②-4 朱色は馳せる
花の植木鉢をカートに乗せ、マリアは教会や孤児院のある通りを目指して歩いていた。
診療所の前を通ったが、新任の医師の姿は今日も見えない。
イケメンだという噂だけが先行している医師を思い浮かべ、マリアは小さく肩をすくめた。
フレスコ画の広がる旧市街地を抜ける。そこから大通りに入ると、いつもの教会が見えてきた。こじんまりとした教会は、変わった神父が聖書にはない話を、面白おかしく説教をするためか巡礼者は少ない。厳格な信徒は訪れないという変わった教会だ。
その教会の横が孤児院であるが、玄関にはシャトー婦人が子供たちと椅子に座っておしゃべりをしていた。
「マリアおねえちゃんだ」
「こんにちは」
「マリアさん、こんにちは」
「シャトー婦人、こんにちは。お話していた植木鉢なんですけど」
売れ残った植木鉢を指さすと、シャトー婦人は手を合わせながら喜びの笑みを浮かべた。嬉しい反応は、今のマリアにとって何よりの喜びだ。
「まあ! ありがとう。本当に、こんな見事な鉢植えもらってもいいの?」
「もちろん」
「ああ~。ミランダさん、明日からドイツ行きなの~?」
「今頃、家で旦那さんが大泣きしてる頃ね」
「違いないでしょうねえ~」
笑顔を絶やさないシャトー婦人は煮込み料理が得意であり、オリジナルのほろほろ肉料理が絶品だという。共に孤児院で働くティニアも、シャトー婦人への信頼は厚いようだ。
「ところで、ティニアさんは?」
「え?」
「……え?」
シャトー婦人は豆鉄砲を食らったかのような見事な表情で固まると、顔を青ざめてしまった。
嫌な予感がした。
「ティニアお姉ちゃんなら、三十分くらい前にペラルゴに行ったよ」
「嘘でしょ⁉」
「本当だよ。早く終わったから、こっちから迎えに行ってやろう。うひひって言ってたよ」
「もう、あの人は本当に状況わかってるの? 不審者がいるのに、なんでそうなのよ。いつも!」
マリアは朱色の髪を靡かせながら、旧市街を走り抜けていった。恐らくサプライズでマリアを出し抜こうと計画したのだろう。ティニアはそういう子供の悪戯をしたがる。
「あ~、もう! 診療所の前じゃなくて、裏から行くんだった……! ばかばか、ティニアってそういう所あるんだもの!」
昔を思い出すほどの全力疾走であった。焦り、後悔がマリアを支配していく。
空は澄み切っており、朝から降り続いていた雨が嘘のようだ。当然マリアは空など見る余裕もなく、ペラルゴのある広場まで一気に駆け抜けた。
「マリアさん!」
ふいに呼び止められ、振り返るとそこには見覚えのある老夫婦が立っていた。あまりいい表情をしていない。乱れた呼吸を整えながら、マリアは老夫婦へ近づいた。心配そうに顔を伺いながら、老婆は話した。
「少し前にティニアさんを見かけたの。でも彼女、珍しく慌てて走り抜けていくじゃない。そしたらマリアさんが走ってるから、何かあったのかと思って……」
嫌でも思い出したくない、どす黒く重たい泥沼が押し寄せてくる。
また失うというのか、家族を。
「どこへいったの?」
「あなたたちの家の方、エーニンガー通りの方よ」
老婆の言い終わらぬうちに、全てを忘れるほどの焦りが感覚を支配した。やがてそれは心音となり、激しく胸を殴打した。
石畳には水たまりが出来ていた。マリアは気に留めることもなく、水しぶきをあげながら家へと向かった。




