第一章(2)
「私は『脱走した牛を捕まえてこい』と言ったはずだが?」
心底不機嫌そうに眉を吊り上げた牧場のオーナーに睨まれ、ザックは気まずそうに視線を逸らせた。隣に並んだエリファーも同じく、視線を明後日の方向に向けている。
オーナーの怒りはもっともだ。誰だって逃げた牛が見知らぬ幼女になって帰ってきたら、ふざけるなと怒るだろう。
ザックたちにしたら至極真面目に仕事をしてきたつもりなのだが、それを説明する前にオーナーに一喝され、完全に切り出すタイミングを失ってしまった。
コツッ、コツッ、コツッと、苛立たちそうに指先で机を叩く音が響く。簡素な造りの椅子に腰かけたオーナーは、執務机に穴が開くんじゃないかと思うくらい、机を叩き続けた。
「エリファー、こっちを向きなさい」
「う……」
名前を呼ばれたエリファーが低く呻いた。呼ばれたからには、前を向かないわけには行かない。たとえ、そこにあるのが首つり台だとしてもだ。
「いや、ママ。あのね……」
「納得のいく説明をするんだぞ。分かるな、エリファー」
牧場のオーナーでありエリファーの母、エリーナが聖母のように微笑みを浮かべながら、鷹のように鋭い視線でエリファーを睨む。エリファーと同じ茜色の髪は後頭部で軽く結い、銀縁のシャープなメガネを掛けるその姿はやり手の牧場主を思わせる。その分、睨まれた時の威圧感が半端じゃない。
エリファーと向かい合う姿は、母娘というより完全に捕食者と獲物だ。ダラダラダラとエリファーの顔に滝のような汗が流れる。
――がんばれ、エリファー。お前ならやれる!
ザックが心の中でエリファーに声援を送る。ここでエリファーが正答を選べなければ、次の獲物はザックだ。エリファーの不正解は、すなわちザックの死。エリファーには何としてでも答えてもらわないと困る。
「えっと、あの……だから……」
「だから……なに?」
「そのね。この子がね、空から、うんたぶん空から落ちてきて。んで、雷っぽいものを吐いて、牛を丸焼きにして……全部食べちゃった、みたいな感じかな。あははは、あは……」
乾いた声で笑うエリファーを、ザックは危うくド突きそうになった。そして、心の中で涙する。
――ああ神様、どうしてこいつに馬術以外の知恵を授けてくれなかった?
説明がヘタすぎる。いや、言っていることはその通りで、ザックがもし「説明しろ」と言われても内容は同じだが、それにしたって言い方があるだろうに。
エリファーを指名するエリーナもエリーナだ。自分の娘の頭ぐらい分かるだろう。
ザックがチラリとエリーナの方を見ると、エリーナは痛恨の表情を浮かべていた。痛々しそうに我が子を見る視線は、同情を禁じ得ない。
やがて、諦めたようにため息を零したエリーナは、視線をザックに向けた。まともな答えを頼む、と投げかけてくる視線に、ザックは一瞬エリファーに視線を流して、首を小さく縦に振る。「チッ」とエリーナが舌打ちするが、ザックとしてもエリファー以上の答えは持っていない。
仕方ないという風に深い溜息を着いたエリファーは、問題の元凶、ザックとエリファーの間でぽかんと三人のやり取りを見守っていた謎の少女に目を向けた。
「で、お前は何者なんだ?」
ザックの疑問を代弁した言葉が、エリーナの口から問いかけられる。実際、この謎の少女はさっき目を覚ましたばかりで、ザック自身少女が何者なのかまるで聞けないでいた。
さすがに裸はマズイと、ザックのカウボーイジャケットをマントのように羽織った少女は、質問が自分に向けられたものだと気が付くと、太陽のような満面の笑みを浮かべた。
「ビィービはビィービだよ」
謎の少女、ビィービはエリーナに向けてバンザイをするように両手を突き出しながら、はっきりと透る声で答えた。
名前判明。この少女はビィービと言うらしい。
ただ、その発音と言うかイントネーションはこの辺りの名前じゃないのに、ザックは少し気になった。この少女は異国の出身なのだろうか?
