秘書
橋から転落し、玉座への転移からしばらく後。
意気消沈した俺は執務室へ戻っていた。
「はぁぁぁ」と大きなため息をつきながら
早く処理しなくてはならない書類から再び手をつけ始める事にする。
書類を処理しながらも中身は全くといって頭に入ってこない
意識はまだこの日々から抜け出す事に向いているからだ。
「魔王様、お戻りですか?」
ノックの音と共に扉の向こうから声が聞こえた。
俺をこの場所に束縛している筆頭のおでましだ。
「あぁ、入れ」
誰かわかっているので威厳のある言い方をする必要は感じない。
いつも以上に力の抜けた返事をする。
「失礼します」
書類の束を抱えてるにも関わらず、器用に扉を開け秘書が執務室に入ってくる。
「ヒナ……まだ書類が増えるのか?」
そろそろ机の拡張が必要じゃないのかと本気で思ってしまう。
「はい。急ぎで処理して頂きたい書類はこれと、これに……それとこちらですね」
そう言いながら慣れた手つきで、机の上の書類の山が積み替えられていく。
処理すべき順番と、どの書類がどこにあるかわかっているからこその動きだ。
書類の山があっという間に、違った形の山脈に姿を変えていく。
「後は確認をお願いしたい順に置いておきますので、早めにお願い致します」
目の前に広がる紙の山脈を眺めながら、平地に戻るのはいつだろうと考える。
「後、ヒナじゃなく、ちゃんとフィーナとお呼び下さい」
持っていた最後の書類束が机の上に勢いよく置かれ、乾いた音が響く。
「呼び慣れてるからなぁ、フィーナの方が呼び難い。何より変えるつもりがない!」
両腕を前で組みながらそう言い切る。
ヒナ。本名は本人が言うようにフィーナである。
俺の幼馴染であり、最古参の仲間の一人。年は俺より下だったはず。
長い銀髪を後ろで束ねてアップにしている。髪留めが妙に子供っぽい時があるが、今日も小さい子がつけそうな、花をあしらった髪留めだ。
褐色の肌に体のラインがわかりやすいぴっちりした服を着ている。
上に一枚羽織っている事を差し引いても……
こちらは山ではなく丘が二つって所だな。とてもなだらかな丘だが。
「今失礼な事考えてらっしゃいませんか?」
笑顔だが、眼鏡の奥は全く笑っていない。
視線を自然に書類に戻す。
違和感なんてないな、
我ながら動揺なんて微塵も感じさせない動きだ。
魔王が言うのだから間違いない。
「まぁいいです。それにしても、しばらく戻られないかと思っていましたが、
お早いお戻りですね」
有能な秘書様は痛い所をついてくる。
「息抜きに散歩していただけだ。仕事があるのだから、すぐに戻るのは当たり前だろう?」
「休憩した事でこれから処理するスピードが上がるわけですね。流石は魔王様。
本日はここまで処理して頂ければ構いませんので――よろしくお願い致しますね」
そう言って今日の目標地点を示してくる。
慈悲なんてものはそこに無かった。
「では私は失礼いたします。後で飲み物をお持ちしますので」
礼をしてヒナは俺に背中を向けて扉へ歩いていく。
「本日は進捗状況の報告が多いので、最初の束を終えれば早く終わると思いますよ」
仕事を再開した俺の耳にそんな声が聞こえ、視線を扉に移すが……既にヒナは執務室から出て行っていた。
「はいはい、助言にしたがって頑張るよ」
相変わらず良く見ている。そう思いながら俺は仕事を再開した。
ヒナの助言通り、最初の書類束を終えた後は目を通して確認するだけの書類が続いた。
内容をざっと見てサインしながら、頭の中ではこれからの事を考える。
今日は勢いで飛び出したが、自由までの道には数々の障害が待ち構えている。
一朝一夕で抜けられるものではない。
まずは構造を把握しなくては……。
ようはここから入口へ向かうルートを見つければ良い。
どうせ時間はある……少しずつ確実に進んでいこう。
「ふん。机の上の戦いだけよりは楽しくなるだろうさ」
とりあえず今日は橋の注意点と突破方法をメモしておく。
明日はもっと先へ行くために。
――――――
私は飲み物の用意をしながら先ほどの魔王とのやり取りを思い出していた。
「呼び方を変えるつもりはない、か」
何度言っても昔からの呼び方を変えてくれない。
確かに小さい頃は自分の名前が上手く発音できなくて「ヒナ」と言っていた。
「その呼び方を嫌っている訳ではないのも確かね」
髪留めがずれてきたのを直しながらそう呟いてしまった。
魔王とは同じ村に生まれて一緒に育ってきた。
そしてたくさんの戦いを経て今の私達がある。
村にいた時とは周りにいる者達の数も規模も比べ物にならない。
この魔王城という拠点だけではない、私達も集団としてまだまだ変わっていっている。
「だから昔みたいな戦いも、自由も我慢してもらなわないと」
魔王が今やろうとしている事を止めるつもりはないけど必要な事だけはやってもらわないとね。
さて、飲み物を持っていくついでに様子を見てきましょうか
飲み物を二つ用意して執務室に向かう
――――――
「……何をなさっているのですか?」
「いや、ちょっと運動をだな……」
執務室に戻った私が見たのは、なぜか部屋の中で全力のジャンプを繰り返す魔王の姿だった。




