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視える令嬢は王太子の愛をまだ知らない  作者: itoma
第1章:池の霊と青いバラ
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07:突然変異



「このあたりだと思うんだけど……」


アカデミーから歩いて二十分ほど。目的地に到着し、レナルドはキョロキョロと辺りを見渡す。

"エイマーズバラ園"という看板が付いたアーチをくぐると、視界いっぱいにバラの花が広がった。


「赤いバラばかりだね」


レナルドは花壇を見渡しながら呟く。

確かに立派なバラ園だったが、咲いているのは赤いバラのみ。青いバラは見当たらない。


「こんにちは」


入り口付近で立ち止まる二人に中年の女性が声をかける。帽子にエプロン、そして手袋を装着し、手に持つカゴの中には赤いバラが入っている。


「デートかしら?」

「いえ」


にこにこした女性の問いかけをフィオナは淡々と否定した。


「青いバラを見に来ました」

「!」


女性の手がぴたりと止まる。その反応に、レナルドとフィオナは思わず目を合わせた。


「ああ……ごめんなさいね、最近は見に来る人もいないものだから……」

「もしかして、もうないんですか?」

「ありますよ。ただ……そこまで青いわけじゃないから期待を裏切ってしまうかもしれないわ」

「大丈夫です」

「じゃあご案内しますね」


苦笑した女性が向かったのは中央にある広い歩道ではなく、脇にあった小道だった。手入れの行き届いた庭からはどんどん離れていく。


「うちは主に紅茶に使うバラを栽培しているんです」

「紅茶にバラを入れるんですか?」

「ええ、普通のローズヒップティーだけど……」


フィオナが純粋な疑問を口にすると、女性は不思議そうに首を傾げた。


「僕たちルゼオン帝国から留学で来ているんです」

「まあ、そうなのね。ロイフォードではバラの紅茶は一般的なものなんですよ」


レナルドの説明を聞いて女性は納得したようだ。

ルゼオン帝国にはバラを使った紅茶はあまり流通していないため、フィオナが知らないのも無理はなかった。


「うちの息子もイメンスアカデミーを卒業して……あ、ちょうどあそこにいるわ。クリス!」


女性が声をかけた先には、柵の近くにしゃがんで作業をしている人影があった。一つにまとめられた長髪は女性と同じ灰色だ。

立ち上がると柵に届きそうなほど背が高く、スラっとした体型が遠目でもよくわかった。


「こちらイメンスアカデミーの学生さん。青いバラが見たいんだって」

「そうなんだ」

「私は戻るから、よろしくね」

「うん。……わざわざ来てくれてありがとう」


クリスと呼ばれた男性は物腰柔らかな笑みを浮かべる。楕円形の眼鏡を乗せた鼻にはそばかすがあり、素朴で優しげな印象を受けた。


「この一帯がそうだけど……」


クリスは目線を下に向ける。先ほどまで彼が作業をしていた場所だ。そこには確かに青いバラが咲いていた。


「想像と違うでしょ」


苦笑して頬を掻くクリス。


「紫色に近いですね」


レナルドの言う通り、青というよりは紫と表現した方がしっくりくる。何も知らずに見て何色かと聞かれたら、おそらくほとんどの人が「紫」と答えるだろう。


「でも、綺麗な色だと思います」


フィオナは花壇の前にしゃがみ、まじまじとバラを見つめながら言う。

赤いバラしか見たことのないフィオナにとっては新鮮に映ったみたいだ。


「……嬉しいなぁ、ありがとう」


その反応を見てクリスが嬉しそうに笑う。


「よかったら一輪持ってくかい?」

「いいんですか?」

「もちろん。王室の青いバラみたいに価値があるわけじゃないんだけどね」

「じゃあ……お願いします」


フィオナが頷くと、クリスは隣にしゃがんでウエストポーチから園芸用のハサミを取り出した。そして慣れた手つきでバラを選び、ハサミを入れていく。


「紙に巻いた方がいいな……えーと……」

「そのままで大丈夫です」

「棘があるから危ないよ」


フィオナがそのまま受け取ろうと手を差し出すが、クリスは首を振る。


「じゃあ僕のハンカチを使って」


その様子を見ていたレナルドがフィオナの掌に白いハンカチを乗せる。肌触りの良い、高価そうなハンカチだ。


「いいの?」

「うん」


フィオナが遠慮がちにレナルドを見上げると、レナルドは笑顔で頷く。


「ありがとう、レナルド」

「どういたしまして」


ふたりのやり取りをクリスは微笑ましく見守っていた。


「どうぞ」

「ありがとうございま……」

「ひえっ!」


バラがフィオナの手に渡ったと同時に葉っぱの裏から緑色のイモ虫が顔を出す。

クリスは思わず後ずさり、足がもつれて尻餅をついてしまった


「だ、大丈夫、毒はないやつだからね……! 今取って……」

「大丈夫です」


慌てふためくクリスに対して、フィオナは至って落ち着いている。

顔色ひとつ変えず、優しくイモ虫を摘んで花壇へと戻した。


「は、はは……強いんだね……」


クリスはズレた眼鏡を押し上げ、バツが悪そうに立ち上がる。


「水に挿せば三日くらいはもつと思うよ」

「はい。大事にします」


フィオナはバラの茎をハンカチで優しく包み、クリスに頭を下げた。



***



「今日はありがとう。ハンカチ、洗って返すね」

「うん。気をつけてね」


アカデミーに戻り、北門から構内に入ったフィオナとレナルドは別れ、それぞれ寮のある方へと向かっていく。

フィオナの手にはハンカチに包まれた青いバラと一輪挿しの小さな花瓶。バラはクリスにもらったもので、花瓶は帰り道で買ったものだ。


『ねえ』

