悪魔
「よし、着いたぞ」
少女は俺にそう告げて俺をぽいっと解放した。
いきなり掴んで連れてくるとかなんて非常識な奴だ。
「おい、ここはどこだ」
俺が少女に向かって尋ねると
「ここは私が普段過ごしている場所だ。他の奴らもここには私がいること知っているから、滅多に侵入してくるやつはいない」
なるほど。俺が納得していると少女が
「じゃあ、さっそく話を聞かせてもらおうか。なぜお前は生まれたばかりのように弱いのにそれほどはっきりと話せるのだ?」
と聞いていたので
「なぜって言われても、あんただって喋ってるだろ。それに、俺は単にあんたに話したいって思ったら勝手に話してることにされただけだ。というよりそもそもあんたはいったい何者なんだよ」
と返してやると
「ん…?何者とは、どういう意味だ?」
俺が言いたいことが伝わってないみたいだったので
「つまりあんたは俺と同類なのかどうかってことだよ」
と言うと
「ああ、私が悪魔かどうか聞いていたのか。もちろん、私は悪魔だ」
何言っているのかさっぱりわからない。
「”向こう側”に行けば、簡単に分かる事なのに知らなかったのか?」
やばい、説明されればされるほど理解できなくなっていく。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、さっきから悪魔とか”向こう側”とか全然意味が分からないんだが…」
俺がたまらず少女にそう言うと
「だからお前だって抜け穴を通ってあっちの世界に行ったんだろ?それなら”向こう側”で私たちが悪魔と呼ばれているのは知っているだろ?そもそも”向こう側”に行ってあちらの魂を吸収しなきゃそんなにはっきりとした自我を持つわけないし、会話だってできるはずがないだろうに」
「…よく分からないが、俺は生まれた時からはっきりとした自我があったし抜け穴とやらから”向こう側”に行ったこともないと思う」
俺がそう言うと少女は一瞬呆けてから
「なに!?生まれた時から自我があっただとどういうことだ!?」
とすごい剣幕でまくし立ててきたので
「どうもこうも、俺が自分を自覚したときはこの場所だったし、もっと言えば魂の吸収とやらもしたことがないぞ」
そう答えると少女は黙り込んでしまった。
「…なあ、さっきの悪魔とか”向こう側”とかについて教えてほしいんだが…」
少女がずっと黙り込んでいるのに焦れて声を掛けると
「……その前に答えろ。お前はここから出たことがなく魂の吸収もしたことがないのなら一体お前の意識はどこから生まれたのだ?人間でも生まれたときは本能で生きている。まして悪魔が最初から自我を持ってるなどありえんのだ」
などと聞いてくるので
「分かった、それを教えたら俺の聞きたいことにも答えてくれるよな?」
俺も色々知りたいので念押しすると
「もちろんだ。お前が聞きたいことすべてに答えてやろう」
と保証してくれたので
「ん~、まあ俺に自我があるってのは別にそんなに大した理由があるわけじゃなくて単に俺が人間だった頃の記憶があるからなんだが」
「人間だと?お前人間だったのか?どうやって人間から悪魔になったのだ?」
「別になろうと思ってなったわけじゃない。人間として死んで気付けばこの身体になっていたんだよ」
少女は絶句したみたいだった。
「あり得ない…。人間の魂がこの場に壊れずに来ることすらおかしいのにそのまま魔力体を手に入れるなんて…」
「そんなこと言われてもな、むしろ俺の方がどうしてこうなったのか知りたいくらいなんだけど…」
「…確かに嘘はついていないし、その姿ですでに自我があるのもそれなら説明できるか…。よし、とりあえず、お前の話を信じてやろう」
まあ、俺もいきなり「私転生したんです」とか言われても、信じられないしな。
「納得してくれたなら、今度は俺の質問に答えてもらいたいんだが」
「ああ、そうだったな。よし何でも聞くがいい私が答えられることならなんでも答えてやる」
「じゃあまず、さっきも言ったけど悪魔とか”向こう側”とかについて説明してほしい」
「分かった。では、先に”向こう側”について教えてやる」
少女は一拍おいて
