④-6 苦味
アルベルトはどうして紳士的な振る舞いをしていたのだろうか。その方が怪しいと感じるとは思わなかったのだろうか。
それでも、演じなければならないとしたら。
孤児として、軍に売られたと言っていた男。ご機嫌取りをして、失敗すればぶたれていた男だ。
生きるために、全てを演じていたのではないだろうか。
「むしろ、辛い事を話したくもない相手に喋らせたわ……」
「そんなことは……」
「そう? 話したかったのはティニアで、……私ではなかったでしょ」
「……悪い。怒らせたか」
「別に怒ってないわよ。……あなた、言葉を素直に話せないのね」
「…………」
マリアは珈琲を注ぐと、アルベルトの分を先にテーブルへ運んだ。カップを置く瞬間にアルベルトを見つめる。アルベルトはマリアを見つめたままであり、再び視線が合った。マリアは視線を外そうとは思わなかった。
「素直に出来ないけど、でも、偽っているのも辛かったのでしょう。あんな丁寧な紳士演じちゃって」
「参ったな」
「話し方は別として、あなたのことはある程度、信用できると思ってるわ」
マリアは自身のカップに残りの珈琲を注いだ。一杯目の珈琲より、マリアは二杯目が好きなのだ。
珈琲は黒く、それ以外の色はない。ミルクでも入れれば、更にマイルドになるだろう。
「私たちには、ティニアが居なきゃダメなんだと思う」
マリアは珈琲を一口含んだ。
珈琲はどこか酸味が強く、あまり美味しいとは感じられなかった。淹れ方は普段通りだったはずだ。
それも、好きな二杯目のはずだ。
今日の珈琲は、どこか自分に似ているような気がした。
アルベルトは特別な反応をするわけでもなく、ただマリアを見つめていた。受け取った珈琲カップが、少し揺れた。
「なんだろう。私も同じなのよ。あの子がいなきゃ、自分が崩れていくの。依存はしてると思う」
マリアは窓を眺めた。お湯を沸かしたせいか、窓には水滴がついている。
アルベルトは珈琲の香りを楽しむと、口に含んだ。すぐにもう一口飲むと、マリアを見た。
「……珈琲淹れるの上手いんだな」
「そうかな。今日は失敗したほうかも。お湯の温度がおかしかったかな」
「そんなことないさ。美味しいよ」
「ありがと」
アルベルトは言葉通り、珈琲を気に入ったのか熱さも気にせず飲んでいく。
「なあ。……ティニアも、一人じゃ立っていられないだろ。ティニアはあれで、君に頼っている所は多いと思うぞ」
「そうなのかな。私なんかに、傾きもしないけど」
「傾いたら、共倒れすると思ったんじゃないか?」
窓の水滴は滴り落ちながら、大きな雫となっていった。
「それでも、ティニアは君を頼ってるよ。一人じゃ不安なのは、君だけじゃない」
「……どうだろう。あの子が自然体で接することが出来るの、多分アルベルトだけだわ」
「そんなことないだろ」
「ティニアが倒れそうなとき、ティニアはどうするんだろうって、ずっと思ってたの。アルベルトなら、支えられるのかもしれない。別に許可したわけじゃないけど」
アルベルトは珈琲カップを置くと、ヘッセの詩集を捲っていった。それは仕草だけであり、読んでいるわけではなさそうだ。目が文字を追っていない。
マリアは珈琲を飲み干すと、ソーサーにカップを置いた。カチャリという軽い音に、アルベルトは少し反応した。
窓越しにアルベルトを見ているのがバレないように、マリアは視線を少し誤魔化した。
「私ね、ずっと彼女に違う人を見てたの。それは私の姉なの。別れる前に、大怪我を負っていたの。あの後に大戦もあったから、逃げ切れたとは思えないの」
「そうか」
アルベルトは顔を上げると、マリアを見つめた。マリアは視線を空になったカップへ向けたまま、ティニアにも話したことのない話を語りだした。
不思議と迷いはなかった。
アルベルトを試そうとしているわけではない。
「別れた後に、ティニア達に出会って、一緒に国境を越えてスイスに入ったの。その後から、ずっと姉を探しているの。忘れた日なんてない。私も探し人がいるの。……痕跡なんてない。でも、それをティニアに話したり、頼ったりしたことはないわ」
マリアが珈琲の布袋を持ち上げた。雫の後に伴って、幾つもの水滴が滴り落ちていく。マリアは窓を、その雫を目で追った。
「でも、気付いたの。ティニアはティニアなんだって。それからは早かったの。すぐに打ち解けたの。出会ってから何年も経っていたのに。私、今まで何をしてきたんだろうって」
「マリア……」
「まだ比べてる時はあるの。でも、二人は違う」
マリアは豆の入った布袋を流し台に移動すると、フィルターを外して無造作にゴミへ出してしまった。
「それでも私は姉さんを探すし、諦めたりしないわ。だって、ティニアをティニアとして見て、接して、楽しく過ごしていこうと思うのは別だもの」
「二人を比べることをやめ、ティニアと向き合ったのか。そして姉の残像ではなく、姉を探すことを決めたのか」
マリアは黙って頷いた。そのままアルベルトを見ることなく、自分の部屋のドアを開けた。
気恥ずかしい気持ちはあるが、心が軽くなったように感じられた。
「私も寝るわね。カップはその辺に置いておいて」
「マリア」
「何?」
「いつか、ティニアに話せるときが来るといいな」
振り返ることもなく適当に返しながら、気安く名前を呼んだことに対し思う所はあった。
「それから。……本、届けてくれて、ありがとう。珈琲も、な」
「うん」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
軽い音が部屋に響き、闇へ消えた。




