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プロローグ

 プロローグ

「あっっっんの馬鹿牛、どこ行ったああぁぁぁぁ!」

 相棒のカウガール、夕焼けのような茜色の髪を一束の三つ編みにしたエリファーが馬上で吠えた。

 荒野を駆ける馬の足音よりも荒々しいその声に、ザックは心底可笑しそうに鼻を鳴らす。すぐ隣を走るエリファーの顔を盗み見ると、悪魔も慌てて逃げ出しそうな怒りに満ちていた。

 無駄な飾りは一切ないレザージャケットに、味気ないチェック柄のウェスタンシャツ。すっかり色あせたカウボーイハットに、今にも踵の歯輪が取れそうなウェスタンブーツ。首に巻いたレモン色のネッカチーフだけが、唯一のオシャレだろう。

 しかも、エリファーが履いているのは何度も補修したボロボロのジーンズだ。最近では、カウガール用に可愛いスカートもあるというのに、エリファーはそれを「太ももが擦れていたいだけでしょ」と、ばっさりと切り捨てた。正論とはいえ、まったくもってロマンの分からない女だ。この時ばかりは、ザックも相棒を変えようかと本気で考えた。

「何笑ってんの、真面目にやってよ!」

「呼んで出てきたら苦労しねぇって」

「それでも叫ぶの!」

 叫んだら逃げるんじゃないだろうか?という疑問を、ザックはぐっと飲み込んだ。これ以上反論したら、いよいよエリファーの機嫌は爆発する。

 それに、くだらないことばかり考えてもいられない。ザックたちの牧場は、もうとっくの昔に見えなくなっている。

 ――昼飯までに、何とか終わらせたいよな~

 朝からの脱走騒ぎで朝飯を食い損ねたザックが、切なそうにため息を漏らす。と、そこでザックはエリファーも朝飯を食べていないことに気が付いた。

 なるほど、いつもにも増して気が起っているのはこれが原因か。これ以上、下手にいじるのはやめておこう。怒りの矛先がザックに向きかけない。

 頭では分かっていたのに、つい口が滑った。

「しっかし、これで何度目の脱走だ?」

 ザックが今朝牧場の西側で見つかった、外柵の見るも無残な残骸を思い出して溜息交じりに顔を顰める。

 しまった、とザックが思った時には遅かった。

 ぎりりと歯ぎしりをしたエリファーが、興奮した牡馬の様に荒々しく吠えた。

「15回目よ! じゅ~う~ご~か~いぃ~! 何度も何度も何度も何度も、なんっども直してあげてるのに、まーた柵をぶっ壊してええぇぇ! 修理代だって、バカにならないんだから! も~、今日という今日は許さない。今度こそステーキにしてやるんだから」

「ますます太るぞ」

「あんたが先にステーキになる?」

 じろりと涙目で睨まれ、ザックはゆっくりと視線を前に戻した。これでもうちょっと恥じらった反応をしたなら、エリファーももうちょい可愛げがあるんだろが。

 そこまで考えて、ザックはエリファーに気が付かれないように小さく首を振った。エリファーに可愛げなんて出てきたら、可愛いどころか不気味だ。考えただけで寒気がする。

「あああ~~~~んもう!」

 恥じらいも、可愛げもなく実に彼女らしく荒々しい声で叫んだエリファーは、まるでハイイロオオカミのように眼をギラつかせながら手綱を大きく振った。ばちんっと力強い音が鳴り、エリファーの愛馬が加速する。

 ――馬にあたるなよ、馬に。

 苦笑交じりにザックも大きく手綱を振るう。再びエリファーの隣に並んだザックは、むすっと風船のように頬を膨らませた相棒にまたまた苦笑した。

 まだ幼さが残る顔立ちのわりに、男に負けないほど気の強い大きな瞳。小麦色に焼けた健康的な肌に、馬術や牧場仕事で豆だらけになった小さな手。淑女には程遠い、馬を力強く挟む鍛えられた太もも。

