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試し行動

作者: 霜月希侑
掲載日:2026/06/09


雨が窓を叩く音が、部屋の中に響いていた。ゆきはベッドの上で膝を抱え、スマホの画面をじっと見つめていた。画面には、昨日から送り続けているメッセージが並んでいる。


「ごめん、ちょっときつかったよね。でも本当はそんなつもりじゃなかったんだ。返信して。お願い」


既読はつかない。1時間前にも、2時間前にも、同じ言葉を送った。電話を10回以上かけた。留守電に切り替わる直前で切ったのも、何回かある。


「どうしてわかってくれないの……」

ゆきの声は掠れていた。胸の奥が、熱い塊のようにざわついている。このざわつきは、いつも突然やってくる。些細な言葉、返事が遅いこと、相手の表情の変化――それだけで、世界が崩れ落ちる気がする。


昨日もそうだった。大学のサークルの先輩、遥香と二人でカフェにいた。遥香が「最近ちょっと忙しくてさ」と何気なく言った瞬間、ゆきの頭の中が真っ白になった。「私より大事なことでもあるの?」言葉は勝手に出て、止まらなかった。遥香の顔が曇るのを見て、ますます苛立ちが募り、結局は泣きながら「もういい、帰る」と席を立った。


家に帰ってから、冷静になった。またやってしまった。試し行動だって、頭のどこかでわかっている。離れないでいてくれるか、確認したかっただけなのに。傷つけたのは自分なのに、傷ついたのは自分だと言いたくなる。


夜中、ゆきは腕にカッターを当てた。浅く、でも確かに皮膚が裂ける感触。赤い線が浮かび上がるのを見て、ようやく息ができた。痛みは、胸のざわつきを一瞬だけ塗り替えてくれる。でもそれもすぐに消えて、代わりに後悔が押し寄せてくる。

「また迷惑かけた……」

遥香からの返信は、翌朝に来た。

「ゆきちゃん、大丈夫? 心配してるよ」

優しい言葉が、逆にゆきを追い詰めた。ごめんね、ごめんね、と何度も送りながら、涙が止まらなかった。謝れば謝るほど、自分が惨めになる。



大学を休みがちになり、母親とも口論が絶えなくなった。「もうあなたのこと、みてられない」と母親が言った夜、ゆきは薬を一気に飲み込んだ。救急車の中で意識が遠のく中、思った。どうして私は、いつもこうなんだろう。



――境界性パーソナリティ障害。

病院の診察室で、その言葉を告げられたとき、ゆきは初めて自分の苦しみに名前がついた気がした。

「見捨てられる不安が強いんですね。感情の波も激しく、自分を傷つけてしまうのも、症状の一つです」

医師の声は静かだった。ゆきは黙って頷いた。自分のせいじゃなかったのかもしれない、という小さな希望が、胸の奥で灯った。でも同時に、怖くもあった。これが病気だとしたら、私は一生この苦しみと付き合っていかなければならないのか。



夜、家に帰ってから、ゆきはベッドに横になり、スマホで「境界性パーソナリティ障害」と検索した。出てきたのは、同じように苦しむ人たちの声だった。

『見捨てられる夢を見て、朝から泣いてる』

『また、試し行動しちゃって、大切な人を傷つけた』『境界性パーソナリティ障害って診断ついて治療頑張ってるのにメンヘラって言われるのしんどい』


ゆきは画面をスクロールしながら、静かに泣いた。涙は、これまでとは少し違っていた。悲しいだけの涙ではなく、どこか温かいものが混じっていた。

まだ、全部が解決したわけじゃない。明日もきっと、些細なことで心が揺れて、誰かを傷つけて、自分を傷つけて、後悔するだろう。でも、少なくとも今夜は、こう思えた。


私は一人じゃない。この苦しみを、誰かがわかってくれている。


雨はまだ降り続いていた。ゆきはスマホを胸に抱き、目を閉じた。少しだけ、明日が怖くなくなったような気がした。


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