺だって知るもんか!」
なので俺もまた息も絶え絶えにそう返す。
「そのっ! それのせいなんじゃないのか!?」
走りながら振り返らずにそう続けるヘルマ。
しかしその言葉が指す“それ”というのが何のことなのかはよくわかる。
「これは……」
俺は腰に下げた麻袋に仕舞ったそれにちらりと目を移す。
恐らくであるが、ヘルマの推察は当たっているだろう。
いつの間にか俺の手の中にあり、兵士たちはこれを見て明らかに動揺と怒りを露わにした。
曰く、
「タイケンって言われてもなぁ」
彼らは俺が握りしめる黄金の欠片をそのような名称で呼んでいた。
しかしそもそもこんなもの拾った覚えもなければその名の意味もわからない。
ただこれを持っているということで俺たちが攻撃対象となったことだけが確かな事実として理解できていた。
であれば、こんなもの捨ててきてしまえばよかったのだろうが、何か大切なものであるならあるいはどこかで返すことが出来れば寛大な処置をしてもらえるかもしれないと考えこうして持ってきてしまった。
逃げておきながら我ながら矛盾した考えであるがそれほどまでに先ほどは混乱し正常な思考はできない状態であった。
「とにかく! さっさとここを出てどこか隠れられる場所まで行くぞ!」
前を走るヘルマにそう声をかける。
兎にも角にも今は一度どこかで考えをまとめなければならないと思った。
あるいは既に状況は最悪と言えるのかもしれないがそれでも尚、下手な動きをすれば更に取り返しのつかないことになりそうな予感が心の奥底でヒリヒリとしていた。
「っ! あれ!」
どれほど走っただろうか、ヘルマが前方に見えるものに向かって声を上げる。
それは明りであった。
道の先を照らす光はつい先ほども見たような気がするが今度は上流の終着点に辿り着いたようである。
「出口か!?」
その光につい俺も声を上げてしまう。
後方から誰かが追いかけてくるような感覚はない。
あの光の先に何があるのか、あるいは誰かが既に待ち構えている可能性もあったがしかし俺たちに他に進む道は残されていない。
ならば今はあの光に向かって進むしかない。
「あっ」
光の方に近づくと匂いがした。
それは城の中ではあまり感じられなかった、嗅ぎなれた草木と土の臭い。
森か何かか、いずれにしても明らかに外へと繋がることを予感させる感覚であった。
あったのだが――
「っ……」
足を止める。
出口のすぐ傍まで近づくと外の景色がはっきりと見えた。
徐々に日が昇っているのか、そこにはうっすらと日に照らされた木々が溢れる森が広がっていた。
やはり水路の上流はどこかの山へと繋がっており、水は森から延々と城まで流れていたのだった。
ただし、俺たちとその森の間には硬く冷たい鉄が幾本も聳え、進む足をその場で縫い付けていたのだが。
「はぁっ」
ここまで走りづめだった息を少しずつ静めながら目の前の鉄格子を見る。
何の変哲もない鉄の棒。
森に潜む野獣などが水路に入り込まないように取り付けられたものであろう。
本来は外からの侵入を拒むはずのものであるが、しかし今は内部から脱出しようとするものを食い止めるという想定外の役割を図らずとも十二分にはたしているのだった。
「そんなぁ」
ヘルマもまた目の前に広がる景色を眺めながら呆然と立ち尽くす。
戻ることもできず進むこともできない状況に少女の心もまた限界であった。
どうする――
俺は思考を巡らせる。
このままここで立ち尽くしていればいつか兵士たちに見つかるであろう。
ではこの鉄格子を壊すか。
力自慢の闘士であればそれも可能かもしれないが俺にはそんな膂力もスキルもない。
ならばいっそ、この『タイケン』とやらを材料に交渉の場にでも立つか。
思考を巡らせるが、そのどれもが俺の望む結末に辿り着くとは思えず行き詰ってしまう。
「くっそ!!」
ヘルマが鉄格子を蹴り上げる。
それは怒りや破壊を目的としたものではなく、ただ行き場のない不安をぶつけているだけの虚しいものであった、
「!?」
そのはずが、
ゴォォォオオオォォォォ
ヘルマの小さな足で蹴られた鉄格子がゆっくりと傾き始め―――
ッッシャアアアアアン!
けたたましい音を鳴らしながらそれは倒れてしまった。
「……」
俺たちの行く手を阻んでいたものは地面に倒れ伏せ、目の前には静かな森が広がっている。
「あれ? 私ってもしかして凄い??」
くるり、と振り返り自身を指さすヘルマに俺は何も言い返せない。
そんな馬鹿な、と言いたいところだがきっぱりと否定することもできない。
「と、とにかく出るぞ!!」
ひょっとするとヘルマの脚力はとんでもないものなのか、と半ば本気でそう思いながら、ともかく今は外へと出るように促す。
「おう!」
先ほどまでの不安そうな表情から一転、得意げな顔をしてヘルマは溌剌とそう返す。
このこともあとでゆっくりと確認しなければ、と考えるべきことのリストにヘルマの力のことを加え俺も森へと踏み出す。
その時、視界の端で倒れた鉄格子を捉える。
その先端、天井と繋がっていたであろう部分がつるりとした断面を覗かせていた。
まるで何かで鋭く断たれたような、そんな断面であるような気がしたがそれをじっくりと見ることはできず、今は先を行くヘルマの後を追う。




