⑨-4 イ短調 作品16
白衣を身にまとったレオンは、シュタイン・アム・ライン旧市街にある小さな診療所の医師である。
こじんまりとした建物だが、六人ほどが入院できる設備を備えていた。
午前の業務を終えると、看護師の女性とカルテに目を通す。最近雇われたティニアがカルテを整理してくれたおかげで、業務はずいぶんスムーズになっていた。
「調合の腕もいいですし、合間にカルテの整理までしてくださって。本当に気配りの出来る方ですね」
そばかすの女性がカルテをファイリングしていくが、それもすぐに終えてしまった。彼女は前任の医師と共に、この診療所を支えてくれていた看護師だ。
「そうですね。独自とはいえ、正規のルートで薬品もきちんと回ってきていますしね。他の病院より安価で安全だなんて、誰も想像しないでしょう」
前任の医師は高齢であることと、医師の母親の病により、突如引退が決まった。レオンは孤児であり、里親となった家族が医師の家系だったこともあり、自然と医学を学んだ。当然だが、そのまま医大へも進学した。
それでも里親の家系には長男と次男がおり、二人とも大変優秀な兄弟医師であった。二人の兄は揃って里親の病院を継いでいた。
「財団の顧客は数百年来続く、商人に連なるそうですよ。並みの流通ルートじゃ、太刀打ちできないでしょうね」
「確かに。信頼度が明確に違うでしょうからね」
レオンも里親に誘われ、常駐の医師として勤務を求められていた。二人の兄はそれぞれ外科と内科に分かれており、二人で協力して業務にあたることで、両親を支えていた。
養子のレオンにとって、里親の家族はあまりにも輝かしく、それが唯一の苦痛でもあった。
書類を整えると、レオンは看護師を休憩に行かせた。
「さて、病棟の確認と食事の有無を見たら、私も休憩しようかな」
ティニアの容態も安定しているようで、停止の発作もあれ以来見てはいない。それでも、彼女自身が診療所に来たことで一番効力を発揮したのは、薬品調合でも事務作業でもない。子供たちへの接し方だ。
孤児であるが故に、金銭が乏しく診療所に入院している子供が二人いる。二人とも男の子だが、まるで女の子のように幼く痩せ細っていた。食事は提供されており、他の入院患者と同じだったが、半分以上を残していた。
ティニアはすぐに提案を申し入れ、孤児院で作った子供向けスープを持ち込んだ。毎日違う具沢山スープは子供にとってはご馳走だったようで、残していた食事を完食するようになった。
二週間ほどで子供たちは元気になり、苦手な苦薬もティニアの前ではきちんと飲み切っている。また、絵本なども孤児院から何冊か持ち寄っており、孤児たちとも文通として文字も学ばせている。
「……僕も孤児院出身なんだけどな。そういう気遣いには気付きませんでした」
「…………」
「あ。申し訳ない。つい独り言を。気にしないで下さ、痛ッ」
ガンッという鈍い音が響き、レオンは眼鏡を直しつつ、オデコを抑えた。
「またカーテンレールにぶつかってしまいました。申し訳ない、驚かせてしまって」
入院患者の女性は、首を横に振りながら微笑んだ。女性は会話をすることが出来ないため、無言で微笑んだ。
「貴女も食事制限はありませんので、食事メニューについては改善していきますね」
女性は力なく頷くと、また微笑んだ。そして自分の右目をつついて見せた。
「? どうしました? あ、私の眼鏡が曲がってましたね。ははは、すみません。ありがとう。それではまた午後に」
レオンはカーテンレールを慎重に掴みながら、慎重に避けていった。そのまま診察室へ戻ろうという時、診療所の入口から言い争う声が聞こえたのだ。看護師が慌ててレオンに声を掛けてくるが、かなりの焦りで動揺している。
「先生、大変です。急患です」
「すぐに行く」
◇◇◇
「待って、待ってください。落ち着いてください!!」
別の看護師が慌てて制止する声が響いた。レオンが慌てて駆け寄ると、入口では見覚えのある女性がぐったりしており、抱えた赤茶色の長身の男が血相を変えて訴えていた。
「足に添え木があって、腫れていて、酷く熱を持っている! 呼吸も浅いんだ。頼む、助けてくれ‼」
レオンは、いつか見た光景を思い出し、その場に凍り付いてしまった。
意識は遠のき、全身が痺れたような感覚に陥った。
――赤毛の男が、金髪の小柄の女性を胸に抱きよせ、助けてくれと訴える。女性は力なく項垂れ、腕は宙に放棄されているのだ。
――場面は変わり、女性の姿は無い。そして赤毛の男は力なく呟く。
――俺のせいだ。
――冷たい風が大地に堕ち、水が失われた。光などない世界に闇だけが横たわる。そしてその闇は月へと送られたのだ。仲間たちと共に――。
怒り狂った炎は、風でかき消されることもない。
炎々と天まで延びると、大地へ向かって矛先を向けたのだ。