 本当に、まったくもって、壊滅的にかわいくない相棒だ。

 ――どーしたら、こいつは可愛くなるのかね~。

 上の空で馬を操るザックの耳に、ただっぴろい荒野を睨みつけていたエリファーの叫び声が響いた。

「とっにっかっく! 絶対にニクル達より先に見つけるわよ。また馬鹿にされたら、今度こそ私キレちゃうと思うから」

「やめろ。暴れ牛は一頭だけで十分だ……って、見つけたぞ!」

 意識を現実に戻したザックが目を細め、声の調子を鋭くする。

「わかってるわよ!」

 ザックが声をかけるまでもなく、エリファーはすでに、遥か前方で土煙を上げながらつっぱ走る黒毛の猛牛を捉えていた。遠目でもはっきりとわかる巨影。牧場牛のくせに野生化した牛よりも遥かに荒々しいその走り方は、耳に下げた識別札を確認するまでもなく、やつが牧場から脱走した暴れ牛であることを如実に語っていた。

「おいおい、こんなところまで逃げてやがったのか」

 驚きを通り越して、ザックは感動してしまった。牧場からここまで、優に20キロはあるだろうに。

 牛と言うより最近話題の蒸気機関車だ。

「くっそ。本当に早いな。あのバカ牛」

「あんたが遅すぎるのよ、ザック。もっと馬術の方を練習したら?」

「なんだ、お前が教えてくれるのか?」

「女の私でよろしかったらいくらでも教えてあげるわよ。カウボーイさん」

 ザックが冗談交じりに声をかけると、エリファーは猫のように目を細めながら、挑発的に微笑んで見せた。

 ああ、神様。なんて腹が立つ笑顔だろう。ザックは久しぶりに本気で人をひっぱたきたくなった。

 もちろん、ザックの返事はNOだ。ザックにも男の、カウボーイとしての意地がある。

 ふふんと鼻を鳴らすエリファーに、ザックは面白くなさそうに口をへの字に曲げて、思いっきり手綱を振った。乾いた音が響き、ザックの跨る馬が加速する。

「あまいわよ」

 エリファーはすぐに隣に並んできた。軽く羽織ったレザージャケットが、風に煽られて激しい音を立てる。第一ボタンを外したウェスタンシャツが激しく波打ち、少し汗ばんだ谷間が覗くほど、エリファーは激しく馬を操った。慎ましい淑女なら悲鳴を上げそうな馬上で、エリファーの表情はとにかく得意げだった。

 ザックはもう一度加速しようとしたが、やめた。今はエリファーと意地の張り合いをするよりも、あの暴れ牛を捕まえる方が先だ。

「一応聞くけどよ、どうやってあの暴れ牛を捕まえる気だ?」

「体力尽きるまで追い駆けまわす!」

「お前の頭は牛以下だ!」

 ザックも学はない方だが、エリファーは輪をかけてひどい。外枠を壊す知恵を持っているあの暴れ牛の脳みその方が、エリファーより大きいに違いない。

 エリファーが顔を真っ赤にして怒鳴り散らすが、ザックはその声を完全に無視する。

 頼りない相棒の代わりに、ザックは見渡す限りの荒野で使えそうなものはないか探した。町を中心とした半径50キロ圏内なら、なんども仕事で遠征済みだ。大まかな地図は頭に入っている。

 ――この辺りなら、確かあれがあったはず……

 記憶を頼りに視線を走らせると、目的の場所はすぐに見つかった。

 ザックは大きな岩が密集した一帯を睨みつけると、即座にエリファーに指示を飛ばした。

「エリファー、あそこに追い込むぞ。お前は左から行け」

「命令すんじゃないわよ!」

 ケンカ腰に声を荒げながら、エリファーが愛馬の横腹を踵で蹴る。相棒のカウガールが一気に加速したのを見届けて、ザックは自分も愛馬の横腹を踵で蹴りつけた。

 後方に引っ張られる身体を、手綱を握る腕に力を入れて無理やり引き戻す。荒野の乾いた風に攫われそうになったカウボーイハットを抑えながら、ザックは目標を視界の端に捉えた。暴れ牛は依然逃走中。その後を、赤毛のカウガールが猛然と追いかける。

