⑨-1 再会
正午を知らせる鐘が、教会から鳴り響いた。
ティニアは午前の診療所勤務を終えると、孤児院へ向かう準備を始めた。
それが最近のルーティーンだった。
診療所に入院している二人の子どもたちは、すぐにティニアに懐き、苦い薬も頑張って飲めるようになっていた。医師であるレオンもこれには舌を巻いている。
看護師たちに会釈し診療所を出ると、いつも通り旧市街地を歩いていく。
静かに佇むフレスコ画を横目に、町の喧騒に耳を傾ける。
ティニアは本を抱えたまま、歩きなれた通りを抜けようとしていた。
「ティニア」
不意に声を掛けられたが、ティニアは歩みを止めなかった。
「随分じゃないか。久々だっていうのに」
再度発せられた男の声には、焦りがある。
無表情で振り返るティニアは、冷徹そうな視線を送った。彼女を知らない者なら、その場で凍りついただろう。
「……なに?」
「どうしたんだ。えらく機嫌が悪いじゃないか」
冷たくあしらうティニアの反応は、アルベルトにとっては懐かしく安心感があったようだ。
ティニアは頭を片手で抱えるように、眉間にしわを寄せた。
それに構わず、背の高いアルベルトが腕を回すと、ティニアは自然と彼の脇に収まった。
ティニアの頭は彼の胸元あたりにあり、頬を赤らめた。それでも不満そうにアルベルトを見上げ、すぐに視線を逸らした。
「カフェにでも行かないか?」
「……君さあ、馴れ馴れしくない?」
「俺とお前の間柄だろ? そうは思わないな」
アルベルトは名残惜しそうにティニアから体を離すと、手を差し出した。
「…………。……なに?」
「本、お持ちしますよ」
「はいはい。その口調を改めたらね」
ティニアは目線を逸らすと、気だるそうに呟いた。むくれた彼女の頬は少し赤く染まっている。
差し出した手を喫茶店へ向け直し、自らの胸に手を当てると軽く会釈した。
「なあ、お茶でもしようぜ?」
「言い方を変えろって意味じゃないよ。……ボク、割と忙しいんだよね」
「どうしたんだよ。いつもの返しはどうしたんだ。ボケにキレがないぞ」
「ボケってなに。何か用事があるの?」
ティニアは両手で抱えた本を強く握ると、不満そうに男を見上げた。
「うーん、ティニアは結構、背が低いんだな」
アルベルトは自身の頭上から手のひらをヒラヒラさせ、身長を比べようとした。ティニアは押し黙ると、本をぎゅっと抱きしめた。
「うるさいなあ……」
「しばらく見かけなかっただろ、心配してたか?」
「マリアは心配してたよ」
アルベルトは寂しそうな表情を堪えつつ苦笑いすると、ゆっくりと手を差し出した。
ティニアは再び差し出された手を無言で睨みつけた。
「本が大事なら、リュックを持つよ」
ティニアはハッとしたように口を緩ませると、子供のようにプイッとそっぽを向いてしまった。
「君のこと、信用してないから。お構いなく」
「なんだよ。ピアノの弾き語りを聴かせてくれた仲じゃないか」
「だからなんなの、それ。ボクが勝手に弾いてただけじゃん」
教会でピアノを弾いて見せたのは、ただの気まぐれだったのだろう。
それでも、アルベルトにとっては有意義な時間だった。
あのまま、時が止まってしまえば――と。
ほんの一瞬、世界が静まり返った気がした。
急に黙り込んだアルベルトを横目で見ると、ティニアは声を上げた。
「んもー、なんなの? ボクはもう孤児院に行かなきゃ行けないんだよ……」
「今日、お前は休みだって聞いたぞ」
「……ほんと、何処からそういう情報、聞いてきてるの? 用事があるだけだよ」
アルベルトの手をパシッと軽く叩いて断ったが、肩にかけてあった鞄が落ちかけてしまった。ティニアは鞄を手に持ち直そうとしたため、片手だけで持っていた本が、地面に落ちてしまった。
「あっ、ごめん! ボクとしたことが……」
「あーもう、何してんだよ」
本に謝りつつも、ティニアはすぐに本を拾おうとはしなかった。
見かねてアルベルトが屈み、本を拾い上げた。パタリと音を立て、本に挟んであった手紙が二通、地面へ落下した。
「ああ……!」
ティニアは慌てて子供たちの手紙拾い上げようとしたものの、硬直したように止まってしまった。
「……ッ…………」
屈んだままだったアルベルトは、その手紙を指で挟むとティニアを見上げた。
「なんだよ、ラブレターを隠してたのか? 相も変わらずおモテになるようで」
「……ち、違うよ。孤児院の子供たち宛。診療所の子たちとあの子たちは、文通しているの」
ティニアは視線を逸らし、片手で腕を掴んだ。
「ああ、そういう。文字の勉強をさせているのか」
アルベルトは納得したように言うと、ゆっくりと立ち上がった。
本と手紙を差し出すと、ティニアはそれを受け取った。
「……。それで、なに? 話があるなら、ここで……」
「お茶でもどうだ?」
「お一人でどうぞ」
ティニアは呆れたように溜息をついた。
「……お前が嫌なら、他の女とお茶するぞ」
意地悪な顔をした男に対し、ティニアは溜息で返した。
「はあ。それは女性が可哀想かな」
「あのなぁ……」
「もう孤児院行かなきゃ」
「だから今日は……あぁ、手紙届けるのか」
「うん」
ティニアはゆっくりと歩み出し、孤児院へ向かった。アルベルトが黙って後をついてくることに対し、ティニアは特に気に留めた様子は無かった。
その様子に、アルベルトは肩をすくめた。
◇◇◇
孤児院の玄関で掃除をしていたシャトー婦人は、すぐにティニアとアルベルトに気付いた。ティニアはシャトー婦人と二言三言会話を交わすと、手紙を差し出した。
シャトー婦人がその手紙を受け取ると、ティニアは一礼して歩いていった。
アルベルトはティニアの後を追いかけず、目だけで追った。
「ねえ、アルベルトさん」
「はい」
シャトー婦人の問いかけに答えつつも、アルベルトはティニアを見つめたままだ。その様子にシャトー婦人は溜息をつくと、ティニアを目で追った。
「久しぶりに会ったんじゃないのかい?」
「ええ、まあ。そうですね」
「追いかけないの?」
「迷惑でなければ、ね」
アルベルトは苦笑いを浮かべつつ、婦人へ軽く会釈した。その時、シャトー婦人のスカートの裾を引っ張る幼女がいた。幼女の手には、星の王子さまの絵本が握られていた。
「シャトーさん、ご本読んで」
「あ、ああ……。今はお客さんがね……」
「……いえ、俺はこれで」
ティニアが教会の角を曲がり、姿が見えなくなったところで、アルベルトは走り出した。
シャトー婦人はふうっと息を吐き出すと、幼女へ向かった。
アルベルトが小走りで教会の角を曲がると、ティニアにはすぐに追いついた。ティニアは振り返ることなく、美しい旧市街を歩んでいった。