「!」


池の前を通るフィオナを霊が呼び止める。

振り返ると、霊は眉間に皺を寄せてフィオナの手元を見ていた。


『何できみがそれを持ってんの』

「……青いバラのこと? バラ園でもらった」

『……』


フィオナの返答に、霊はさらに眉間の皺を深くする。バラに向ける眼光は睨みつけているかのように鋭い。


「花瓶に水入れていい?」

『……勝手にしなよ』


フィオナは池の前にしゃがみ、小さな花瓶に水を汲む。そしてそこにバラを挿すと満足げに見つめた。


『そこまで青くないでしょ』

「うん。でも、綺麗だと思う」

『……』


霊はフィオナの隣に立ち、視線を池に落とす。

水面に映っているのはフィオナとバラの姿だけだった。


『青いバラは……色素の薄いバラ同士を交配して作るんだけど、完全に赤い色素を抜くことはできないし、そもそもバラは青い色素を持たないんだ』

「へえ……」

『だから青いバラを作るのは不可能だって言われてきた』


フィオナはその言葉を聞き、改めてバラを見つめる。


「でも、これは青い色素もありそう」


確かに赤みは抜けきっていないが、しっかりと青みを感じられる色合いだった。


『うん。突然変異だよ』

「?」

『自然界ではたまにあるんだ。急に暑さに強い個体ができたり、形が違う個体ができたり……人間でも稀にいるでしょ、茶髪の両親から白髪の子供が産まれたりさ』

「……」


霊は無意識に、くすんだ藍色の襟足をくるくると指に絡める。


『運良く突然変異が起きた……ただそれだけのことだったんだ……』


そしてもう一度、花瓶の中の青いバラに目を向ける。

先ほどと同じように顔を歪めるが、その中には悲しみも入り混じっているように見えた。



***



寮の部屋に戻ったフィオナは、青いバラの入った花瓶を机の上に置いた。夕陽の赤い光を浴びても、その青色は揺らぐことなく浮かび上がっている。


「突然変異……」


制服のボタンを外しながら、小さく呟く。


「私も……そうなのかな……」


そして制服をハンガーに掛け、部屋着を羽織る。


「あ」


ふと、ベッドの上にぽつんと置かれた辞書が目に留まる。

バラ園に行く前、急いで部屋を出る時に置いた、ファーノンからもらった辞書だ。

フィオナが辞書を持ち上げると、一枚の紙が床に落ちた。


「……上手……」


拾い上げ、まず目に入ったのはバラのイラストだった。しなやかな花びらや葉脈まで、本物そっくりに精巧に描かれている。


「研究報告書……?」


タイトルを読み上げる。

余白には細かな文字がびっしりと並び、専門用語ばかりで内容はほとんど分からない。

それでも「青い色素」「赤い色素」といった聞き覚えのある単語を見つけた。

どうやら青いバラの研究報告書のようだ。


「ファーノン教授のかな……」


辞書に挟まっていたということは、ファーノンのものである可能性が高い。

紙を裏返すと、裏面は白紙になっていたが、右下の隅に小さく文字が書かれていた。


「コーディ……?」


フィオナは首を傾げながら、紙を机に置いた。



***



土曜日の朝。

寮を出て、北門に向かう途中でフィオナは立ち止まり、神妙な面持ちで手元を見つめていた。


(どうしよう……)


フィオナが持っていたのは地図だった。ファーノンに描いてもらったものである。

フィオナはそれを離したり傾けたりして見るが、それでも理解できないようだ。


『ファーノン教授は絵が壊滅的に下手だからね』

「!」


背後から声が聞こえて振り返ると、藍色の髪の霊が立っていた。


『本人は下手くそな自覚ないんだよ』


霊はファーノンが描いた地図に呆れた笑みを向けながら言う。

フィオナが地図を理解できないのも無理はない。

何も知らずに見たら子どもの落書きかと思うほど、線はガタガタだし目的地を示す建物のイラストは歪んでいる。


「字は綺麗なのに、絵は下手なんだ……」

『そーそー』


フィオナが呟くと、霊は頷きながら口を開けて笑った。


「あなたは王立図書館の場所わかる?」

『わかるけど、案内はしてあげられない』


霊は申し訳なさそうに首を横に振る。


『霊っていうのは未練のある場所か人に縛られるんだ。僕は基本的に池から離れられない』

「そっか……」


言われてみれば確かに霊と会うのはいつもこの池の周辺だった。


『案内なら彼に頼んだら?』

「!」


思い悩むフィオナに霊が囁く。顔を上げると、フィオナの方に向かって歩いてくるルイスがいた。


「何してんの?」

「えっと……」


つい先ほどまで霊と会話していたせいか、フィオナの態度は少しぎこちない。

口ごもるフィオナを不思議そうに一瞥し、ルイスはフィオナの持つ地図を覗き込む。


「何これ。……抽象画?」


やはり初見で地図だとはわからなかったようだ。


「地図なんだけど……わからなくて」

「これ見て行くのは無理だな」


ルイスはきっぱりと言う。


「王立図書館に行きたいの?」


かろうじて、王立図書館が目的地であることは読み取れたようだ。


「うん」

「あそこは……んー……俺も一緒に行くよ」

「!」


ルイスの提案にフィオナはぱっちりと目を開く。


「いいの?」

「口で説明するの難しいし……今日は暇だし」


フィオナがパチパチと瞬きをする度に、瞳の輝きが増していく。

表情を大きく動かしているわけではないのに、喜びの感情が滲み出ていた。


「うれしい。ありがとう」

「……あー……行こうぜ」


フィオナがふわりと微笑むと、ルイスはくるりと背中を向けた。その耳はほんのり赤く色づいていた。




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