ビィービの元気のいい返事に、エリーナは口を開きかけ、悩むように閉じた。思案顔を浮かべるエリーナが、コツコツコツと机を指先で叩く。ビィービの答えやすい質問を探しているのだろう。
ややあって、エリーナはビィービが理解しやすいように、ゆっくりとした口調で尋ねた。
「ビィービ、と言ったな。お前、雷を吐いたというのは本当か?」
いきなり確信を突く質問に、ザックとエリファーの肩がビクッと震える。これでビィービが「違う」と言ったら、ザックたちに弁解する術はない。
頼む!と心の中で祈るザックを他所に、ビィービは一瞬ぽかーんとした顔を浮かべると、次の瞬間、「あああっ!」と小さな悲鳴を上げ、慌てて両手で自分の口を押えた。
「何を、そんなに慌てている?」
「ふぉふぁふぁ、ふぉふぁ、ふぉふぉふぇふぉふぉ」
「口を塞いだら話せないだろ。慌てるな。少なからず、今現状でお前をどうこうする気はないさ。私の言っている意味が分かるな?」
優しく語りかけるエリーナに、ビィービは小さく頷くと、恐る恐る両手を口から離した。
「よし、いい子だ。それで、その慌て具合を見ると、信じがたいが本当にビィービは口から雷が吐けるんだな。ちょっと、見せてくれないか?」
「オーナー! 何言ってんだ、危な……」
「ザックは黙っていろ」
ビィービに語りかける声から2オクターブほど下がったエリーナの声に、ザックは慌てて姿勢を戻す。正直かなりビビった。エリーナの威圧的な声は、ショットガンよりも強力だ。
文字通り、一言で黙らされたザックに代わり、ビィービは困った表情を浮かべながら、首を横に傾げた。
「えっとね、雷を人間の前で出しちゃダメって、バーバと約束したの」
「バーバ? バーバとは誰だ?」
「バーバはバーバだよ。すっごく大きいんだよ、強いんだよ。群れの中で一番偉いんだよ」
両手を大きく振り回しながら、ビィービが一生懸命に説明する。バーバが何者なのかは知らないが、とにかくビィービに取っては尊敬できる相手らしい。
ビィービの説明をエリーナは大きく頷きながら聞くと、その合間を縫って口を開いた。
「そうか、バーバはとにかくすごいんだな。私も一度会ってみたいものだ。だがな、ビィービ。ビィービはそこのボンクラたちに、もう雷を吐くところを見られているんだ。だから、もう隠すこともないだろう」
「そうかなぁ?」
「そうさ。ああ、だが少し手加減してくれよ」
にっこりと、エリーナが母性に満ちた笑みを浮かべ、ビィービに語りかける。その笑顔に、ザックは寒気がした。エリーナは表情が自在に変わる仮面でも付けてるのだろうか?いつもの威圧的な鋭い眼光はどこへ行った。
ただ、その話の主導権を握る話術はさすがの物だ。横を見てみると、すでにビィービはやる気に満ちた表情をしていた。
「う~ん、わかった。じゃあ、ちょっと弱めにやってみるね。はぁ~~……」
ビィービが、その小さい口を大きく広げて、息を吸う。そして、一呼吸のタメを作った、次の瞬間。
ビィービの口から、鋭い光を伴った雷が迸った。吐き出された雷が、空中で何かに衝突し、耳を貫くような甲高い音と共に辺りに四散する。
「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!」
四散した雷の一本が、ザックに直撃した。強烈な電撃が身体を貫き、髪の毛の先がチリチリと焦げる。「カハッ……」と口を開けると、パイプを吸ったように灰色の輪っかが、ゆっくりと宙を漂った。
そのまま、ザックは糸の切れたマリオネットのように、ばたりと床に倒れ込んだ
「ふむ。まさか、本当に雷を吐けるとは。いや~、驚いた驚いた」
