第二章(3)
ビィービに散々せがまれたザックは、行きつけの飲み屋兼レストラン【陽気な荒くれ者】に入った。すでに酒を飲み始めている親父たちがビールの泡立つジョッキを鳴らし、そこかしこで笑い声と喧嘩が飛び交う。相変わらずの盛況ぶりだ。
騒がしい店だが、飯は旨いし、量も多い。その上値段も手ごろときている。カウボーイ仲間もよく来るし、もちろんザックも常連だ。
「お、ザックじゃねぇか。今日は仕事休み……じゃなくてデートか?」
ザックたちの来店に気付いた店の親父が、振っていたフライパンを置き、親しげに片手を上げる。綺麗に禿た頭がまぶしい店の名物おやじだ。
ザックは「ないない」と肩を竦めて笑うと、ぽかーんと店の雰囲気に呑まれていたビィービの頭をポンポンと叩いた。
「うちの新入りカウガールのお守りと街の案内だよ」
「おおう! こりゃまた、ちんこくて可愛いのが入ったな。新入りか、よ~し。だったら今日はサービスだ。好きなだけ食いな、半額にしてやるよ」
太っ腹なことを言い、親父がTシャツの袖を破かんまでに太くなった二の腕を叩く。
親父の言葉にザックとエリファー顔を見合わせ、二人でにんま~りと微笑んだ。
「本当にいいのか? 後悔するぞ」
「後悔だって。ガハハハハハ。俺はいったい、どこの海に行きゃいいんだ? そこの嬢ちゃんが食べきれるほど、うちの肉は少なくないぞ」
「さすがおじさん。おっとこ前! じゃあ、どれだけ食べてもいいんだよね」
「おお、イイぜイイぜ。た~んと食いな」
白い歯を見せて大笑いするおやじに、ザックとエリファーが小さくガッツポーズを取る。
ザックはビィービの背中を押してカウンターに座らせると、おやじがビィービにメニューを差し出した。
「ほら、好きなもん食いな。なんなら、特別にお子様ランチを作ってやろうか」
「えっと~……」
メニューを見て、ビィービが難しい顔をする。
何にしようか悩んでいるのか、とザックが思ったが、深刻そうな顔でビィービが悩んでいるのはもっと別の理由だった。
「読め……ない」
ああ、そうか。とザックが指を鳴らす。ビィービはドラゴンの子だ。読み書きができないのは、ある意味当然。エリーナには『常識を教えてやれ』と言われたが、常識に加えて読み書きも教える必要があるようだ。
しょうがない、ビィービには適当なものを注文してやろう。
そう思って、ザックがメニューを預かろうとしたのだが……
「おじちゃん。分かんないから、ここに書いてあるの全部頂戴」
そんなザックの親切心なんてお構いなしに、ビィービはにこっと笑いながら超ド級の注文をやってのけた。
「全部? ハッハハハハ、おもしろいこと言う嬢ちゃんだな。気に入ったぞ」
全部注文を冗談だと受け取ったおやじが、つるっつるの後頭部を撫でながら笑い声をあげる。
「でも、そんなに食えるのか。そんなちんこい身体で」
「食べれるよ~」
ビィービが両手を上げてアピールする。そりゃ食べれるだろうさ。冗談抜きに、ビィービは牛一頭を平らげたんだから。
だが、それにしてもの注文だ。いくら半額になったと言え、値段は馬鹿にならない。何せ、【陽気な荒くれ者】には値段も量も超ギガトン級メニュー、ステーキ20ポンド(パーティー用要予約)があるのだ。
そんなもんを食べられたら、いくらなんでもエリーナに預かった金が底をつく。
「ちょっと待て。ビィー……」
「そうだよね~。食べれるよね~、ビィービなら。楽勝だよね~」
ザックの静止を遮り、エリファーは何を考えているのか満面の笑みでビィービの頭を撫ぜた。こらこらこらこら、お前は何を言ってんだ!?
エリファーにはエリーナからもらった金額を伝えてある。もちろん、ビィービが全メニューを食べつくせば、こっちが破産することは知っているはずだ。
そんなザックの心内を読んだのか、エリファーはザックと視線を合わせると「任せなさい」と言わんばかりにウィンクした。
その顔は、もんのすごい悪い顔をしていた。
前にカウボーイ仲間でメキシカンポーカーをしたとき、男女問わずに身ぐるみを剥ぎ尽くしたあの顔だ。
「おいおい、エリファーの嬢ちゃんまで。勘弁してくれよ。言っておくが、うちの全メニューを食べ切れる奴なんか、この西部の街にはいねぇぞ」
「そ~んなこと言って~。本当は、全メニューを食べきられるのが怖いだけだったりして」
「なにぃお!」
くすくすと笑うエリファーに、おやじの顔が真っ赤になる。待て、おやじ。冷静になれ。お前もエリファーの性格を知っているはずだ!
