Bore _ 三日目の朝 _
───誰かが自分を呼ぶ声がする。
そう思った典は重い瞼をゆっくりと開いた。すると開けた視界にまず映り込み、すぐ目の前にあったのは誰か見知らぬ可愛い女の子の顔。目鼻立ちは整っているが、まだ少し幼い可憐さを感じさせる、あどけなさの残った端正な顔立ちの美少女だ。
(え? は?? 誰だ、何がどうした? 確か俺は恭行と…………)
そこまで考えた典はハッとした。
「……あぁなんだ、夢か」
諦めのような笑み。ふ、っと口から漏れた吐息と共にそういった瞬間、夢を自覚した途端に目が覚めた。今度こそ瞼を開いて目にしたのは暗い洞窟の天井、更にはそこに生えている苔。
よく、悪夢で目を覚ますという話を聞くだろう。しかし典はその真逆で、悪夢に魘されても目は覚めずに、むしろ都合のよく、楽しい夢であればあるほどにすぐ目が覚めてしまうのだ。それは彼の頭が妙に良かったり、かなり割り切るのが早かったりすることにも一因はあると思われる。
簡単に言えば、典は自分にとって都合のいい夢を見ると、まずは疑いから入ってしまい、その次の瞬間には夢を自覚して目が覚めてしまうのだった。
(いっ、つつつぅ…………恭行は……まだ寝てるか)
ぐ、と力を入れて上半身を起こすと筋肉痛で鈍い痛みが走った。大きな葉に包まって、すうすうと寝息を立てながら眠っている恭行を確認すると、痛む体をどうにか立ち上がらせて壁を伝い、軋む身体を引き摺るように歩き洞窟の外へ出る。明るさからして現在の時刻は、だいたい朝の六時半頃だろう、と典は予測した。
「にしても本当に痛えな、あの熊みてえなののせいでかなりの筋肉痛だわ畜生、わりと喉も痛えし……踏んだり蹴ったりかよ」
やや掠れた声で独り言を放ったあと、はあ、と落胆したような溜息をついて、踵を返し洞窟内に戻った。あと一時間くらいは眠ってしまいたかった典は、最奥部に戻るなりまた葉に包まって横になる。
だがしかし、一度完全に意識が覚醒するとなかなか眠気はやってこないもの。そのまま寝れずに恭行が起きるのを待つ羽目になった。
時は流れ、進んで時刻は七時過ぎ頃だろうか。典が再度葉に包まってから三十分ほど経過し、恭行がぱちりと瞼を開けて、目を覚ましたのだ。
「おはよう……ふあ、あー……結構寝た気がする」
「そりゃよかったなおはよーござーます」
その頃には眠るのは諦めたのか、座って壁にもたれかかっていた典と、身体を起こして欠伸をする恭行が軽く朝の挨拶を交わす。
「……なんか、ちょっと声かすれてるね」
「あんだけ叫んだからなそりゃ掠れるわ、思い出したくもねえ」
「あれは……なんだっけ、なんちゃらサク?? ってやつだったよ?」
「傑作な傑作、あ~もう本当思い出したくねえよ、もうやだおうちかえりたい」
具体的にあのバケモノの事を思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔で顰蹙する典と、対照的に面白いくらいに典が泣き喚いていた事を思い出したのか少し笑った恭行。
「笑うな畜生……あぁもう面憎いぜ」
「つらにくい……?? 思い出すだけで辛いでいいんじゃないの」
「面憎いで合ってんの、顔面とかの面に、憎いって書く。これで顔も見たくねえって感じの意味になるんだよ」
引き籠もりがちだったからか読書の頻度も高く、典は普段は使わないような単語も平然と使いながら話すので、恭行にとっては度々よくわからない単語が飛び出てくるように思える。
ふうん、と典の説明に納得したようにしながら恭行が立ち上がって、弓と錐のみを持ち、洞窟の外へ向けて歩き始めた。続いて典もゆっくりではあるが腰を上げて、同じように歩き始める。
「やっぱ人間辞典じゃん、でぃくしょなりー典」
「いってえなほんと……ってなんだそれ? ネーミングセンス皆無かよ。発音メチャクチャだし」
「かいむとか、また難しい事言って……喋りにくいからいちいちそういうこと言わないでよ」
「ハァン俺が博識でお前が何も知らないだけだろ」
面倒臭そうに少し先を歩く恭行が歎息した。それに対し典は声では馬鹿にしたように話すが、筋肉痛で痛むのか表情はあまり明るくない。
と、ここで洞窟の外に出て、明るい太陽の光を浴びた恭行が伸びをした。元は野生児だったからか、自然の中はそれなりにリラックスできるようだ。
「んん……自覚はあるけど、普通の中学生ってこのくらいだと思うよ?」
「うるせえラノベとかマンガとかアニメで無駄に知識が増えてくんだよ不可抗力だ不可抗力」
「ふかこーりょく??」
「あー…………なんつーかこう、字で書くとこんな感じになるんだが。それぞれの字の意味はわかるか?」
「“不”はできない。“可”はその逆で、次はわかんないけど……最後はそのまま力」
恭行より遅れて洞窟から出てきた典がそのまましゃがみ込み、地面に石で『不可抗力』と書きながらそれぞれの漢字の意味を聞いてみると、恭行は“抗”以外の意味を答えた。あまり敏い方ではないものの、普通の中学生くらいの教養は流石にある。
「わからんかったやつは“抗う”とか“抵抗する”だとか、そんな意味。つまりは抗うことができない、もしくはそれだけの力がない。って事だな」
「まだよくわかんない」
「つまりはだな、生まれたての子供でもそのうち勝手に言葉覚えて喋るだろ? そんな感じで周りが話してるから勝手に覚えちまうー、みたいな。俺の場合は漫画とか小説とか、本の読みすぎでいつの間にか覚えたんだと思っとけ」
「んー、わかったけど、でもさ?」
不可抗力については納得したものの、まだ聞きたいことがあるのか恭行が振り返って首を傾げた。肩が凝ったようにぐるぐると回しながら、典が質問を待つように恭行を見る。
「単純に言葉知ってるのと、その意味をわかるように説明するのじゃ違くない?」
「そこはな、俺の頭の出来がいいんだよ有難く思え、このまま共同生活してりゃ、そのうちお前も俺のせいで勝手に博識になってくぞ」
「それこそ不可抗力ってやつ?」
「ま、そういう事だな」
肩を回し終えて、準備運動でもするかのように今度は手首や足首をひねりつつ典が答えると、恭行が早速覚えたての不可抗力を会話に交えながら、こちらも準備運動のように軽く体を動かし始めた。
「……なんか、先生みたいだね」
その最中、恭行がポロッとこぼした一言に、典がギョッと一気に引いたような顔になる。
「いやそれは似合わねえな?? 俺が教鞭執んの? うっわ想像しただけで自分に引きそう」
「きょーべん」
「教師として生徒に教えること」
「そうなるとでぃくしょなりー典じゃなくて、てぃーちゃー典だね」
「あー!! やめろ似合わねえ気色悪い!!!」




