⑩-2 安堵
待合室に入ってきたのは赤毛の長身男、アルベルトだ。アルベルトは診療所まで、ティニアを抱きかかえて来たという。憔悴したアルベルトはマリアたちを見るなり、肩を揺らしてため息を吐き出した。
「……落ち着いた?」
「すまない。取り乱してしまった」
「近くにいたんだもの。仕方ないわ」
「…………」
アドニスが悪戯ぽく笑いながら人差し指を立てた。
「君が自責すれば、ティニアは心配して飛び起きるかもしれませんねえ」
「もう、アドニスさんったら……」
「……冗談にしては言いすぎだ。それに今は麻酔なんだ。起きたら大変だろ」
「でしたら、自責することを辞めるべきです」
冷静さを醸し出すアドニスだったが、十字架を握ったまま離さずに佇んでいる。
「そう言うアドニスさんが、一番余裕なさそう」
「それはそうでしょう。子供たちには黙っていますが、姿を現さなければ不審に思うでしょう。彼女は、子供たちの聖母ですからね」
「そうなのね。なるほど、なるほど」
「なんですか、マリアは……」
二人の様子が気にならないほど、アルベルトは待合室の時計を見つめた。手術が始まってから、一時間が経過しようとしていた。
「……ッ」
「アルベルト、大丈夫よ。先生を信じましょう」
項垂れてしまったアルベルトはやはり落ち着かない様子で、すぐに立ち上がった。そんなアルベルトを見たアドニスはティニアの鞄を持ち上げると、マリアに手渡した。
「もう日暮れです。レオン医師や看護師も常駐していますので、私はこれで」
「えっ、帰るの?」
「帰りますよ。我々が居ては、ティニアが休まりませんからね。……用事もありますし」
そういうと、アドニスはアルベルトを横目で分かりやすくチラ見した。
「どうか気落ちせず、希望を持ってください。……それに、アルベルト」
「なんですか、アドニスさん」
「……いえ。なんでもありません」
「…………?」
アドニスが診療所を出てから数分後、処置室の扉が開き、中から医師のレオンがメガネを整えながら顔を出した。二人の顔を見ると、レオンは疲れが出てはいるものの、笑顔を見せた。
「手術は無事に終わりました」
「ほんと!?」
涙ぐんでしまったマリアへ、レオンは屈むと優しく微笑んだ。
「ティニアさんの容態は安定していますよ。マリアさんは泊まられますか? 泊まるのであれば準備をします」
「ううん。私も帰るわ。……ありがとう、レオン先生。本当にありがとう。あのまま放置していたら、切断するしかなかったって聞いたときは、どうしようかと思ったわ。本当に、ありがとうございます」
「いえ。見抜けなかった我々にも責任はあります。ティニアさんが午前中に勤務していたのは、この診療所ですからね。とはいえ、私たちが落ち込んでいては、ティニアさんが嫌がりそうです」
マリアは一礼しながら、涙を服の袖で拭った。そして晴れやかな笑顔を見せた。
「そうね。でも、一番はティニアが悪いわ。怪我してるって、そう言ってくれたら良かったのに。……先生。ティニアのこと、よろしくお願いします」
「はい。……アルベルトさんも、落ち着かれた様で良かった。オペ中に過呼吸になられたのですからね」
「はい……。その、すみませんでした。ありがとうございました」
「あの、アルベルトさん。……体調がよろしければ、少し話せませんか」
レオンがアルベルトを引き止めたことに、マリアは不思議がった。
しかし、アルベルトは手術前に過呼吸を起こしており、その経過を見るのではないかと解釈した。
マリアはソファーに置いてあったティニアの鞄を抱きかかえた。疲れがどっと込み上げたと同時に、やっと安心できた。
「……それじゃあ、私はこれで。ありがとうございました。明日も来ますね」
「はい。そうしてください」
「先生も、出来れば休んでくださいね」
「ええ、ありがとうございます」
「……その、アルベルトも休んでね」
「ああ」
マリアがドアを開けると、外からは生暖かい風が立ち込めてきた。マリアがもう一度振り返ると、アルベルトと視線が合った。アルベルトも疲れた顔をしているが、どこか安心した表情を浮かべている。
「アルベルト、ティニアなら大丈夫よ。あの子、物理法則を超えちゃうから」
「そうだな」
名残惜しそうに、マリアは退出していった。その背中を目で追いながら、レオンはアルベルトの前へ進んでいった。




