第四話 存在しないイジメ
少年の弁論大会での内容に感銘を受けた者が居た。
何も学校での対応だけが少年の弁論による結果では無いのだ。
少なくとも弁論大会に来ていた観衆達は、少年の弁論を支持していた。
そんな支持者の中で、とある出版社に勤務している編集者が居た。
弁論大会で少年の弁論に聴き惚れ、是非とも本にしたいと考える程に感銘を受けたのだ。
編集部でこの弁論大会の内容を熱く語り、少年の「百人と一人の殴り合い」の話を書籍化するところまでこぎ着けた。
少年が喜ぶかと思い、意気揚々と電話をして連絡をとるものの、思わぬ返事が。
編集者が急いで少年の家を訪問すると、そこには不登校児に成り下がり、引きこもりとなった少年の姿があった。
弁論大会での熱弁を奮った少年とは思えない程の落ちぶれ様だ。
電話で少年の母親が話していた通り、本当に少年は引きこもりになっていたのだ。
その引きこもりの原因となった「百人と一人の殴り合い」の話。
それを書籍化するなど、以ての外だと母親は語る。
少年も母親同様に書籍化を反対。もう思い出したくも無いと、泣きはじめる始末である。
折角の弁論、その書籍化。
それが本人を苦しめるのであれば、反対するのは仕方のないことかも知れない。
だが編集者は釈然としない。
あれだけ立派な弁論であったにも関わらず、それが評価されないだけならまだしも、学校でのイジメの原因となるのは余りにも酷い仕打ちである。
書籍化の話は取り敢えず置いといて、少年が学校に復帰出来る様にと、学校の関係者と話し合いの場を設けようと提案した。
勿論、少年は泣きながら拒否。
あまり無理強いするのもどうかと思い、編集者が母親と共に学校で話をする事となった。
校長と担任の教師、それに対して編集者と少年の母親との話し合いが始まった。
まず編集者から担任へと、何故イジメを行うのかと質問。
回りくどい事は聞かず、単刀直入にイジメについて問い質した。
だが担任の答えは余りにも意外なものであった。
担任は曰く。イジメなど存在しないのだと。
唖然とする編集者。
実際に皆が無視をして登校拒否まで起こしているのにも関わらず、担任はイジメを否定。
イジメが無いなら何故、少年は登校拒否をするのかと改めて問い質す。
だが、担任はそんな事は本人に聞けと一蹴。
流石に編集者もブチ切れた。
少年は編集者の子供では無く、赤の他人である。
それでもこの様な仕打ちを受けている少年と、その学校側の対応には自分のことの様に怒りを露わにした。
編集者も少年と同じく、子供の頃にイジメを受けた時期があった。
それはとても辛い少年期ではあったが、恩師と呼べる教師との出会いによりイジメは無くなった。
だからこそ、少年の弁論に胸を打たれ書籍化まで考えたのだ。
その少年がイジメを受けて登校拒否、しかし学校側がイジメを否定。
憤慨するなと言うのが無茶な話である。
そんな編集者に担任はどこがイジメなのかと、逆に問い質してきた。
皆で無視をするのはイジメだろうと怒鳴る編集者。
しかし、担任は「嫌いな人間と話をしなければならない道理がどこにあるのか」と、真っ向から否定。
別に誰かが無視をする様に呼びかけた訳では無い。皆から嫌われているから、誰もが話しかけないだけであると。
嫌われ者と話をする様、教師が他の生徒へ強制など出来るわけがないと。
体育の授業でも嫌われ者と組まされる生徒が忍びないから、教師がペアを組んであげたのだと。
担任の話は他の生徒を擁護する為のものばかり。少年だって生徒の一人であろうに。
自分が少年を嫌っているからといって、担任という立場の人間が差別を推進してどうするのか?
いかれた担任の理論に怒りを通り越して呆れる編集者。
生徒同士の諍いを収拾する立場である筈の担任がこれである。少年が登校拒否になるのも無理はない。
イジメをイジメと認めないのであれば学校に責任は無い。登校拒否は本人が勝手にしたことであり、家庭に問題があったからだと言い張ればそれまでである。
このまま手を拱いてるだけでは、そうなってもおかしくはない。
ここで引き下がる訳には行かないと判断した編集者は、まず学校にイジメがあったことを認めさせることを考えた。
勿論、イジメを認めない学校にそれを認めさせるのは至難の技である。
認めたら謝罪をしなければならない。
認めたら責任をとらなければならない。
認めたら非難を浴びなければならない。
こんな状況下ではイジメを認めるわけにはいかず、学校側としては頑としてもイジメを否定するしかない。
そもそも学校側にしてみれば、少年がこのまま不登校の引きこもりを続けるのが最も理想的なのだ。
イジメを認めることさえしなければ、家庭の事情で不登校になったことに出来るので、自分達の責任問題にはならないからだ。
少年が一人、全ての責任を背負わされることによって責任から免れる人達が出てくる。
教師もクラスメートも、他のクラスの連中も、全ての人が責任逃れ出来る。
一人の被害者が泣き寝入りする事で全てが丸く収まる。
奇しくも、これこそが弁論大会で少年が語った百人と一人での殴り合いの本質であった。
こんな理不尽で不条理な事を見過ごすわけにはいかない。
断固なる決意を胸に、編集者は再び担任に問い質す。
無視をするのがイジメでないのなら、クラスメートにプロレス技をかけられるのは立派なイジメではないのかと。
一方的にかけられるプロレス技。本人が望んでもいないのに、その様な事をされればイジメと認識してもおかしくはない。
しかし担任はそれをもイジメとは認めない。
少年がプロレス技をかけられて流血でもしたのなら兎も角、軽い捻挫などではじゃれあっていたに過ぎないと反論。
仮に本人がイジメだと認識していたのであれば、教師に相談をするべきである。しかし、少年は誰かに相談する事はしなかった。
少年は誰に相談するのでも無く、自身の胸の内に不満を溜め込んでいたのだ。
その不満が弁論大会で噴出し、今回の事件へと発展した。
不満があっても言えなかった少年。
言わなかったから悪いと責任を背負わされるが、言わなかったのでは無く、言えなかったのだ。
言えばイジメがエスカレートすると、少年は感じていたのであろう。
だから苦笑いをしてイジメだと認めずに大人しくしていただけなのだ。
そんな少年の思いを逆手にとり、担任は言わないから悪いと少年の非を責める。
イジメなど無かったにも関わらず、自分はイジメを受けていたなどと被害者面をし、世間から脚光を浴びている。
そんなんだから皆から嫌われる。
そんなんだから皆から無視される。
そんなんだから皆から登校拒否になると喜ばれる。
担任は勝ち誇った様に少年を愚弄し、学校側の正当性を主張。
目の前に居る保護者である母親は、悔し涙を流しながら嗚咽する。
校長も学校側の非を認める訳にはいかないので、担任の主張を支持。
悪いのは少年であって学校側に非は無いと、泣き崩れている母親に吐き捨てる様に述べた。
編集者の反論など担任は聞く耳持たず、最後にこう言い放つと面談を強制終了した。
「もし登校拒否を辞めて学校に来ることになるのなら、登校したその日に全校生徒に対して迷惑かけたことを謝罪させるから。まあ、それでも皆に嫌われて無視されるだろうけどね。あの世間から評価された弁論にしても、殴り合いとか暴力での解決を望む様な生徒だぞ?誰が相手にするんだよ!」
最後まで少年が悪いのだと言い張る担任に返す言葉も無く、編集者は母親と共に一旦引き下がるしか無かったのであった。