感心するエリーナの声に続き、キーンと甲高い音を立てて何かが床に落下する。首を何とか傾げてザックが確認すると、それは持ち手が焦げて黒く変色したスプーンだった。金属は電気をよく通す。おそらく、ビィービが雷を吐く直前に、エリーナが避雷針代わりに投げたのだろう。
エリーナは小さく拍手をすると、床に倒れて小さく痙攣するザックに一瞥もくれることなく、困った表情をビィービに向けた。
「しかし、お前は何者だ。今更、人間なんて言わないよな」
「それは言えないの。バーバと約束したから。絶対に言っちゃいけないの」
ビィービが再び、両手で口を覆う。今度は表情も硬くして、徹底抗戦するつもりらしい。
ビィービの対抗策に、エリーナは何が面白いのかクスクスと笑うと、椅子から立ち上がり、本棚から一冊の本を取り出した。
パラパラと本を捲りながら、エリーナがビィービのすぐ前で片膝を付く。
「お前はこれか?」
エリーナが、複雑な魔方陣の上に召喚された悪魔が描かれているページを指差し、ビィービに尋ねる。ビィービが首を横に振ると、エリーナは次に、雷の弓矢を携えた天使の描かれているページを指差した。
ビィービの首が、再び横に振られる。
「む……」
少し悔しそうに口をへの字に曲げながら、エリーナがさらにページを捲る。
そして、雷や炎、竜巻を吐き出す様々なドラゴンが描かれたページを指差した途端……
横に振られていたビィービの首の動きが、ピタリと止まった。
「なるほど。お前はドラゴンの子供と言うわけか」
「ええええええ! なんでわかったの?」
「「分かりやす過ぎだ(よ)!」」
ザックとエリファーの声が綺麗にハモッた。
いや、ハモッたのはこの際、横に置いておこう。
今はそれよりも
「ドラゴン? この子が? オーナー、本気で信じるのか?」
「あいにく、私は人の嘘を見抜くことに関しては街一だと自負している。まあ、ビィービが人間じゃないとしてもだ、コイツが嘘を言っているように見えるか」
エリーナがビィービの頭を引っ掴み、くるりとザックたちの方に顔を向けさせる。その両目で輝く黄金の瞳に淀みはない。なんだか、見つめられるこっちが後ろめたい気持ち薙なるほど、ビィービの双眸は澄み切っていた。とても、冗談や嘘を言っているようには見えない。まして、二度もあの雷を見せられた後となると、信じないわけにはいかない。
「でもよぉ。ドラゴンは想像上の生き物だろ」
「そうとも言い切れん。なにしろ、ドラゴンの牙や鱗なんて代物は、金持ちの間で取引されることが少なくないからな。まぁ、ほとんどがまがい物だろうが。――中には、本物としか思えないものも混ざっているらしい。実際、私もその手の類の物を見たことがあるしな」
ザックは至極まっとうな意見を言ったつもりだが、なぜかエリーナの言葉は違うと断定できない強みがあった。話し方なのか、エリーナの声の調子がそうなのか、彼女の話には問答無用で人を信じさせる力がある。
おそらく、エリーナの中では、もう完全にビィービをドラゴンとして認めているのだろう。再びビィービに問いかける言葉には、もう疑念はなかった。
「それで、ビィービは何で人間の姿なんだ? そして、なぜ他のドラゴンと共にいない?伝承では、ドラゴンは群れで動くはずだろう」
「えっと……ビィービね、方向とかよくわかんなくて、いつの間にか群れのみんながいなくなってたの。んで、ご飯がなくて、お腹が減って、なるべく力を使わなくすむ人間の姿になってるの」
「なるほど。そういう事情か……。それで、だが。ビィービ、お前はうちの牛を一頭丸々食べたんだよな」
「うん。おいしかったよ~」
満面の笑みで頷くビィービに、エリーナが満足そうに頷く。
