⑥-5 したたかな
静寂の中に、町の喧騒が聞こえてくる。シュタイン・アム・ラインの中心地近くの診療所で、医師レオンは口元に手を当て考えて込んでいた。
「うーん」
一通りの検査をしながら、レオンは何度も唸った。検査が済むと、看護師はお辞儀をして去っていった。
医師としては、その方が良いとは言える結果だ。
しかし、今回の件では、起きている異常を説明できるものが欲しかった。
目の前の患者も、同じであろう。
「特に異常は見受けられませんね」
「そうですよねえー」
ティニアは無表情のまま、医師の胸に表示された名札に目を向ける。その名札を見つめたまま、ティニアは呟いた。名札には、“レオン・ハイム”と書かれている。
「僕は最初、先生を見たときに先生じゃないと思った」
「え? どうしたのですか、突然」
「新任の先生は、レオンって名前だって聞いてたからね」
「……はい? 私が、そのレオンですが」
「うん。名札見てびっくりしたよ。だって……」
ティニアはいたずらそうにニヤリと笑うと、名札を指さした。だが、ティニアは言葉を飲み込むと咳払いした。
「こほん。……ま、いいか…………」
「……?」
「先生って、孤児だったんだってね?」
「そうですね。神父アドニスにもお話しましたが、四歳頃まで孤児院で過ごしていましたよ」
レオンは眼鏡を改めて掛け直し、ティニアという女性を見つめた。目の前の彼女は、何がそんなに引っ掛かるのか。レオンにはわからなかったし、心当たりもなかった。
「失礼だとは思いますが、何方かとお間違えでは?」
「いや、先生だよ」
雨が上がり、光が差し込むと同時に、正午を知らせる鐘が鳴る。
ティニアは大きく腕を天井へ伸ばした。
「先生さ、若いのに大抜擢だったんだよね」
「……何ですか、急に」
ティニアは診察室を眺めると、包帯やガーゼが最小限に置かれているのを確認した。そして、立ち上がると窓の外を眺めた。
「くだらない闘争心や嫉妬心によって、必要な薬が手に入ってないんだってね。回ってくるアルコールも、相場より高いって聞いているよ」
「…………」
「僕さ、薬剤調合の資格があるんだよ。ああ、ちゃんとしたルートでの取得だから安心してね。所属している財団は、元々商売が主だったから、その過程で取るように言われてたの」
「……あなたは、診察に来たのではないのですか」
「診察に来たよ。今はもう診察が終わった。さっき正午を過ぎたでしょ。休憩時間だよ」
前髪がティニアの青い目にかかり、彼女は自然と前髪を揺らした。
「孤児院さ、午前中に職員が何人か入るの。今後は朝を休むように言われてて、午後からの出勤なんだ。だから、日中が暇なんだよね」
肩に届かないほどの金髪を揺らめかせ、女性は雨上がりの光に照らされると瞳までもが煌めき、反射によって瞳は緑を囁く。
「僕を午前中の間、ここに置いてよ。レオン先生達が居るなら、皆も反対はしないし。無理はしないからさ」
「それでは、午前中に休ませようという皆さんの希望から外れているのでは?」
目線が合うことは無い。ティニアは病室の外、窓の向こうを見つめた。町の喧騒は昼食時を表すかのように、ゆるやかに流れていく。
「どこも悪くなかったじゃない。大丈夫、財団の薬剤調達ルートは正規のものだよ。調べてもらって構わない」
「で、ですが……」
「薬剤の調達も調合も、僕が一人で出来るけど、元から居る職員さんとやったら楽だよね。……その代わり、孤児院の診察は優先してよ」
「……ふふ、なるほど。そういうことですか。なんやかんや、あなたはしたたかな方なのですね」
「だあーって、暇なんだもん。やることが無いのに休めって言われたって、……僕は何かやりたいよ。それに僕がここに居れば、皆安心するし、子供達も遠慮無く診察に来られるじゃん。良いことしかないよ! ね?」
目の前の女性は少女のように、無邪気に笑ってみせると、そのまま窓の向こうを見つめた。
晴れ渡る空へ鳥が羽ばたく音を聞いて、医師は女性の嘆願を受け入れた。