「この空間にはたまに穴のようなものが開くことがある。その穴は私は抜け穴とよんでいるが、抜け穴をくぐるとこことは全く異なる場所に出る。そこが”向こう側”だ。元人間ならよく知っているはずだろう、そこには空があり地面があり空気があり生き物たちがいる。そこでは私たちのような魔力体だけで身体ができている意志ある存在はいないし、私たちのように魂の吸収ができる生物もいない。だから”向こう側”にいる人間たちは私たちのことを悪魔と呼んだ。私たちも自分が何者かなど考えたこともなかったので自我のはっきりしていた悪魔たちはその名称を名乗るようになった。これが私たちが悪魔になった経緯だ」
ふむふむ、なるほど、つまり人間のいる世界とここは分かれていてあっちには俺が生きてきたような世界があると。それで悪魔というのは人間が呼び出した名前ということか。
「大体分かったけど、いくつか分からない事がある。その魔力体ていうのと魂の吸収について教えてくれ」
「それも分からないのか…。いいか、この世には魔力というものがある。これは万物に宿っているもので私たちだけでなく人間やほかの生物、空気や地面、ありとあらゆるところに存在しているものだ。私たちの身体はそれだけでできているだから魔力でできた体という意味で魔力体という。次に魂の吸収についてだが、これはお前も見たことがあるだろう悪魔同士で喰らい合っているのをあれが魂の吸収だ。魂を吸収された生物は死ぬ、そして私たちは魂を吸収するほど強くなっていく。だから悪魔たちは皆喰らい合っているのだ。ただ、”向こう側”に行ったことがある者は悪魔同士で喰らい合おうとはほとんどしないがな、”向こう側”の生物の魂は悪魔のそれに比べてずっと美味しいのだ。それに向こうの生物はその強さに比べて魂がずいぶん大きいいからなあちらで簡単に強くなれるのにわざわざこちらでちまちま悪魔を狩ろうとはしなくなるのだ」
魂喰えば喰うほど強くなるとかすごく悪魔らしいな。
「他にもなにか聞きたいことがあるのか?」
「他に聞きたいことか…。あ!そうだずっと気になっていたんだが、なんで俺は身体がないのに喋れるんだ?それになんであんたは人間の姿をしているんだ」
「ふむ、それは説明してなかったな。私たちは人間のように空気を介して話しているわけではない。そもそもここには空気がないから”向こう側”と同じように話すのは無理だ。ではどうやって話しているかというと、結論を言えば私たちは魔力を介して意思を伝え合っているのだ。手順としてはまず相手に伝えたいことを考える。そしてその意思を魔力に乗せて相手に向かって飛ばす。悪魔は常に微弱な魔力を放っているそれを強めて相手に送ればいい。”向こう側”では空間の魔力が薄いから伝えにくいがこちらの空間の魔力は非常に濃いので少し離れた相手にも自分の意志に伝えられるのだ。ただ意思を伝えるということはその時の感情も一緒に伝わるということだ。つまりこの会話方法では嘘や隠し事はすぐばれるということでもある」
なんと、テレパシー的な何かで俺たちはずっと話していたらしい。どうりでなんか妙に相手の気持ちがわかると思った。それに少女も俺の言うことに困惑していたわりにあっさり信じたわけだ。
「会話については分かった。でもじゃああんたが人間の姿をしているのはなぜなんだ」
改めて、少女をよく見るととんでもない美少女だ。身長は少し小柄だが、10代の中頃くらいの容姿は妖艶さと愛らしさのちょうど中間の危うい色気があり、腰近くまで伸びた銀色に輝く髪にぱっちりした意志の強そうな紅い瞳のコントラストがとてもよく似合っている。少し丸みを帯び始めた肢体はシンプルだが上品な黒のドレスに包まれている。正直日本にいればその見た目だけでアイドルになれるんじゃないかってレベルだ。俺が今まで見てきた中で一番綺麗な女だ。
少女は少し考える素振りをしてから頷くと
