⑥-3 教会の朝
ティニアはアルベルトを連れ、孤児院を出て中庭を抜け、教会へ向かった。アルベルトは早足で歩み出ると、扉を開けようと手を掛けたが、ティニアの声に止められた。
「今は僕が開けた方が良い」
「ん? どうしてだ?」
「僕が君を案内して連れてきた、という建前の為かな。アドニスがもう戻ってるかもしれないじゃん。誤解して騒ぐかも」
「ああ、なるほどな」
風はないが、雨音だけが強く響いていた。
「ふふふ。やりたいなら、今度やればいいよ。今は僕が開けるね」
ティニアは雨に濡れるからと急かすように扉を開け、アルベルトを中へ入れた。
教会内には、アルベルトが先ほど見かけた老夫婦がおり、老婆が椅子から立ち上がる所だった。それを痩せた老紳士が支えるように手を差し出していたのだ。
老紳士はティニアに気付き、帽子を取ろうと向きを変え、手を動かした。
「危ない!」
ティニアの声に、老紳士が慌てて老婆に目線を向けた。老婆は老紳士の腕をすり抜け、体勢を崩してしまった。
支えようと前に出た老紳士は、顔を歪めた。そのまま胸を押さえ、その場に崩れ落ちた。
ティニアと共に入口にいたアルベルトの動きは早かった。
老婆は倒れる直前に、アルベルトに抱えられていた。
「だ、大丈夫か!?」
アルベルトが老婆、そして老紳士へ慌てて声を掛ける。老紳士は無言で老婆の手を掴むと何度も頭を下げた。
安堵した老紳士はアルベルトへお辞儀をしたが、アルベルトは老紳士の胸を心配し、手をかざそうとした。しかし、老紳士はその手を取ることはなく、笑みを浮かべた。
コツコツという外の雨粒の音が、教会のステンドガラスを叩いていた。
「フーバーさん、無理をすると奥様が余計に心配するよ。……微笑んだって、奥様にはバレているよ」
ティニアはアルベルトのすぐ横まで来ると、フーバーと呼ばれた老紳士へ体を向けたまま老婆へ視線を移した。老婆をゆっくりと教会の椅子に座らせると、フーバー氏は嬉しそうにティニアたちを見上げた。
「申し訳ありません、大丈夫です。もうおさまりました。貴方も、大変助かりました。ありがとうございます。本当にありがとうございます」
「いえ。動作の初手、特に立ち上がりの最中は危ないですから、よそ見は気を付けて下さい」
「ごめんね。僕たちも、タイミングが悪かった」
「いえいえ、そのような……」
フーバー氏は、老婆に杖を手渡すと、そのまま教会の扉へ向かった。ティニアが扉を開けると、外は風が弱まり、雨がしとしとと降り注いでいた。
フーバー氏は方向を変えないまま、何度も後ろを気にしつつお辞儀をしていたが、目線は老婆を追っていた。
教会の外には、一つの傘を広げた若い男女が待っており、老紳士は二人に気付くとそちらへ軽く会釈した。若い女性が傘を広げ、老夫婦のもとへ駆け寄ったところで、ティニアは扉を閉めた。
「ふう。ありがと、助かったよ」
ティニアは扉に寄りかかりながら御礼を伝えた。アルベルトはそのまま進み、老婆の座っていた席に腰掛け、俯いてしまった。緊張がほぐれたのか、大きなため息をついた。
◇◇◇
数秒の間、無表情だったティニアは美しい金髪を揺らしながら、アルベルトの腰掛ける席まで来ると、その背もたれを人差し指で三度叩いた。音はとても小さく、容易に雨音によって攫い消された。
「おばあちゃんね、音が聞こえないんだよ」
コトコトという雨粒の音は、静まり返った教会に即興演奏を提供した。
「おじいちゃんね、心臓が悪いんだ」
コッコッという雨粒はガラスを跳ね返ると、その即興演奏で踊り出した。
ティニアはそれだけ話すと、教会の隅に置かれた小さなピアノまで歩み、鍵盤に光を走らせた。
その光に沿うように、鍵盤を弾いていく。
音楽に疎いアルベルトには、その行動の意味が分からなかった。
「二人とも、凄く仲が良いんだ」
「うん」
鍵盤からは、コーン、コーン。ポーン、ポーンという音が、静かな教会に鳴り響いた。
曲というより、ただの音のように聞こえた。
意図が分からずに惚けているアルベルトをからかう様子もなく、ティニアは語った。
「それで、ずっと一緒に居ることはできないのかって。おじいちゃんが悲しんじゃってね」
「うん」
「だからおばあちゃんがね、神様に頼むんだって。私へ音を教える大切な役目があるのだから、まだ連れて行かないでくれって。おばあちゃんは懸命に、何度も神様へ『あーあー』って、大切な想いを伝えに来てたの。アドニスは二人の空間にしたかったんだろうね。だから買い物に行ったんだと思う」
「うん」
ポロンポロン。ティニアはピアノを鳴らし続けた。
アルベルトは鍵盤から雨音が響きだしたことに、ようやく気づいた。
「おばあちゃんね、だからって私を早く連れて行こうとは思わないでくれって、二つもお願いをしていいか、アドニスに相談してたの。先週だったかな」
「うん」
「二人を連れて来てくれたお孫さんたちは、旧市街を回りたがっていたの。さっきお迎えに来ていた若い男女が、その兄妹だよ。大切な両親を思い浮かべて散歩したいって言ってた。あいにくの雨だけど、素敵な日になったと思う。君のおかげでね」
「そうか、それなら良かった」
ティニアはそのままピアノの前に座ると、細い指で撫で、髪を耳に掛けた。そのまま自然な動作でゆっくりと曲を弾きはじめた。
曲は途中から奏でられたものの、聞き覚えがあった。しかしその旋律が何の曲なのか、アルベルトには判断できなかった。
きっと、二人のための曲なのだろう。
そう思いながら、彼は音に身を委ねていた。




