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暁の芽吹 ―レスティン・フェレスⅠ  作者: Ruri Lesewolf
Episode6「前奏曲 変ニ長調 作品28 第15番」
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⑥-3 教会の朝

 ティニアはアルベルトを連れ、孤児院を出て中庭を抜け、教会へ向かった。アルベルトは早足で歩み出ると、扉を開けようと手を掛けたが、ティニアの声に止められた。


「今は僕が開けた方が良い」

「ん? どうしてだ?」

「僕が君を案内して連れてきた、という建前の為かな。アドニスがもう戻ってるかもしれないじゃん。誤解して騒ぐかも」

「ああ、なるほどな」


 風はないが、雨音だけが強く響いていた。


「ふふふ。やりたいなら、今度やればいいよ。今は僕が開けるね」


 ティニアは雨に濡れるからと急かすように扉を開け、アルベルトを中へ入れた。

 教会内には、アルベルトが先ほど見かけた老夫婦がおり、老婆が椅子から立ち上がる所だった。それを痩せた老紳士が支えるように手を差し出していたのだ。


 老紳士はティニアに気付き、帽子を取ろうと向きを変え、手を動かした。


「危ない!」


 ティニアの声に、老紳士が慌てて老婆に目線を向けた。老婆は老紳士の腕をすり抜け、体勢を崩してしまった。

 支えようと前に出た老紳士は、顔を歪めた。そのまま胸を押さえ、その場に崩れ落ちた。


 ティニアと共に入口にいたアルベルトの動きは早かった。

 老婆は倒れる直前に、アルベルトに抱えられていた。


「だ、大丈夫か!?」


 アルベルトが老婆、そして老紳士へ慌てて声を掛ける。老紳士は無言で老婆の手を掴むと何度も頭を下げた。

 安堵した老紳士はアルベルトへお辞儀をしたが、アルベルトは老紳士の胸を心配し、手をかざそうとした。しかし、老紳士はその手を取ることはなく、笑みを浮かべた。


 コツコツという外の雨粒の音が、教会のステンドガラスを叩いていた。


「フーバーさん、無理をすると奥様が余計に心配するよ。……微笑んだって、奥様にはバレているよ」


 ティニアはアルベルトのすぐ横まで来ると、フーバーと呼ばれた老紳士へ体を向けたまま老婆へ視線を移した。老婆をゆっくりと教会の椅子に座らせると、フーバー氏は嬉しそうにティニアたちを見上げた。


「申し訳ありません、大丈夫です。もうおさまりました。貴方も、大変助かりました。ありがとうございます。本当にありがとうございます」

「いえ。動作の初手、特に立ち上がりの最中は危ないですから、よそ見は気を付けて下さい」

「ごめんね。僕たちも、タイミングが悪かった」

「いえいえ、そのような……」


 フーバー氏は、老婆に杖を手渡すと、そのまま教会の扉へ向かった。ティニアが扉を開けると、外は風が弱まり、雨がしとしとと降り注いでいた。


 フーバー氏は方向を変えないまま、何度も後ろを気にしつつお辞儀をしていたが、目線は老婆を追っていた。

 教会の外には、一つの傘を広げた若い男女が待っており、老紳士は二人に気付くとそちらへ軽く会釈した。若い女性が傘を広げ、老夫婦のもとへ駆け寄ったところで、ティニアは扉を閉めた。


「ふう。ありがと、助かったよ」


 ティニアは扉に寄りかかりながら御礼を伝えた。アルベルトはそのまま進み、老婆の座っていた席に腰掛け、俯いてしまった。緊張がほぐれたのか、大きなため息をついた。



 ◇◇◇


 数秒の間、無表情だったティニアは美しい金髪を揺らしながら、アルベルトの腰掛ける席まで来ると、その背もたれを人差し指で三度叩いた。音はとても小さく、容易に雨音によって攫い消された。


「おばあちゃんね、音が聞こえないんだよ」


 コトコトという雨粒の音は、静まり返った教会に即興演奏を提供した。


「おじいちゃんね、心臓が悪いんだ」


 コッコッという雨粒はガラスを跳ね返ると、その即興演奏で踊り出した。


 ティニアはそれだけ話すと、教会の隅に置かれた小さなピアノまで歩み、鍵盤に光を走らせた。

 その光に沿うように、鍵盤を弾いていく。

 音楽に疎いアルベルトには、その行動の意味が分からなかった。


「二人とも、凄く仲が良いんだ」

「うん」


 鍵盤からは、コーン、コーン。ポーン、ポーンという音が、静かな教会に鳴り響いた。

 曲というより、ただの音のように聞こえた。

 意図が分からずに惚けているアルベルトをからかう様子もなく、ティニアは語った。


「それで、ずっと一緒に居ることはできないのかって。おじいちゃんが悲しんじゃってね」

「うん」

「だからおばあちゃんがね、神様に頼むんだって。私へ音を教える大切な役目があるのだから、まだ連れて行かないでくれって。おばあちゃんは懸命に、何度も神様へ『あーあー』って、大切な想いを伝えに来てたの。アドニスは二人の空間にしたかったんだろうね。だから買い物に行ったんだと思う」

「うん」


 ポロンポロン。ティニアはピアノを鳴らし続けた。

 アルベルトは鍵盤から雨音が響きだしたことに、ようやく気づいた。


「おばあちゃんね、だからって私を早く連れて行こうとは思わないでくれって、二つもお願いをしていいか、アドニスに相談してたの。先週だったかな」

「うん」

「二人を連れて来てくれたお孫さんたちは、旧市街を回りたがっていたの。さっきお迎えに来ていた若い男女が、その兄妹だよ。大切な両親を思い浮かべて散歩したいって言ってた。あいにくの雨だけど、素敵な日になったと思う。君のおかげでね」

「そうか、それなら良かった」


 ティニアはそのままピアノの前に座ると、細い指で撫で、髪を耳に掛けた。そのまま自然な動作でゆっくりと曲を弾きはじめた。


 曲は途中から奏でられたものの、聞き覚えがあった。しかしその旋律が何の曲なのか、アルベルトには判断できなかった。

 きっと、二人のための曲なのだろう。

 そう思いながら、彼は音に身を委ねていた。

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