Hydradiad _ 水分補給 _
全長十五mはくだらない巨大なイノシシによく似た生き物。それが子どものようにはしゃいで水辺で遊んでいたのだから、言葉をなくしてしまったのも無理はなかろう。
「…………待て、あの爪痕のヤツとイノシシって」
「別だね、あの牙じゃあんな爪の痕はつかない」
「って事はあの爪痕残したヤツがあの猪野郎の他になんかいんのか……あー、絶望的じゃね?」
「そうでもない。ほら」
と言って恭行が指差した先に居るのは、例のイノシシ。よく見てみるとその牙には、何かサークレットやブレスレットのような装飾品がいくつか着けてあった。明らかに人工的に作られたアクセサリーがつけられていることから、典と恭行は飼い慣らされたイノシシであると推測する。
「子供みたいにはしゃいでるけど……近付いてみる? 飼いならされてるってことは、多分、襲ってはこないはずだし」
「いや、飼い慣らされてても、知らない奴が急に近付くと危ないだろ。このまま隠れてもう少し下流に降りるか上流に登って、見えなくなった辺りで水分補給の方がいい……と思う」
典は現代日本で生きていた頃の夏休み、家族に連れられて親戚の家へ訪れた時の事を思い出しながらそう言った。その家で飼われていた中型犬に近付き、きちんと下から手を出して目を合わせないようにはしていたのだが、初対面だったからか噛みつかれてしまったのだ。それからは吠えられはしなかったものの、人見知りらしいその犬は、家に泊まっている間ずっと警戒心を解いてはくれなかった。
そんなある夏の思い出に、苦虫を噛み潰したように表情を歪めた典を見て、恭行がどうしたんだと首を傾げながら聞く。
「じゃあ、どうする?」
「……下流だな、上に行っても村とか見つかる可能性低いだろ。どれだけこの森が広いかはわかんねえけど、下流に進んで、分かれがあったら太い方を選んでいけば、そのうち人間に会える……かもしれない」
「でも、今日はとりあえず水分補給だけして戻らない? またいい感じの洞窟見つけられるかもわかんないし……典そんなに歩けないでしょ」
「大賛成だ。もう現時点でも結構な勢いで筋肉痛気味ですどうもこんにちは足が痛いそして足の裏も痛いっす」
やっぱり、とまだまだ体力の有り余っていて、特に体の不調は感じていないらしい恭行が溜息を吐いた。
と、話をしているとイノシシが川から出て身体を振って水分を飛ばし、下流に向けて歩き出した。水遊びに満足したのか飽きたのか……そんなことはわかるはずもないが、とにかく水分補給だ。イノシシの姿が見えなくなる頃、木の影から二人が出てきて川へ寄る。
「近くで見ると結構透き通ってるな、さっきまであんだけバッシャバッシャやられてたのに。これなら飲めるか……」
「流れが早い、ってことじゃない? 多分入ったら流されるから絶対入んないでよ、さすがに追っかけて拾うとかできないから」
「わかってるって、それ出来たらお前もう中学生じゃねえよプロだよ玄人だよ。俺をなんだと思ってんだ」
「体力がない引きこもり不登校児」
「否定はしない。っつか出来ねえな」
手で水を掬って喉を潤し、久方振りの水分が身体中に染み渡るような感覚に身震いしながら軽口を叩き合う。途中、顔を洗ったりしながら、無理をしない程度に水を飲めるだけ飲んで腹を膨れさせておいた。
「っあ゛ー、生き返るう」
「オッサンみたい」
「これでも若々しくてぴっちぴちの中学2年生ですけどね!!」
「知ってる。飲み終わったら戻るよ、爪痕のやつがいたらやばいしね」
「あー、そうだなぁ。けど足跡がイノシシしか見えなかったって事はアレよか小さかったんじゃないか? ……だから、アイツの足跡に消されて埋もれたんじゃねえの」
最後にもう一度顔にバシャリと水をかけ、拭いながら典が推測を口にすると、恭行はもしかしたらそうかもね、と返答を返して先に立ち上がった。
もう時期、元の世界で言うところの午後二時辺りだろう。典が疲れていることから、帰るのには恐らく一時間から一時間と三十分はかかる。そろそろ動き始めなければ暗くなる前にあの洞窟へは帰れない。
「じゃ、あの洞窟に帰るか」
「そうだね、典は変に遅くなるのはやだし何もしないで歩いてて。俺は木の枝とか拾いながら歩く」
「まじ足手まといだなすまん、お言葉に甘えさせて頂きます……」
う……と若干申し訳なさそうにする典をよそに、そんなしおらしくなってる暇あったら早く行くよ、と恭行は先に行ってしまう。しっかり乾いている枝を選んで拾いながら歩いているというのにペースが早い。少し先を行く恭行に置いていかれないよう、典が小走りで追いかける。
少しして典が追いつくと、今度は恭行が時たま枝拾いで立ち止まるため置いて行かれかけているように見えるが、普通に歩いているだけでもペースの早い恭行は少しの差などあっという間に埋めてしまうため、全くそんなことはなかった。