「そうだろう。手塩にかけて育てた牛だ。不味くては困る。それで、だ。ビィービ、人間の社会では、牛は商売道具であり商品だ。ビィービには、牛一頭の金を払ってもらわなくちゃならない」
「お金……て、なに?」
ビィービが心底不思議そうな表情を浮かべ、これまでで一番深くまで首を傾げた。
ザックとエリファーがそろって顔を見合わせる。はたして、ドラゴンの社会の中で、お金と言う概念はあるのだろうか。ビィービの反応を見る限り、その可能性は絶望的だろう。
「お金と言うのは対価だ。ビィービが牛一頭を食べたのなら、牛一頭分の対価を払わないといけない。が、見たところビィービは無一文。帰る場所もなければ、住む場所もない。そうだな」
エリーナの言葉に、ビィービが今更ながら自分の立場を理解したのか、心細そうに頷く。
そんなビィービに、エリーナは小さく笑いながら、その小さな頭にポンと手を置いた。
「そこで、提案だ。ビィービ、お前、うちでカウガールをやる気はないか? 牛一頭分、働いて返せ。飯と宿はこちらで保証してやる。どうだ?」
こつんとビィービの額に自分の額を重ね、エリーナが尋ねる。ビィービの金色の髪に、エリーナの茜色の髪が混ざり、何とも言えない色彩が生まれた。
普段はまるで逆だが、こういうところは親子だなーと、ザックがエリファーを盗み見ながら思う。エリファーもエリーナも自分の決めたことには、とにかく強引なのだ。
一方、その強引な誘いを受けたビィービはきょとんとした顔で、聞き返した。
「カウガール? なに、それ」
「自由とロマンに生きる女のことだ。ちなみに、類似品でカウボーイっていう奴らもいる」
――類似品かよ。
ザックは苦笑いを浮かべながら、ビィービの答えを待った。
「自由……ロマン……」
エリーナの言葉を小さく反芻したビィービは、ぱぁっと太陽のような笑みを浮かべると、エリーナにしがみ付いた。
「やるーっ! ビィービ、カウガールやるーっ!」
「そうか、そうか。わかったぞ。じゃあ、その前に服やその他もろもろの準備だな。エリファー!」
「は、はいっ!」
「母屋の私の部屋のタンスの一番下に、あなたの子供時代の服が残ってるはずだから、この子に着せてあげなさい。いいわね」
「わかったわ、ママ。ビィービ、行こ」
エリファーがビィービの手を引き、部屋から出て行く。
そこでようやくザックの身体の痺れが取れてきた。ゆっくりと立ち上がって、身体の調子を確認。指先や舌がまだ痺れている気がするが、そのうち取れるだろう。
「んじゃ、俺も行きますわ」
ザックが埃を払いながら扉へ向かう。
「待て、ザック。どこへ行く?」
「どこって、牧場。まだ、午後の仕事が残ってるし、あ~でも、その前に飯くらいは食っとかないと……」
「ああ、仕事なら休め。皆には、私の方から伝えておく」
「はあ?」
「鈍いやつだな。ビィービに街の案内をしろと言っているんだよ。拾ってきた責任だ。しっかり面倒見ろよ」
「いや、ちょっと待ってくれよ。拾ってきたのは俺だけど、アイツを雇ったのはオーナーじゃ……おぷっ!?」
激しく抗議するザックの口を、エリーナが投げた革袋が塞いだ。
ザックが苦い顔をしながら口から革袋を取り出す。ずっしりと重い革袋には、ジャラリとなかなかのお金が入っていた。
「手間賃だ。それでビィービにお金の使い方と、街の施設、人間としての住み方、それと……上手い嘘のつき方を教えてやれ」
「上手い嘘のつき方なら、オーナーが教えた方がいいんじゃないのか? 『人の嘘を見抜くことに関しては街一』? カジノで毎月借を作ってくる人が何言ってんだよ」
「さっさと行け! 来月の給料を減らされたくなかったらな」
一方的、強引なオーナーの命令に、ザックは「へいへい。わかりましたよ」と苦笑しながら部屋を後にした。