⑦-2 アタマがカタいので
町の広場までやってくると、マリアは更に花を買い込んだ。
会計はミランダの夫であるディートリヒが支払ったため、マリアは悪びれた様子で花を抱えた。
「本当に買わなくて良かったのに。持ち合わせで足りるから支払えるし」
「いやー、思ってたより品種が増えてるんだな。色違いも多い」
「ミランダさんに贈れるわけでも無いのに、良かったの?」
マリアの不安そうな表情に、ミュラーは口を斜めにした。
「あのなあ。こっちは娘に花束を贈れて気分が良いんだ。しかも妻の店で活躍するための勉強だぞ……。母さんは喜んでるよ」
「そっか。ディートリヒさんが父親なら、ミランダさんがお母さんか」
「あのなあ。俺はいいけど、俺の妻を忘れるなよ」
「ふふ。ごめんごめん……。……痛ッ」
不意に耳鳴りが走り、マリアを激しい頭痛が襲った。
目の前に広がるのは、何度も見ている夢の光景だ。紫色と空色からなる、見たこともない空が目の前に広がる。
その空を無数の何かが通り過ぎていく。
そして現れた黒い影。
それは、マリアを懐かしい感覚に陥らせた。
「はあ……はぁ……」
気付けば、抱えていた花束から花びらが落ちていた。
「……リア! ……マリア! どうした!」
「う……。な、なんでもないの。よくある耳鳴りっていうか、頭痛で……」
「なに!? 大丈夫そうには見えない、病院には行ったか?」
「平気よ。もう治まったから……」
心配するディートリヒに、マリアはなるべく笑顔を心掛けた。その笑顔が、返って心配を誘う。
「診療所でいいから、一度見てもらってこい」
「……うん、考えておく」
マリアが花を抱えて、ゆっくりと立ち上がった時、ディートリヒは視線を感じて振り返った。
そこにはロングコートを羽織った男がいた。その男を見た瞬間、ディートリヒは僅かに目を細めた。
「うん? 見かけない奴だな。観光客が、こんな所まで……?」
「あっ!」
「あ」
長身の男、アルベルトは帽子をとると浅いお辞儀をしたが、前ほど嘘くさくは感じなかった。
「おい、知り合いか?」
「うん」
「悪い、後をつけるみたいになっていたな。悪かった」
アルベルトは丁寧にお辞儀をすると、ディートリヒへもしっかりとお辞儀をした。ディートリヒも自然と挨拶を返す。
「どうも」
「どうも、これはご丁寧に」
「うちへ向かってたんでしょ。同じ方向なんだから、別にいいわよ」
「うちって何だ?」
「えーっと。こちらはディートリヒさん。……私の勤務先の店主は、彼の奥さんなの」
「……ディートリヒ・ミュラーだ。初めまして」
ディートリヒは握手を交わそうと手を差し出したそうとしたが、両手に花で身動きがとれずに居た。
それを察したアルベルトは、丁寧にまたお辞儀を返した。
「初めまして、アルベルトです。お二方とは先日知己の仲になりまして、お世話になっております」
「お二人……? ま、まさか妻を!?」
「え、いや……。俺は」
「あー、ダメだ。本当にダメだ、俺は……。俺なんか…………」
「アルベルト、気にしないで。ディートリヒさんは、奥さんのミランダさんが全てなのよ。ミランダさんが今は海外に行ってるから……。その、愛妻禁断症状が……」
「なるほど、仲が宜しい御夫婦なのか。憧れるなあ。どんな奥様なのですか?」
そういうアルベルトはたまらず笑っているが、愛妻の事を聞かれたディートリヒは得意げになった。
「そんな素晴らしい方が奥方とは。羨ましい限りですよ、ミュラーさん」
「ディートリヒでいいぞ。なんだ、怪しいやつじゃなかったのか! お前いい奴だな」
ディートリヒは何度も頷いた。マリアはディートリヒの影から顔を出すと、アルベルトを見つめた。
「ともかく、ここじゃあれだからウチへどうぞ」
「いいのか? 突然だったんだが」
「手紙にあったじゃない。別にいいわよ」
「てってがみ!? お前……」
「はいはい」
そういうと、マリアは赤毛の束ねられた髪が大きく揺らして先になって歩いて行くのだった。
後方では男同士仲良さそうに話す(奥方への愛を語る)男たちの声が賑やかに家路を彩っていた。
空は晴れているのに、マリアの耳の奥だけがざわついた。




