二つの修行
「はぁぁぁ……疲れた」
目の前のテーブルに俺は突っ伏した。
「兄貴、いつにも増して疲れてるねぇ……」
「お疲れでしたら、私がマッサージいたしましょうか?」
俺はスタン達と、市場にある酒場で打ち合わせのために集まっていた。
食事を終えてお腹がいっぱいになったせいか余計に体が重く感じる。
何日分かの書類仕事を終えた代償に、体を襲う疲労がかなり辛い。
「大丈夫だ。打ち合わせを終わらせてしまおう」
気合を入れなおして席に座りなおす。
そうしないと周囲に漂う酒の匂いだけで、酔って寝てしまいそうだ。
「まず、俺の予定だが明日から三日は視察に集中できる事になった」
何か緊急な案件が入ってこなければ、という条件だが多分大丈夫だろう。
そして三日後は、また恐怖の書類地獄が待っていると思うが。
とりあえず、集中して先に進める機会を活かす事を考えよう。
「へぇ、じゃあ三日間は朝からいけるんだね。一気に進んじゃおう!」
「魔王様と朝からずっと一緒……私頑張ります!」
これまで俺の仕事が終わってから開始だったから、一緒に行く時間が増える事が二人共嬉しいようだ。
「まずは明日の朝、前回最後に使った転移魔法陣の所で集合だ。そこから先に進むが、場合によってはどこかで泊まる事になるかもしれん。その用意もしてきてくれ」
次の転移魔法陣まで進めれば戻ってくるが、中途半端な地点で休まなくてはならない可能性もあるからな。
「俺からは以上だ。二人から何かあるか?」
三日連続で進める以外は今までと特に変わらないから、打ち合わせといってもほぼ連絡事項を伝えるだけだ。
スタンとシアはお互いの顔を見合わせて、俺の方を見て声を揃えて返事をした:
「「明日からもよろしくお願いします!」」
「よし打ち合わせ終了だ。後はのんびりしよう……はふ」
肩の力も抜けて、引き締めていた顔の表情も緩む。
酒場とはいえ二人に酒はまだ早い。何種類かの果汁を混ぜた飲み物を飲んでいる。
俺は戻ってから素早く眠れるように、酒を一杯頼んだ。
「二人は俺の視察に付き合ってる時以外は何してるんだ?」
頼んだ酒を少しずつ楽しみながら、ふとそんな事が気になった。
干し肉を齧り、飲み物を飲み、干し肉を齧りを繰り返していたスタンがまずは答えた。
「修行っ!」
前とそんなに変わらずか。
「最近はじっちゃん、ばっちゃんだけでなくシアもあんまり付き合ってくれないから、素振りとか中心だけどね」
顔は別に残念そうって感じではない。
方法は何であれ、強くなるために頑張っているからだろうか。
「シアも一緒に修行かと思ったが、スタンとは別に何かやってるのか?」
飲み物そっちのけで、干し肉や木の実類を頬張っていたシアが、急に話をふられて驚いた表情をしていた。
「え? あ、いえ……私は別の修行しています」
ふむ、スタンと実力差があるから別メニューでの修行をしているって所か。
一緒に修行してもいいと思うんだがな。
そう考えているとシアの視線を感じた。
シアは酒を飲んだわけでもないのに頬が赤かった。
「良き妻になるための花嫁修業を……きゃっ」
あぁ……そういう修行か。
俺の頭の中では大鎚を振り回して敵を吹き飛ばしているイメージから、エプロンをつけて肉を叩きまくるイメージに変わった。
「そうか、まぁ……頑張れ」
「はいっ! 近いうちに修行の成果をお見せ致しますわ」
こっちにその気があんまり無いだけに、どう反応していいか困る。
微笑ましいとは思うし、好意を向けてくれるのも嬉しいが、俺の中ではまだまだ子供だ。
「……兄貴、兄貴」
何だか自分の世界に入っているシアを眺めていると、スタンがテーブルの陰から俺の袖をひっぱってきた。
そして小声で俺の名前を呼ぶ。俺もあわせて小声で答えた。
「ん? どうしたスタン」
「真っ赤で、具に色々とよくわからない物が煮込まれた料理が出てきた時は……気をつけてね」
赤い煮込み料理? それが一体何だというのだろう? ましてや気をつけるようにとは……。
「なんだそれは? 何をどう気をつければいいんだ?」
スタンの表情が少し陰った。聞いちゃいけない事だったのか?
「……手段は任せるけど……意識を保っていられるように頑張って」
「ちょっと待て。それは意識を失うような代物なのか?」
料理かそれは? 毒物の話をしてるわけじゃないよな?
「詳しい事は俺にもわかんない。ばっちゃんとシアだけでやってるから」
サルビアとシアの組み合わせか。
俺の勘が警戒を促してくる。
「一回内緒で台所にあるのをつまみ食いしたんだけど……一口で意識が朦朧として、台所から逃げるのに精一杯だったんだ」
祖母の味を孫娘に伝える、そんな心温まる逸話で無い事だけはよくわかった。
「あの、魔王様。兄様と二人で何を小声で話されているのですか?」
シアが俺とスタンが内緒話をしているのに気づいた。
少し探りをいれてみるか……。
「なぁ、シア。花嫁修業とは、サルビアから料理を教わったりもしてるのか?」
さぁ。どんな答えが返ってくるか。
「あ、はい! まだ研究――いえ、練習中ですが。魔王様に食べてもらえる味になったら宜しくお願い致します」
シアの笑顔と不穏な単語が聞こえてきたせいで俺の胃が、きゅっと縮んだ気がした。




