①-2 シュタイン・アム・ライン
マリアが暮らすシュタイン・アム・ラインという町は、スイス北部、ドイツ国境に近いシャフハウゼン州にある、観光の町だ。
その名の通り、ライン川に面している。旧市街の木製の家々には、フレスコ画が描かれており、至る所に草花が満ち溢れる。もうすぐ春といえど町は寒く、冬のようである。
今年で1950年。第二次世界大戦から、五年が経過した。
フレスコ画が美しいシュタイン・アム・ラインの旧市街を抜け、マリアは花屋へ急いだ。店先には、既に花が並べられていた。
「ミランダさん! 遅くなりました、ごめんなさい!」
マリアの声に気づく、エプロン姿の女性が店内から顔を出した。ミランダ・ミュラーは焦茶色の髪にウェーブがかったくせ毛の女性だ。手作りのワイシャツにタイトスカートというシンプルでカッコイイ服装は、マリアにとって憧れであった。
マリアが働いているのはこの町では小さな花屋、ぺラルゴという。コウノトリが由来の店名だ。
花は色や種類によって容器に入れられ、水を注がれたまま、ばら売りから束売りされる。
そこまでの工程が最も重労働であり繊細なことを、ミランダから教わるまで、マリアは知らなかった。それぞれ植物ごとに茎の切り方から異なる。
「おはよう、マリア。どうしたの、具合が悪いの?」
「本当にただの寝坊なの。はあ、早めに着きたかったのに」
マリアは置かれていたハンガーにかかったエプロンを付けると、ミランダに続いて鉢植えの移動を始めた。
「夕べも遅くまで勉強していたのではない? 仕入れもそこまで多くはなかったし、水揚げも大体は終わっているから、大丈夫なら店内花の水替えをお願いしてもいい?」
「もちろん!」
「ありがとう、助かりますよ」
ミランダは嬉しそうに微笑みながら、マリアの水替えを見つめた。マリアの手際には、まだぎこちなさが残っている。マリアにとって、フローリストの仕事は楽しいばかりではないものの、今では生きがいとなっている。
「ただハサミで茎を切るだけではないのよね。なるべく水中深くで水圧を与えて切る場合が最も多いし」
脳内でシミュレートを始めたマリアは、ぶつぶつと呟きながら水を替えていった。冷たくも新鮮な水を浴び、花たちが喜んでいるような気がしてくる。
「あら、最近は上手くなってきたじゃない。マリアは向上心が高いのね」
「そんな事ないわ。水不足の花や元気のない花は、切ってすぐに熱湯で数秒つけることで、細菌を減少させられるけど、私がやると逆に弱らせてる感じがするし」
マリアは水を替えながら、深いため息をついた。冷たい水が身に染みて感じられた。暖かくなったとはいえ、まだ肌寒い気候である。
「すぐに冷やせてないのかもしれないから、そこは経験を積むしかないのではないかしら。すぐにそんな上達するわけじゃないわ。私だってそうよ」
水分がより行き渡るように手を尽くす。切り方ひとつで、花の寿命が大きく左右される。堅い枝は叩いたり割ったりする必要があり、繊維をほぐさなければならない。マリアはそれが一番不得意だ。
「うーん、やっぱり苦手。すぐに水が変色してしまうわ」
「切り方だって、経験が必要なのよ。マリアは全植物への水揚げ分類を把握しきれてないでしょう」
「それはそうだけど。ああ、だから躊躇があるのか」
「そりゃそうよ。特に花の種類が増えだした近年では、私だって困惑しているし、若干で変わるものもあるじゃない」
ミランダは、元気のなくなった花の処分を自ら行う――いつも辛そうな表情を浮かべて。ここまでがフローリストの重要な仕事なのだと、彼女は言う。
だからこそ、少しでも美しく花を保たせ、売りたいのだ。
スイスは物価が高いというが、当然ながら花も例外ではなく、決して安くはない。しかし至る所の露店で様々な花が売られ、束で買われていく。
花がなければ生活が成り立たない。それが日常に戻りつつある証拠でもある。
フローリストは華やかだが、客側からは想像の出来ないほどの重労働である。
冬だろうと関係はなく、水仕事でもある。夏は植物も弱りやすく、水替えも温度から湿度まで気を配る必要がある。
ペラルゴは店舗があるため、高品質が保てるが、それでも限界がある。
水替えの作業を終え、開店によって予約以外の花束の依頼が舞い込んでくる。忙しい一日の始まりだ。