「いいだろう話してやる、少し長くなるぞ。私たち悪魔は元々は物理的な身体を持っていない。魔力体を使って物理的な干渉はできるが肉体を持っているわけではない。しかしそれでは外部からの魔力を伴った攻撃にとても弱くなってしまう。だから悪魔は身を守るために他の生物の肉体を操る術を手に入れた。相手の肉体に自分の魔力体を浸透させその肉体を支配下に置く、そうすることでその肉体を操ることができるようになる。ただ悪魔の魔力はかなり強いからその魔力に耐えられる肉体というのは中々見つからない。ではどうすればいいのか見つからないなら自分で作ればいいと考えるものが出てきた。他の生物の身体をベースに自分に合った肉体を作成する。そういう事すら始めたのだ。しかしこの方法はリスクもあって自分の魔力体をかなり消費するのだ。普通の戦闘などの行動では魔力体は疲弊しても消費することはまずない。だが自分に合った身体を作るのはその身を削って作らなければならない。悪魔にとって自分の命を削るのと同じ行為だ。わりに合わないと思うものも多い。私もこの肉体は人間にもらったものだしな」
なんか分かりにくいが、要するに自分の身を守るためには肉体があった方がいいということか。しかし…
「人間にもらった?どうしてそんなことが…?」
「悪魔は抜け穴を通って”向こう側”に行くと手あたり次第生物に襲い掛かることが多い。だがある時一人の人間が悪魔に取引を持ち掛けた。それはその人間の頼みを悪魔が引き受ける代わりにその人間は悪魔に大量の魂を差し出すというものだ。悪魔が直接襲い掛かれば生物は逃げ惑うから逃げない獲物というのはとても魅力的だった。よってその悪魔は人間との取引に応じた。それから人間たちの間に悪魔と取引ができるということが広まった。取引できる悪魔というのはかなり限られていて話の通じない悪魔に食い殺されたものも多い。悪魔は取り込んだ魂の記憶も一部同時に吸収する。だから人間の魂を吸収した者は知恵を手に入れる。そういう者たちは取引に応じることが多かった。しかし悪魔の数は人間に比べてかなり少ない上に”向こう側”にいる取引できる悪魔はほとんど存在しない。そこで人間たちは抜け穴を自らで作る方法を見つけた」
「抜け穴を…?」
「ああ悪魔は魂を吸収すればするほど保有する魔力の量が増えそれに伴って”向こう側”に行くために必要な抜け穴も大きくなる。人間が自分たちで穴を開けることができれば穴の大きさを調節して強すぎる悪魔を呼び出す心配もなくなるし、穴の出口に特殊な結界を張っておけば弱い悪魔や知恵のない悪魔も通さずに狙った強さの知恵ある悪魔を召喚できるからな。私のこの肉体も取引の報酬として受け取ったものだ」
ほうほう、そうやって手に入れたのか。
「この肉体は私の全力の魔力にも耐えられるからな。受け取った時からずっと使っているというわけだ」
…ん?なんか少し違和感が…。ああ!これが隠し事はすぐばれるという事か!つまりまだ言っていない理由があるのか。
「それだけじゃないんだろ?あんたがその身体を使ってる理由は」
おっ、驚いてるな。普通の悪魔なら今の隠し事に気づかないのかもしれないな。
「気づかれるとは思わなかった。さすが元人間といったところか…」
「お前が気付いた通りだ。私がこの身体でいるのにはまだ理由がある。それは…」
「それは…?」
「私が人間に憧れているからだ」
はい?
「人間に憧れている?」
「ああ人間は悪魔には思いつかなない発想で色んなものを作ったりしている。それに人間程意思疎通を重要視している生き物も他にはいない。だから私は人間になりたいのだ」
ああそういうものなのか。でも…
「だったら人間になればいいじゃないか。抜け穴から”向こう側”に行けば人間として生きていけるだろ」
”向こう側”に行きたいなら行けばいいのになにか行けない理由でもあるのか?
「……さっき”向こう側”に行くために必要な抜け穴の大きさは悪魔によって違うと説明したな」
確かにさっきそんなことを…。でもなんで今そのことを。あ!なるほどそういう事か。
「私が通れる程の抜け穴は自然に発生することはまずないし人間が作ることもない私の魔力量は悪魔の中でもトップクラスに多いのだ」
「だから私は”向こう側”には行けない。偶然私の近くで私が通れる抜け穴ができるまでな」
ずいぶん辛そうだな。それもそうか、人間に憧れてるのに強くなりすぎてそこに行けないなんてのはなあ。
「…さて、もう聞きたいことはないか?」
「じゃあ、最後に一つだけ、あんたの名前はなんて言うんだ?」
「私の名前?」
「人間に憧れてるなら何か考えているんじゃないのか?」
そう言うと、少女は少し笑って
「名乗れることなんかないと思っていたのだがな…。いいだろう、私の名前は…」
「セレナだ」