005~とある街で起きた陳腐な事件~
なんの変哲もないある日のこと。
優しくて良い人だ、と街でも評判のシスターが、血相を変えて憲兵の詰め所に転がり込んできたのは、日が落ちて間もない頃だった。
現場に駆け付けた憲兵が発見したのは、肩から腹にかけて袈裟斬りにされた女性と、首のない男性の死体だった。
首は部屋の隅っこまで転がっていて、椅子と木箱の間に引っかかっていた。
何が起きたのかわからない、というようなキョトンとしたままの男の顔が、その異常性を物語っている。
「女性の方は、状況から見てこの男にやられたのでしょうね。
服装や装備を見るに、どこかの子飼いになっているならず者、だと思いますが…」
「男の方は、こりゃ一体どういうことだ?
まるで本人が気づく暇もなく首を斬り飛ばされたって感じだな。切断面も綺麗すぎる。
剣の達人でもここまで綺麗に切り取るのは難しいだろ」
「おそらく風魔法の一種でしょうね。
人間の首をこんなにも綺麗に切れるとなると、余程の威力と技術が必要かと想定されますが…そんな魔法の使い手が街に滞在しているという話は聞いていません」
「被害者…女性の家族はどうしている?」
現場となった家には複数の人間が住んでいる形跡があったので、隊長である男が女性の家族構成を確認する。
なんでも、通報を行ったシスター本人が教会で保護をしているということだった。
「あの子たちは目の前で母親が殺されてショックを受けているのです。今すぐに引き合わせるのは……」とシスターはかなりシブっていたが、
ならず者の方が誰にやられたのかがわかっていない以上、少しでも情報が欲しい憲兵たちは、シスターをなんとか説得して保護されているという双子の兄妹の元へ訪れた。
ならず者を殺した犯人は風魔法の使い手。それもかなり腕の立つ者だ。
万が一それが極悪人だった場合、今後さらに事件が発生する可能性が高い。
それを食い止めるためにも、犯人の特定をしなければならないと隊長は考えていた。
教会に入ってすぐ、女神の像の前に座り込んでいた子供たちは、二人とも血の染みついた服を着ていたため、事件現場に居たことは明白だった。
ここへ来る前に、シスターから「妹は特に怯えた様子なので、不用意に近づかないで欲しい」と口を酸っぱくして告げられていたので隊長は入口前で止まって声をかけようとしたのだが、
連れの中でも一番若い憲兵が功を焦り、「お前たち!話がある!」と無遠慮な声かけをしながらズカズカと入っていってしまったのだ。
この憲兵は普段から粗暴な振る舞いが多く、他所でもいろいろ迷惑をかけているのを、隊長は今になって思い出した。
「ひっ!?いや、いやあぁぁっこないでぇぇ!!」
少女が異常なまでに怯えだし、隣にいた少年に抱き着きながら泣き叫んだ。
その直後、歩き進んでいた若い憲兵がその場で立ち止まる。
話を聞きにきたのに、パニックを起こされては聞けるものも聞けない。
面倒なことになったとため息をつきながら、隊長が若い憲兵に戻ってくるよう片手を上げたところで
「動 く な」
耳元で囁くように聞こえた声に、その姿勢のまま硬直した。
その声は幼い子供のようなのに、腹の底から蟲が這い上がってくるような不快感と恐怖を感じ、全身に鳥肌がたち、一瞬で大量の汗を拭き出す。
よく見ると、前方で固まっている若い憲兵は、なんだか妙な態勢のまま止まっていた。
そのアンバランス具合はまるでその場に糸で吊り下げられた人形のようで、ピクリとも動かない。
いや、動けないのだ。
動いてはならない。動けば殺される。そう直感した隊長は、声のした方へ恐る恐る視線だけ向けてみたが、そこには自身と同じように冷や汗をかきながら立ちすくむ同僚しかいない。
どういうことだ、今の声は一体どこから聞こえたんだ。混乱する頭で隊長が声の主を探していると、今度は前方から先ほどと同じ声が聞こえた。
「うちの妹を泣かすとは、良い度胸をしているな」
そこに居たのは、泣きじゃくる妹の頭を優しくなでながら、こちらにゴミを見るような視線をよこしている少年だった。
隊長は顔面を蒼白にしながらファーストコンタクトを致命的に失敗したことを察した。
