⑤-3 祈るかのように
ティニアは堪えるように、ただ軽く口元だけが歪んだ。その口元に、あの懐中時計が近づいた。
「教会にはよく、兵隊上がりの人も来てたよ。……戦地から逃げてきた人も、大勢いたの」
神に祈るかのように、彼女は佇んでいた。やがて窓からの光はすぐに失われ、ぶあつい雨雲によって薄暗さが増していく。
ティニアが語っているのは、アルベルトの事なのだろうか。
「戦場へ行って、戦場から逃げ出して。あの時ああしていれば、こうしていればと思い悩む。悩むことが大事というより、そうやって自分の不手際を、傷を舐めて、それを忘れないようにする。刻んでいくの」
淡々と語っているようには見えない。
一つ一つの言葉を噛み締めるように語る。
「本心は浸るためじゃない。でも、浸ってしまうんだよ。なんだろう。怖いことなのに、居心地がいいんだ。罪を償い、償いを得ているようで」
それはまるで、教会で人々を優しく諭すかのような。
「世界で一番無駄で、無情な、そして無惨な自問自答。それは、やらないわけにはいかない。いつの間にか、無意識にそれらの思考は脳へ流れ込んできて、そしていつのまにか、泡のように消えていくんだ」
瞳を閉じると、マリアの鼓動を聞くかのように佇んだ。マリアに聞こえてくるのは、自身の心音だけだ。手に持つ懐中時計が光を放った。外からの反射だろうか。
「そうやって、人は常に償って生きていかねばならない。償いとは、そういうものなんだよ」
瞳を開けた彼女は、酷く虚ろの表情を浮かべた。
ティニアの瞳は、青を透かす。そんなティニアの目が、瞳が今にも涙を溢れさせるかのように揺らぎ、意識しなくともその苦しみが伝わってしまう。声は震えてこそいないものの、所々がかすれていた。
「それでも、目の前にあって出来ることがあるのならそこから手を付ける。遅くなってから、後悔をしてしまうから。どの道、後悔するの。そうせずにいられない。でも、もうやったところで、帰る場所はない。故郷など、最初からここには無い。胸を張って帰るところがあれば良かったのにね」
外はいつの間にか、大雨になっていた。その雨音が聞こえないほど、静かに滴り落ち、そして大地に飲み込まれ、消えゆく。絞り出す声と言葉も、虚しく吸い込まれてゆく。
彼女の心を開いたのは、マリアではない筈だ。余りに重苦しい重圧が、想像以上の質量が、暗く彼女を縛っているとでもいうのだろうか。
「曖昧でちっぽけな存在であっても、奪うことだけは出来てしまう。大きさにかかわらずね。一人では失うだけで、何も産み出すことは出来ないのに。……って、ちょっと説教臭かったかな」
ティニアは前髪をよく気にしていた。何度やってもおでこがでてしまい、何とかしたいと粘る前髪が、今は良く機能していて、目元を覆っている。
ここまでしおらしく、素直な彼女を喜んでいいものか、それとも。
「僕は特に、いつも遅かったから。遅れてやってきて、遅すぎるの。もう、何をしても間に合わない、だから……」
彼女は静かに天を仰いだ。
「物理法則を超えられたって、何の役にも立たない」
彼女が泣くのを堪えているのは、いつもだ。
「一度飲み込んで、噛み砕いて、糧にして前に進むしかない……」
彼女はそう言い聞かせるように呟くと、マリアに向かって微笑んで見せた。