 悔しいが、馬を操る腕は確実にエリファーの方が上だ。かりにエリファーの馬にザックが乗っても、あれほどの速度は出せない。

 チラッと顔を覗かせた嫉妬心に蓋をして、ザックは集中するために短く息を吐く。

「ほんと、何回脱走すりゃ気が済むんだ!」

 吐息に悪態を乗せながら、ザックは再び踵を愛馬の横腹に打ち付ける。視線の先には、砂煙を巻き上げながら疾走する一頭の雄牛がいた。ザックが雇われている牧場きっての暴れ牛。今日も柵をぶち壊して逃げ出したそいつは、かれこれ3時間も前から逃走中だ。

 舌を打ちながら、ザックは左から大きく迂回しながら暴れ牛を追いかける相棒の姿を確認する。エリファーは男顔負けの馬術で愛馬を巧みに乗りこなしながら、暴れ牛との距離を詰めていく。その姿は、相棒として本当に頼もしい限りだ。

 荒野は平坦な道ばかりじゃない。大自然のいたずらのように、突如として大岩群が現れる場所がある。暴れ牛は、その大岩の密林へと突っ込んだ。

 だが、残念。あの岩の密林は、エリファーがいつも馬術の練習に使っている場所だ。

「うまくやれよ、エリファー」

 信頼と不安を織り交ぜながら、ザックがエリファーの背中を見送る。

 エリファーが暴れ牛の後を追い、岩の密林へと駆けこむ。エリファーの愛馬は、その巧みな手綱捌きに導かれ、一切速度を落とさずに岩の密林を駆け抜けた。

 ザックも遅れて岩の密林に突入するが、とにかく視界が悪くて思うようにスピードが出せない。ごつごつした岩に馬がぶつかって怪我でもしたら一大事だ。それでもギリギリの速度を保ちながら岩の密林を駆けるザックの馬術の腕は、エリファーに届かないまでも下手ではない。

 ただ、大岩の隙間から見えたその光景には、さすがのザックも唖然とした。

「ちょ、まじかよ」

 切り立った大岩の壁を、100キロは優に超す馬が駆け昇っていた。

「はっ!」

 鋭く息を吐いたエリファーの身体が、愛馬と共に宙を舞う。

「お~いつ~いた~」

 にんまりとエリファーが暴れ牛を睨んで微笑む。大岩を軽々と飛び越えたエリファーは、遂に暴れ牛の前に躍り出た。

 エリファーの愛馬が荒々しく蹄で大地をひっかき、暴れ牛を牽制する。が、これぐらいで闘争をやめてくれるような暴れ牛なら、そもそも柵を破って逃げたりはしない。

 暴れ牛が助走の勢いのままにエリファーへ突進する。エリファーは即座に手綱を引き、暴れ牛の前から離脱。そのすれ違いざまに、暴れ牛の角に縄を投げつけた。投げ縄の先端の輪が暴れ牛の角に引っ掛かり、引っ張られる力を利用してその輪を閉じる。

 ぐんっと、暴れ牛の凶暴な力に、エリファーの身体が大きく傾いた。

「ばかっ! エリファー、 縄を放せ!」

「命令すんな!」

 ザックの声に、エリファーは多少悔しそうな顔をしながらも素直に縄を放す。いくら男勝りでがさつで可愛げの欠片もないエリファーでも、女の腕力じゃあの暴れ牛は止められない。

 しっかりと手綱を握り直したエリファーに、ザックがほっと胸を撫で下ろす。

 さぁ、ここからはザックの仕事だ。

 角に縄をひっかけられた暴れ牛が、わずらわしそうに首を激しく振りながらなおも逃走を試みる。

「逃がすか!」

 エリファーの仕事を無駄にするザックじゃない。馬術の腕はエリファーの方が上でも、投げ輪の腕ならザックの方が上だ。

 大きく離されていた暴れ牛との距離は、エリファーのおかげで縮まった。ザックは左手で手綱をしっかりと握りながら、右手で腰の投げ輪を掴む。

 にやりと、ザックはタチの悪いギャングのように口の端を吊り上げた。

 エリファーは角に巻きつけて暴れ牛を止めようとしたが、暴れ牛を止めるなら狙いはそこじゃない。

 ザックが右腕を振り上げ、頭上で大きく円を描くように腕を振り回す。遠心力で投げ縄の輪を広げ、片手で馬を操りながら狙いを定める。

「オッルァ!」

 掛け声と共に縄をスローイン。綺麗に輪を広げた縄は、一直線に暴れ牛に迫り、その後ろ脚を捉えた。足を取られた暴れ牛はバランスを崩し、痛快なぐらいの大転倒を見せる。ゴロゴロと土煙を上げて転がる間に、縄はさらに足に絡みついた。暴れ牛はなおも荒々しく鼻息を吐いて身を捩るが、これでもう逃げられない。