普段は男勝りなエリファーだが、こと買い物に関しては驚くべき女子力というか、主婦力を発揮する。
ずばり、安く値切れるなら、値切れるだけ値切るのだ。
だがしかし、ザックは敢えて止めなかった。
理由は簡単。安く済むなら、それに越したことはない。
ザックはおやじを憐みの眼で見守りながら、お冷を一口流し込んだ。
「うちの店の全メニュー。食べ切れると思ってるのか?」
「あたしが心配してるのは。食べ切れるかじゃなくて、ビィービが満足するかよ」
「満足ぅ~だとぉ~。いくら嬢ちゃんでも、怒るぞ。満腹満足で客を帰すっていうのが、俺の信条だ!」
「じゃあさ、賭けてみる? ビィービが全メニューを食べ切れるかどうか?」
「ああいいぜ、やってやるよ。万が一にも食べ切れた日には、半額なんてけち臭いこと言わねぇ。全額タダにしたらぁ」
「ほんと!」
「おうよ! 男に二言はねぇ」
「さっすが! 色男は言うことが違うね。あ、ザックは何食べる?」
「んじゃ、ポークソテーとポテトサラダ。あと、ジンジャエールで」
「私はチキンソテーと豆のサラダ。あと、オレンジジュース。もちろん、ビィービが食べ切れたらこっちもタダにしてね」
「おうおう、イイぜ。食べ切れたら、な」
おやじが気合を入れるように前掛けを締め直し、デカいフライパンに油を流す。その上に分厚くカットした肉を落とすと、ジュウゥッと肉が焼ける音と共に、香ばしい香りが一気に立ち上った。ふつふつと沸き立つ油に、親父がニンニクを放り込む。ニンニクがフライパンの上で喜ぶように跳ねた。
おやじはさらにフライパンを増やし、ザックとエリファーの注文も同時に調理する。
その手際を眺めていると、不意におやじ苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、重い口調で話しかけてきた。
「そういや、ザック。北の【ハロッグ村】でファング盗賊団が暴れたらしいぞ」
「おいおい、ほんとかよ。被害は?」
「ヒデーもんだ。自警団もいたんだが、子供と若い連中が10人は誘拐されたらし、いよっと」
おやじが大きくフライパンを振り、上質な油を纏ったステーキが宙を舞う。
ファング盗賊団は、今西部で話題に上ることの多い盗賊団だ。ただ、他の盗賊団とは異質で、残虐な惨殺はほとんどなく人攫いを主な生業としてる。それも、若い人間を狙ってだ。おそらく、奴隷商人にでも流しているんだろう。
「お前ん所も、若い奴が多いだろう。用心しとけよ。特に……」
おやじが細い目をさらに細めて、ナイフとフォークを両手――右手と左手が逆なのは後で直させよう――に持ってニコニコと料理を待つビィービを見る、
なるほど、【ハロッグ村】はこの【ロウェルス・バール】から三日も馬を走らせれば到着する。飯時には物騒な話だが、聞いておいてよかった。その上、ビィービの容姿は人目を引く。
ザックはポテトサラダと豆サラダを皿に盛るおやじに、重々しく頷いた。
「ああ、気を付けるよ。他に、変わった話はないか?」
「変わった話か……そうだな。なんでも、ボロ衣みたいなフードを被って女の子を探し回る謎のじじいがここ最近そこら中の街に出てきてるらしいぞ」
「女の子、ってまさか。ビィービみたいな金髪の女の子か?」
食い気味に、ザックがおやじに尋ねる。もしかしたら、ドラゴンの仲間がビィービを探しているのかもしれない。
そんなザックの質問に、おやじは意味深な笑みを浮かべると、ザックだけ聞こえるように小声で答えた。
「それが実はな……ボロ衣の下はすっぽんぽんの変態じじいだったらしいぞ。今は、東のどっかの街で捕まってるらしい」
「あほくさっ!?」
どうでもいい、心底どうでもいい情報に、ザックが脱力する。
そんなザックに、おやじは禿げ上がった頭をペシャリと叩くと、のどちんこが見えそうなほど大声で笑った。どうやら、からかわれたらしい。
「お前は本当に騙しがいがあるな」
「ほっとけ!?」
「ガハハハハ、そう怒るな怒るな。ほら、話してる間に出来たぞ。ポークソテーと、チキンソテーにサラダ。そんでもって、ステーキのニンニク焼きだ!」
暗い話を吹き飛ばすように、親父は次々にできた料理をカウンターに並べた。湯気と香りがダイレクトにザックの食欲を刺激し、唾液を誘い出す。
ザックも出された料理を前にして、余計な思考を明後日の方に投げ飛ばした。
「んじゃ、頂くとするか。どうせタダだし」
「言ってくれるじゃねぇか」
ぴくぴくとこめかみを引き付かせて次の料理に取り掛かるおやじを他所に、ザックはポークソテーにかぶりついた。うま味と肉汁が一気に口の中に広がる。うん、旨い。やっぱり、ここの料理は最高……
「おじちゃん、おかわり~」
「「なにぃ!?」」
ザックとおやじが同時に叫ぶ。ビィービが掲げる皿の中には、肉片どころかソースの一滴され残っていなかった。なんということだ。これじゃあまるで、洗ったばっかりの皿じゃないか。むしろ、肉が乗っていたかどうかさえ怪しく思えてくる。
「まずひとつ」
エリファーが咥えたフォークを揺らしながら、人差し指を立てる。行儀悪いぞ、と言う言葉を、ザックは辛うじて飲み込んだ。
一方おやじは、焦るかと思いきや、意外と冷静に腕を組み……
「ほ、ほぉ~……。じょ、じょ、冗談じゃなかったたたたみたいだなああ。だが、しょ、勝負はわわっわ、こ、これからだぜ」
おもっくそ慌てていた。
それからはもう見ちゃいられなかった。次々にビィービの腹に消えていく、肉、肉、肉。肉に合わせて消えていくおやじの笑み、余裕、言葉数。最後の方は半ばやけ気味に、「これでも喰らいやがれ」とパーティー用の20ポンド肉を叩きつけたが、見事玉砕。今まで作ったことのない新作裏メニュー、DXマウンテンギガトンアイス盛りフルーツ添えなる、もはやオブジェに近い謎のデザートを出すも、ビィービはやっぱりアイスの一滴まで嘗めとって完食。
この日、【陽気な荒くれ者】は創業以来の最赤字を記録した。
ビィービの常識を学ぶ街探索一日目は、こうして何も学べないまま幕を閉じたのだった。