②-1 雨音の静けさ
1950年四月。
永世中立国スイスのシャフハウゼンにあるシュタイン・アム・ラインはその名の通り、ライン川に面している。
気温は十度ほどあるが、昨夜から降り続く雨が石畳を濡らし、肌寒さで大地を満たした。人の気配はあるはずなのに、足音だけが吸い込まれていく。
この町は静か過ぎる、マリアはそう感じている。
朱色の髪を持つ女性マリアは、勤務先である花屋ペラルゴで働いている。
フローリスト見習いの彼女は、早めに起きると足早に出勤した。
この日は同居人のティニアと並び、朝の散歩も兼ねて、傘を差しながら町を抜けていく。
二人分の足並みが、濡れた石畳に揃って落ちていく。
ティニアはいつもより少しだけ、マリアの事を気にするように歩いている。
シュタイン・アム・ラインの町は、いわゆる観光名所である。旧市街地の至る所に描かれたフレスコ画が有名だ。
ドイツとの国境に近いこの町は、大戦中に誤爆による空爆を受けた。
今ではその痕跡はほとんど残っていない。
それでも爆音だけは、人々の記憶の中で静かに残り続けている。
「朝、起きるの大変なんじゃない?」
ティニアが傘の中から覗き込んだ。彼女の金髪の毛先は、雨粒を避けて揺れた。
マリアはティニアが雨に濡れないように、傘を少し傾けた。
「大丈夫よ。寝るのを早くすればいいだけだし」
マリアはそう答えながら、歩調が出遅れないように気を配った。
早朝の礼拝がティニアの日課だと知ったのは、つい最近のことだ。
彼女が一体何を祈っているのか。気になるものの、尋ねることはしなかった。ティニアの事だ、きっと「祈っているわけではない」と笑うだろう。そう心に思い、マリアは口元が緩んだ。
マリア達の視界に、規則正しく並ぶブドウ畑が入ってくる。季節が違えば、ブドウの房を見ることが出来ただろう。芽吹いたばかりの若葉を、雨粒が弾いていく。
「ブドウ畑って、いつくらいから忙しくするのかな」
マリアの言葉は、独り言に近かった。再び傘から顔を出すように、ティニアはマリアを見つめた。
「どうしたの急に」
「町へ来たとき、ティニアが案内してくれたじゃない。ブドウ畑が多いんだよ~って。また美味しいワインが飲みたいなあと思って」
「あはは。ほんとにお酒好きだねえ」
ティニアとワインが飲めたらいいのに。マリアはそう思った。
平和に過ごしていても、片時も忘れたことはない。
敵の正体も、眼帯の男も、アルビノの少年の行方も……。
義理の姉であるレイスのことも。何一つ情報はなかった。
それでも、朝は訪れ、雨は降り続く。
今日という日は、毎日同じように過ぎていく――。