その後、どうやってその場を移動したのか隊長は覚えていない。
いつの間にか教会の外に同僚たちと共に呆然としたまま座り込んでいたのを、現場の事情聴取で時間を取られていたシスターが発見したのだそうだ。
夢だったのかとも思ったが、滝のように流した汗で革鎧の中がぐっしょりと濡れ、なんとも言い難い気持ち悪さを感じている辺り、夢ではなかったのだろう。
他の同僚も同じように考えたのか、不安げな目で隊長を見やった。
最初にヘマをした若い憲兵は、他の者の声かけにも応じず、小刻みに震えながら地面をじっと見つめているだけだった。
少女を泣かせてしまったことがバレ、シスターにしこたま怒られた後、少女の方は完全に面会謝絶。
少年だけが事情聴取に応じ、目の前に現れた。
シスターは 「ユノスもリノアも心の優しい良い子です。かわいそうな被害者なんです。やましいことは何もないので、変なことを聞いて傷つけないでください」 と怒り気味に忠告してくるが、担当となった隊長はそれどころではなかった。
こいつだ。
あの時俺たちをあの場に声だけで縫い止めたのは、間違いなくこいつだ。
ほんのりと微笑を浮かべこちらを見上げているが、目が全く笑っていない。
美しい紫水晶のような瞳には、光がまるで宿っておらず、そこにあるのはただただ純粋な『殺意』。
目を反らせば、それだけで殺されるのではないかという気迫を感じ、隊長は少年から顔をそむけることができないでいた。
耳元で囁かれたように聞こえた声も、実際は10mほどの距離があった。
にも関わらず、あれだけはっきりと聞こえたのは異常だとしか思えない。
もしかしたら魔法の一種かもしれないと考えたが、隊長にとってそれは最早どうでも良いことだ。
一刻も早く、この場から立ち去りたい。
生存本能に近いその欲求が、どんどんと膨らんでいく。
「お前の部下がクソみたいな行動を取ったせいで、かわいい妹の大事なメンタルが余計に抉られたんだよね。まぁクソ部下の方はきっちりシメてやったけど、部下の教育は上司の義務だろうが?どう落とし前つけるつもりだ?あ?」
少年の後方に控えているシスターには1mmも聞こえていないらしい。
声の大きさは普通くらいなので聞こえていてもおかしくないはずなのに。
隊長にだけ聞こえるように、魔法で調節しているようだ。
なんという魔法の無駄遣い。
というかもう魔法確定で良いだろう、他に理由が思い浮かばない。
一見して、普通に現場での出来事を聞いているだけに見えるが、合間合間で少年の魔法の声が隊長をいびるようにして入り込んでくる。
少年が魔法の声を発する度に、ビリビリと肌を突き刺すような衝撃が走り、それがストレスとなって胃に直撃する。
鉄の胃袋を持つ男と呼ばれていた男は、生まれて初めて胃痛というものを体験した。
「俺は妹と平和に暮らせればそれでいい。わかってくれるよね?」
返事をしようとして、しかし喉は完全に枯れていて声にならず、隊長は壊れた振り子人形のようにガクガクと首を縦に振った。
その様子をシスターは不思議そうに見ていたが、ついぞ隊長の心情を察することは無かった。
あの賊の男を殺したのは、十中八九あの少年だろう。
隊長は確信していた。
しかし少年はそのことを隠したいと思っていたようだし、ならば公にする必要はないと隊長は事実を隠蔽することにした。
誰だって自分の身はかわいいのだ。
事情聴取の後で確認したら、ヘマをやらかした若い憲兵は完全に心を壊し、無言で震えながらその場にじっとしているか、突然発狂して暴れ出すかの、二択の行動しかしなくなっていた。
あいつに逆らえば自分もこうなるかもしれない。
いや、もっと酷いことになるかもしれないと考えるのは普通だろう。
報告の義務?そんなもの知るか。
あいつの機嫌を損ねたら俺たちは終わりだ。
これ以上あいつに関わるなんてまっぴらごめんなんだよ。
事件の調査が完全に済み、存在しない『魔法使い』を指名手配する手続きをした後。
隊長含む一部の憲兵は、その後事件について一切の口を噤み、少年たちがこの街を去ってから半年は、かたくなに事件のあった地域へ近づこうとしなかったという。