⑦-3 ヒツジをエガく
部屋の片付けは男が二人掛けで行ったため、すぐに終わった。
アルベルトはディートリヒの惚気を楽しそうに聞いては尋ねていたが、アルベルトはティニアへの想いは語らなかった。が、マリアがチクったことでディートリヒはよりアルベルトへ興味を示していた。
マリアが花束を五つ作り終える頃には、二人の男はガッチリと固い握手を交わし、タメ口で話していたのだから、驚きである。
「アルベルト、お前本当に良い奴じゃないか。理解力もある上に、聞き上手とはな」
「いや。奥方がディートリヒにとって、それだけ魅力的なんだろ。羨ましいよ」
「それは当然だ。しかし、お前さんがティニアか…………。ティニアは難攻不落だろう」
「ははは、そうだな。では、片付けも終えたので、俺はこれで」
「え? ……待ってよ。もう帰るの?」
マリアが玄関の間に立ちふさがったため、アルベルトは驚くとともに手で静止した。
「どうしたんだ。用事でもあったか?」
「用事っていうか、……あんたはティニアに会わなくてもいいの?」
「片付けの為に来たんだよ。ティニア目的で、片づけを後回しにしたわけじゃない」
「……もう少しで帰ってくるわ。今日、ティニアは早帰りなのよ。待ってあげてよ」
二人の様子を眺めていたディートリヒは、思わず余計な手間を加えたくなり、ニヤニヤしながら呟いた。
「なーんだ。マリアに気があって、彼を呼び止めた理由じゃないのか」
「なんでそうなるのよ。あなたたち、ずっと誰の理想の何を話していたの? 私なんて、アルベルトの理想とは真逆じゃない」
手でハッキリと意思表示も加えると、マリアはその手で時計を指さした。
「あと三十分もしないで、ティニアは帰ってくるわ!」
「いや。ティニアには、ここに来る前に会ったんだ」
予想外の展開に、マリアだけでなくディートリヒも口を開けたまま立ち尽くした。
「え、そうなの? 会ったって、どこで?」
「ああ、教会でピアノを……」
「おい。聞かないでやれよ。ティニアにもプライベートっていうのがな」
「ねえ、教会で何を話してたの? ティニアの様子は?」
「おい……」
血相を変え、マリアはアルベルトに迫った。その様子にディートリヒも眉間に皺を寄せた。
「……ティニアと、何かあったのか?」
「ん……、えと…………」
マリアは朝のやり取りを二人に話した。
話し終えると、マリアは自信を無くしたように俯き、ソファーへ座り込んだ。
ディートリヒは心当たりがあったのか、神妙な面持ちで口を開いた。
「壁を作っていたのは、ティニアではなかった。それは遠慮ではなく、あいつを受け止めきれない自信だけがあったから、か」
「……うん」
マリアはティニアの部屋の扉を見つめた。
主人不在の部屋は、静かにそこにある。
「抱えていること、背負っていること。それから、成し遂げたいこと。たくさん、話していてくれていたのに。――くまちゃんのぬいぐるみだって」
ディートリヒも思い詰めた表情のまま俯向いた。
「マリア……。俺も、妻もそうだ。目の前の自分のことばかりに気を取られて、平和ボケしていたんだ。過去を振り返らず、好きに生きていたよ。ティニアにとっての過去は、大切な思い出の一つなんだな」
ディートリヒはそういうと煙草に手を掛けたが、すぐに吸うのをやめて胸ポケットから手を離した。
「……過去に囚われすぎても良くないわ。でも、現実にあったことなの。なくなったりなんてしない」
「そうだな」
「生きていくだけでどんどん増えていって、抱えきれなくなるんだわ。ティニアは言ってた。一度飲み込んで、噛み砕いて、糧にして前に進むんだって」
アルベルトはマリアの作った花束を一つ手に取った。アイリスの花束だ。
「最近知り合ったばかりだから、あえて言わせてもらうが」
アルベルトは尚も花束を、花びらを見つめた。
「周りが代わりに抱えることはできない。全部を抱えてやろうだなんて思うからダメなんだろ。決めるのはティニアであって、お前たちじゃない」
「…………」
「あいつはお前らに全部抱えてほしいとか、分けたいとも思ってないだろ」
「それは、……そうだろうけど」
嗚咽のような嘆きが、花びらから視線を外させた。
「言っておくが、二人がティニアを好きすぎて、加減がわからなくなってるだけじゃないのか」
「…………」
「気楽に話せる相手なんだろ。マリアにとってのティニアは」
「うん、そうだね。ごめんなさい。……ありがとう」
「いや、別に大したことは……」
「アルベルト。……お前、歳は幾つだ?」
「えっ!?」
いきなり何を、という二人の問いかけに対し、ディートリヒは続けた。
「随分達観してるじゃないか。一体どんな苦労をしたらそうなるんだ」
「……そんなことはないさ。孤児だから正確にはわからないんだが、戸籍では三十歳にされている。……どうかしたか?」
空気が重くなり、息苦しくなると、ディートリヒからは汗が滴り落ちた。さほど暑くはない室内である。
ディートリヒは怪訝な顔で、ようやく口を割る。
「お前……」
「ど、どうしたの、ディートリヒさん……」
「いや、マリア。コイツは、アルベルトは……」
さすがのアルベルトも警戒したのか、気配が無になった。マリアでも動きが読めない。
「アルベルト、お前。俺と同じ歳じゃないか」
「へ?」
「は?」
「ディートリヒさん、私の緊張を返してくれる? いかにもな空気にしておいて、それなの?」
マリアは気が抜けしまい、近くのソファーに座り込んだ。アルベルトも疲れたようにソファーへ続いた。
「大事なことだろう!!」
「……そうっすね」
「そうなの?」
「で、アルベルトはどこに住んでいるんだ」
「え」
畳みかけたのは、まさに唐突な質問だった。




