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暁の芽吹 ―レスティン・フェレスⅠ  作者: Ruri Lesewolf
Episode5「小景異情」
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⑤-4 逡巡する想い

 どのくらい、立ち尽くしていただろうか。気付けば家の中にはマリアだけであり、ティニアの姿は無かった。

 ティニアが申し訳なさそうに声を掛け、家を出る様子が思い出せる。

 朝食の準備もせず、食事もせずに出勤させてしまった。


 惚けてその場にいることしか、今のマリアには出来なかった。


「私、何も言えなかった。折角、あの子が話してくれたのに……」


 アルベルトの話ではなかったのだろう。

 あれは、彼女自身の話だった。マリアには、そんな気がしていた。


 一人で考える時間が欲しくなった。

 外からは雨音だけが、聞こえていた。

 相談をすれば、話をよく聞き、よく話をしてくれるティニア。肝心なことについては語ってこなかった。だからこそ、話してくれたことは素直に嬉しかった。


「私、わかった気になってた。ティニアの事も、悩みも、まだ何も知らないんだわ……」


 マリアは拠点やレイスのことを、ティニアに黙っている。

 ティニアが自分を語らないのは、マリアが語らなかったからなのだろうか。


 会話する彼女は、マリアの心と向き合っていた。アルベルトが現れたことがきっかけかもしれない。知己の間柄だと思っていたが、二人はお互いの事をほとんど知らないだろう。自然に接してはいるが、好みはおろか最近まで名前も知らなかったのだ。それでも、二人の距離は近い。

 嫉妬でもしているのだろうか。アルベルトに。寂しさはみるみる込み上げ、マリアを飲み込んでいく。

 

 マリアは徐に手を伸ばすと、同居人の部屋の扉を開けた。部屋は整理整頓がきちんとされており、埃一つない。


 山脈の絵の隣には、井戸のような円状の筒の絵がある。この絵が何を意味するのか、マリアには全く分からなかった。

 ティニアの故郷のものだろうか。ずっと、大切に飾られている。

 どの絵もティニア自身が描いたものに違いない。同じ筆先で書かれ、孤児院に飾ってある絵と同じだからだ。


 ベッドの脇には、一体のぬいぐるみが置いてある。クマのぬいぐるみは、所々が丁寧に繕われ白いマントを羽織っている。丁寧に手洗いされ日干しされてる度に、決まっていつも写真に収めたいと笑っていた。


「このぬいぐるみだけは、北から南下するより以前からの所有物だったはず……」


 マリアが見たとき、ぬいぐるみは既にボロボロだった。

 それはティニアと出会って間もないころだ。寝たきりのマリアの側に、ティニアが置いていったのだ。

 マリアを介抱しながら、楽しそうに繕っていた。


「くまちゃん、好きだよね。ティニアって。ミトンも、くまちゃんの刺繍だものね」


 単なるマスコットだが、彼女にとっては違うのだろうか。

 幼いころに、両親に買ってもらったものなのだろうか。

 勝手な憶測は彼女に失礼だと、首を横に振った。


 マリアはベッドのわきに置かれた、明らかにマス目のおかしなチェス盤に気付いた。

 黒と白で書かれたチェス盤は、この家に共に暮らし始めてから持ち込まれたものだ。


 多くのピースが周囲を囲っている。そのピースは、ティニアの手製だ。五年ほど前まで、彼女は酷く悲しんでいた。ティニアが表面上だけ明るい仮面を被っていたことを、ミランダ夫妻やアドニス神父、そしてマリアは知っていた。


 全てを噛み殺し笑むと、ティニアはしばらく姿を見せなかった。戻ってきた彼女は、孤児院で笑顔を振りまいた。そして、増えていたのは新たな木彫りのピース。彼女はそれをチェス盤の傍へ置いた。そして、マリアに一言だけ添えた。


「これはチェス盤じゃない。だから、これらも駒じゃない、か……」


 マリアにだけは分かっていてほしい、そんな願いに見えた。

 あの時に自分がもっと寄り添えていたら、違ったのだろうか。

 チェス盤ではないからこそ、周囲を駒の様な木彫りが並んでいる。

 だとするのなら、黒と白のモノクロのチェックとも言える板は、何なのだろうか。

 彼女は明言を避けているようだった。


「私だって、いつも遅いわ……。後悔したって、何もわからない」


 ティニアの言う、遅すぎたという言葉。

 後悔を、ただひたすらに償う日々を送っているのではないか。


 彼女の身に、何が起こっていたのか。


 再びくまのぬいぐるみに視線を移し、押し黙る。

 カーテンは閉め切られており、少しだけ部屋は薄暗い。


「……私、まだレイスの情報も、襲撃者の事も、何もわからない。生存者がいたのかも、何もわからない。自分の事だって、全然わからない」


 自分から説明できることは少ないにしろ、不安を口にすることは出来たはずだ。


 それは、独りよがりだったのかもしれない。

 そんな言葉が当てはまる。


 彼女が胸の内に秘めていることを話しだしたのは、突然の事ではない。

 少なくとも、彼女は今弱っている。

 寄り添い、共に居ることが出来るのは、何もアルベルトだけではないはずだ。


 マリアはクマのぬいぐるみを大切そうに持ち上げた。ぬいぐるみの白いマントも、大切に繕われている。


「ねえ、あなたはアルベルトのこと、どう思う? 彼女を、助けてくれると思う?」


 物言わぬぬいぐるみを前に、マリアは言葉を続けた。


「あの懐中時計、大切な人からもらったものなんだと思うの。聞いたら、教えてくれるかな?」


 教えてくれるはずだ。今の彼女なら――。


 クマのぬいぐるみに話しかけている自分が面白くなり、自然と笑みがこぼれた。

 マリアは丁寧に元の場所へぬいぐるみを戻した。マントはひるがえり、騎士のように鎮座した。


「ちゃんと聞こう。うん。くまちゃんの名前だって……」


 (あれ)


「そうだ。紹介されてたんだわ。……くまちゃんの名前、確か」


 鳥肌が全身を覆いつくすようだった。


『この子の名前は、アルブレヒト……。トモダチなんだ!』


 笑顔で語る、ティニアの姿が目に浮かぶ。

 その言葉は、すり抜けるように口から零れ落ちる。


「アルベルト……。アルブレヒト……」


 静寂の朝は、外から人の声が聞こえ始めた朝となっていく。人々の往来が本格化したのだ。どんよりとした薄暗い雨模様の中、人々の日常が始まる。


 窓の向こうの世界は、空を雨雲が支配し始めたことでより薄暗いものの、所々に青空が望むだけでなく、雲の隙間から太陽が覗く不思議な空をしていた。


 雨は、しとしと降り続けていた。

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