「ふぅ。これで終了、だな」

「誰のおかげか、もちろんわかってるわよね」

 軽く息を吐くザックに、エリファーがゆっくりとしたテンポで馬を操りながら近づく。エリファーの愛馬はもうすっかり落ち着いていた。とても今の今まであれほど荒々しい走りを見せていたとは思えない。エリファーの馬を操る腕に、ザックは改めて感心した。

 そんな心の内が顔に出たのか、ザックに笑いかけるエリファーは実に得意げだ。

 エリファーが答えを待ち望むように、馬上でゆっくりと身体を揺らす。

ザックは自分の愛馬の首をポンポンと叩くと、自信満々で頷いた。

「9割9分、俺だろ」

「9割9分9厘、私よっ!」

 ばっかじゃない? と付け加えながら、エリファーが激しく猛抗議する。その怒りを現すように、赤毛の三つ編みが大きく揺れた。歯を食いしばり、血色のよい歯ぐきを剥き出しにする怒りの表情は、まったくもって可愛くない。

「ノロマ、アホ、間抜け。投げ縄バカ。ねぼすけ。ニヒル気取りのビビり野郎っ!」

「誰がビビりだ!」

「あんた以外に誰がいるのよ。なに、あの岩場に入ってからの走り? それでも男なの? ちゃんと下の方付いてる?」

 ザックは反論するが、すぐにまたその10倍の罵詈雑言が返ってくる。

 それも、いつものことだ。

 無限に出てきそうな悪口を聞き流しながら、ザックはカウボーイハットを脱ぎ、軽く手ではたいて砂埃を落とす。

 再びカウボーイハットを被り直すと、まだ悪口を言い続けているエリファーに、「でもよ」とちょっと真面目に、でもおどけながら切りだした。

「確かに、このバカ牛に追いつけたのはお前のおかげだよな。さすがだよ、相棒」

「な、何言ってんのよ。ばっかじゃないの。そんな見え透いたお世辞なんかで喜ぶわけないでしょ!」

 喜ぶわけないと言いながら、エリファーは実に嬉しそうだった。その証拠に、加速し続けていた悪口の機関銃はストップ。エリファーを止めるには、軽く褒めてやるのが一番良い。

 うんうん、扱いやすい。

 とはいえ、暴れ牛に追いつけて感謝しているというのは、ザックの本心であることも確かだ。ザック一人じゃ、未だに広い荒野で暴れ牛との鬼ごっこを続けているだろう。

 勢いが完全に殺されたエリファーは、もどかしそうに唇を歪めながら、愛馬のたてがみを指先で弄ぶ。その仕草はちょっとだけ、あくまでちょっとだけだが可愛げがあった。そんなことは、ザックは死んでもエリファーに言わないが。

 なにより、そんな仕草はエリファーには似合わない。エリファーはガサツなくらいがちょうどいい。

 案の定、エリファーはすぐにまた勝ち気な表情を取り戻した。

「優れた相棒に感謝しなさい」

 エリファーがこれでもかというくらい胸を張る。でも、そうやって威張るのもエリファーらしくない。

 自分自身でもそれに気が付いたのだろう。エリファーは「ぷっ」と小さく噴き出すと、今度は白い歯を見せながらはにかみながら、片手をザックに向けて持ち上げた。

 ザックも同じく片手を上げる。

「ナイス投げ縄!」

「ナイス馬術!」

 パチン!と子気味のいい音を立てて、ザックとエリファーがタッチを交わす。

 その時、遠くの方でゴーンと正午を告げる鐘が鳴り……

 天が割れるような轟音と共に、一筋の雷がザックたちの目の前に降り注いだ。





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