Sŵn cerdded _ 足音 _
恭行は手頃なサイズの枝を拾いながら、典は周りの植物や虫を観察しながら、先程渡った橋のように倒された木の方へ向かう途中の事だった。
バリボリバリバリバリボリバリボリバリバリ……と不快感を煽る音が聞こえてきたのだ。何かを掻き毟っているように思えるその音を聞いて、二人が最初に思い出したのは、川へ向かう途中に見たあの“爪痕”だ。
「……もしかして」
「嫌な予感ってヤツだなぁコレは……橋はもうすぐだろ? そこまでなら一応走れなくはない。あの橋だけ無事なのは多分、希望的観測だが妙な仕掛けでもしてあるんだと思う」
聞こえてきた瞬間に二人同時に動き、少し道を引き返したためまだ不快な音は遠く、微かに聞こえてくる程度だ。今のうちに逃げの作戦でも立てておかなければならない。いざ本番にその通りの動きができるのか、相手が想定通りに動くのかどうかはさておいて、ノープランよりは少しでも策を練っておいた方がいいだろう。
「きぼーてきかんそく??」
「そうであってほしい、っていうぶっちゃけ願いみたいな予想のこと。まあ妙な仕掛けでもなけりゃ、あんな爪痕残すようなヤツがあの立派な木の幹を放置するわけないだろ、と思ってだな」
「まあ……そうだったらいいね」
「幸運なことに体力はなくとも短距離走は早い方だった。爪痕のヤツが50m5秒で行くようなやつじゃなけりゃ逃げれる……と思いたい。これもまた希望的観測だけどな」
あの水辺ではしゃぐイノシシを木の影から覗いてみた時よりも、更に鼓動が高鳴り脈が早まる。緊張から身体が強ばり、若干の動きにくさを感じるが、どうにか簡単にアキレス腱を伸ばしたりする、体育の準備運動のような動きをして少しだけ和らげた。
「バレなければそれが一番だけどね」
「お前のがわかってると思うが、野生の勘って凄まじいし無理だろ。とりあえず風下だ風下」
「今の位置が風下だよ、だから多分まだバレてない」
「なんつーか、こりゃ詰みだな? 1番のピンチってやつじゃねえかどうすんの、どうあがいても途中でバレるじゃん、走れって?? 全力疾走だな任せろもう知らねえヤケクソだ」
決して大声は出していないものの、典がこのどうしようもない状況に頭を抱えて項垂れる。
「……某モンスター狩りの発見時みたいに震え上がったらごめん見捨てんなとは言わない、つーか見捨ててでも逃げろ死んだら元も子もねえ」
「逃げてもいいんだけど、多分、俺一人じゃ“ココ”が足らないし見捨てられない」
いざとなれば見捨てていい、と典は言うものの恭行が自分の頭を人差し指で突きながら断る。実際、恭行だけではどうしても知識が足らずに誤った行動をしてしまいかねないのだから仕方がないだろう。
「一蓮托生の運命共同体かよ。死なばもろとも蓮の台の半座を分かつってか? ふざけんな可愛いヒロイン以外と最期を共にしたくねえ絶対に死んでも生き残るぞチクショウ」
「大半は意味分かんないんだけど、とりあえずそれ全部一緒に死ぬって事でしょ? せっかく水見つけたのにここで死ぬのは嫌だしとにかく頑張ろう、あと死んでもとか縁起でもないことを言うな」
妙な異世界ハーレムへの執着により典のステータスが上がる、なんてことがあればよかったのだが、そこまで優しい世界ではない。実際上がったのはモチベーションのみだ。
一方で恭行は元々、二人で生き残る気マンマン……というよりかはむしろそれしか頭にないようで、サラッと典が冗談交じりにこぼした『死んでも』という言葉に反応したくらいだった。
「まあ蓮の台の半座を分かつってのは微妙に使いどころ違うがな、まあ大体は死ぬときゃテメエも一緒だぜって思っとけ、正確には違うがそれは生き残ったら説め………やべえ死亡フラグ立てた死ぬ」
「意味分かんない事ばっか言ってないでほら行くよ、動かなきゃどっちにしてもどうしようもないでしょ」
「まじか死亡フラグ立てたまま行くの?? 死ぬじゃん、ぼくは死にましぇんって言いながら行ったほうがいい感じ???」
いっそ迷走し始めてしまった典に溜息を吐きながら、恭行がふと思い出したように耳を澄ましてみる。すると不快感を煽る音がいつの間にか消えていたのがわかった。わかってしまった。
代わりに聞こえてきたのは、少しずつ近付いてくるずっしりとした重みのある鈍い音。恐らくこれは木を引っ掻いていた何者かの足音だろう。
「っ静かにして!」
「んぐ、っ!?」
近付いてくる。そう認識した瞬間に恭行がうだうだと訳のわからないヤケクソな言葉を垂れ流しにしていた典の口を手で塞ぎ、すぐ横の叢の中に滑り込むように入れば典もそのまま引き摺り込む。
枝や棘が露出している皮膚を掠めて血が出るとその臭いでバレてしまうだろう。野生の勘なのか、無意識下で恭行はその点も考慮しつつ自分と典の身体、双方が傷付かないように注意しながら、そしてもしヤツの姿を見てしまったら、もしそれが身の毛もよだつ悍ましい物だったら。と考え足音のする方が背になるように、二人どちらもその足音の主は見えないようにしておいた。
一方で、口を塞がれ叢に引き摺り込まれてしまった典は、知識は肥えていて頭の回転も早いためすぐに状況は理解した。だんだんと鼓膜を揺さぶるような重い音が近付いてくる事を典もしっかりと認識し、息を殺してソレが二人の隠れた叢を通り過ぎて去るのを待つ。
ずしり、ずしりと少しずつゆっくりと近付いてくる重みのある音。時折立ち止まっているのか音が止まったりするが、ペースが早まる訳ではないので、どこぞのサメ映画BGMのような焦燥感感を煽るものはない。
しかしながら、足音一つする度に、近付いてくる度に恐怖心を煽り、背中の神経を直接撫でられたように走る悪寒は変わらない。
嫌な汗が二人の身体のあちこちを伝い、滴り落ちていく。