②-6 お節介
アンナは不機嫌そうに男を睨みつけたが、その表情は一瞬で緩んだ。
目の前には、整った顔立ちの長身男が凛々しいコートを羽織って佇んでいた。
アンナは頬を赤くし照れながら、男を足元から顔までじっくりと眺めた。
「なんだい……、こっちは取り込み中だよ」
「申し訳ありません。貴女のスーツは今話題のあのブランドのものですね。美しい貴女にとてもお似合いですよ」
「……あ、あらまあ。ありがとう。よく知ってるわね」
一見紳士のような振る舞いと褒め言葉に、アンナは照れた表情を浮かべた。言葉には発言のような軽さはなく、感情がこもっていたためアンナは逆に罪悪感を抱いてしまった。
「あの、大変申し訳ないのですが」
「? どうしたんだい?」
男は、アンナの背後に手のひらを広げた。アンナが振り返ると、先程まで会話をしていた金髪碧眼の女性の姿が消えていた。
「あれ? ……ティニア?」
慌てて辺りを見渡すアンナは、一瞬男の存在を忘れた。
女性の名を聞いた男は、一瞬、時が止まったかのように固まった。
そして、心当たりを探すかのように小さく呟いた。
「ティニア、と仰るのですか」
「……あの子、何処へ」
「申し訳ありません。美女たちの談笑を邪魔してしまい」
男は申し訳ないと言わんばかりに、胸に手を当てると、丁寧なお辞儀をして見せた。
「やめとくれ、美女だなんて! あの子は判るが、さすがにあたしは……」
「いえ、貴女は大変美しいですよ。その麗しの瞳がそれを物語っています。大変お優しい心を御持ちとお見受けします。ところで、先程の女性なのですが……」
「あ、ああ、ティニアね。ティニアは綺麗だろう?」
「ええ、綺麗ですね」
「だろ? 浮いた話はとんと無いんだが、まああの子は見た目とは違う性格をしていてねえ」
「違う……、性格ですか」
男は頷きながら、ティニアのいた方角を見つめる。気配すら残らない空虚を見つめたまま、何かを考えているようだった。
すると男は、思い出したかのようにアンナを見下ろした。
アンナは口元を緩ませると、男へ向かった。
「そうなんだよ。見た目じゃ清楚な感じに見えるんだろ。でも男に声を掛けられたって、適当に言いくるめて、お道化てやってね。要するに、更に心を奪っていっちまうんだ」
「なるほど。物静かで淑やかそうに見て、近付いた卑しい下心のある男相手に、無邪気に返してやった上に愛らしく微笑んでしまうと」
「そこまでは言ってないけど。まあ、そうさね。そういうことさ」
少し考え込んだ男は、アンナに一つの質問を投げかけた。
「ティニア嬢がどちらに向かったのか、ご存じではありませんか?」
アンナは分かりやすい程のしたり顔を作って見せた。
「なんだいあんた、ティニアに惚れた口かい」
「ええ、そんなところですよ」
「なるほどねえ」
男は少し照れたように口元に触れた。
アンナは仕事で使う目利きの眼をフルに使い、男を上から下まで分析した。アンナのスーツは知り合いの新作であり、布も最高品質だ。広告用のスーツなのだから、当然である。
しかし、男のスーツもまた品質は良く、何よりデザインから高価なものと見て取れる。余程の金持ちであろう。
「言っておくけど、あの子を落としたいなら、それ相応の身分や金なんてまるで意味が無いからね。どこぞの王様だろうと、あの子は口説けないよ」
「なるほど。周囲の男が愚かで助かりました」
「へえ、言うじゃないかい」
「お眼鏡に適いましたでしょうか」
男は胸に手を当て、アンナを見つめた。何かのオーラを感じ、アンナは眩しそうな仕草をして見せた。
周囲の若い娘の何人か男を見ている。アンナはかけてもいない眼鏡を整えると、目を細めた。
男はアンナの目が光ったように感じられた。
「あんた、スイス人じゃないね」
「ええ、そうです」
「怯まないんだねえ。このご時世で」
「ええ。ここでは、男が女性に声を掛けるのは珍しいようで、隠してもすぐにバレてしまう様でね。反応がとても新鮮で愛らしいのですよ」
「へえ、言うねえ」
アンナは自分の勘を信じてみることにした。
その予測結果は不十分であったが、アンナは気にしない。
手に持っていた本を見せるように持ち上げて見せると、アンナはあくどい顔をした。
「実は、この本をあの子に贈ろうと思ってたんだよ」
「ふむ。話題のヘルマン・ヘッセですか」
「おや。あんたわかるのかい」
「わかりますよ。特にその本は詩集ではありませんでしたから、ずっと未読だったのです。実は偶然にも、昨晩読み終えたところです。ただ最近になって急に……」
男はそう言いながら、胸ポケットから薄い書籍を取り出した。著者は偶然にもヘルマン・ヘッセである。
「おお、あんたも好きなんだねぇ。急に皆して、読むのをやめちゃったんだからびっくりだよ。あの子はヘッセが好きだから、そんなことは気にせず読みたがるだろう? だから、わざわざ持ってきたんだよ」
「そうだったのですね。それは大変失礼致しました」
アンナはおよそ五十年後の東国の島国にあふれる貴婦人のごとく、男をバシバシ叩き出した。男は体勢を崩すことはなかったが、多少驚いていた。
「そこで、だよ! あんた、この本を届けてくれないかい?」
「……私が、ですか?」
「そうさね。私はこれから友人と会わなくちゃ行けなくてね。それで友人を早く解放してやらなきゃ、友人の旦那がごねちゃうんだ」
「それは構いませんが……。彼女が何処へ行ったのかを、私は知らないのですよ」
男の紳士のような態度を前に、アンナは当然のように本を手渡した。
「あんた、土地勘はあるかい?」
アンナは男を手招きした。
不思議に思いつつ、男が身をかがめた。アンナはこれまで以上のしたり顔を作ると、男に耳打ちした。




