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視える令嬢は王太子の愛をまだ知らない  作者: itoma
第1章:池の霊と青いバラ
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06:池の霊



「フィオナさんってマジ天使だよな」

「な。元平民のルイスと友達になるなんて……きっと可哀想な奴がほっとけないんだよ」

「俺はもう見てるだけで幸せだ……」


頬を染め、鼻の下を伸ばす男子生徒が二人。

彼らの目線の先にはフィオナの姿があった。


「……」


そんな男子たちを、教室の一角に集まった女子たちが冷めた目で見ている。


「男子って本当に浅はかだわ」

「ただでさえ女子は少ないし、留学生の珍しさに騙されてるだけよ」


アカデミーに通う女生徒は決して多くない。一学年にはフィオナを含めて五名のみで、全体では十パーセントにも満たない。


「本当に綺麗で、気品があるのはクレアだと思う」

「そうよね! 一番魅力的なのはクレアだよ!」


女子たちは話しながらも、真ん中に立つ女子の顔色をしきりに確認していた。


「ありがとう、ふたりとも」


にっこりと整った笑顔を浮かべる彼女の名前はクレア。今朝、フィオナにゴミ捨てを押し付けた主犯格である。


「ねえ……」


クレアがピンク色の瞳をスッと細める。


「フィオナさんって、純粋だから……あまり勘違いさせたら可哀想よね?」



***



「フィオナさん」

「?」


昼休み。

サンドイッチを手に食堂から出てきたフィオナに、クレアが声をかける。


「私の見間違いだったらいいんだけど……フィオナさんの辞書が池に落ちていたと思うの」


クレアは口元に指を添え、眉を下げてそう言った。


「私が案内してあげる」

「早くしないと沈んじゃうかも!」


するとクレアの両脇にいた女子二人が前に出て、フィオナを外へと誘導する。


「……ありがとう」


フィオナは大人しく従い、ついていく。


「……ふふ」


フィオナが完全に視界から消えた瞬間、クレアの笑みはひどく冷たいものへと変わった。



***



「ほら、あそこよ」


池の前までたどり着くと、女子の一人が水面を指差した。確かにそこには紙束のような物が浮かんでいる。

ただ、それが辞書なのかどうかは遠目ではわからない。


「……よく私のだってわかったね」

「ま、まあね〜」


フィオナが言うと、女子たちは気まずそうに視線を逸らした。


「それよりほら、取りに行った方がいいんじゃない?」

(私を池に落とすつもりかな……)


女子たちは、露骨にフィオナを水辺へと追いやるように立ち位置を変えてきた。


「そんな深くないから大丈夫よ」

「怖いなら私たちが支えてあげるわ」

(我慢してやり過ごすつもりだったけど……どうしよう)


フィオナは水面を見る。底は見えないし、水質も濁っている。

肌寒い初秋に、この中に入りたいと思う人はいないだろう。

それにこの池では過去に水難事故があったと聞いている。


『ほんとクズばっか』

「!」


フィオナが動けずにいると、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。

そして次の瞬間、池の周りの木々が風もないのにざわざわと揺れる。


「ね、ねえなんかヤバくない……?」

「トマスたち、確かここでカラスに襲われたって……」


異様な雰囲気に、女子二人は血の気の引いた顔を見合わせる。


『カァカァ!』

「「キャー!!」」


カラスの声が響いた瞬間、女子たちは一目散に走っていった。

フィオナは背後を振り返る。そこにいたのは、今朝見かけた藍色の髪の霊だった。


『逃がすわけないじゃん』

「やめて。何もしないで」


手を構える霊に、フィオナが小声で言う。


『!?』


霊は目を丸くして動きを止める。

カラスたちは木々に留まり、その隙に女子たちは校舎内へ逃げ切ることができた。


『僕のことが視えるの……?』

「うん」

『声まで……』


しっかりと目が合い、さらに返答までするフィオナに口を開けて唖然とする霊。しかしすぐに口をキュっと閉め、眉を吊り上げた。


『言っとくけど、きみの辞書を池に捨てたのはあいつらだよ』

「……うん」


霊が真相を伝えるが、フィオナは気づいていたのか、特に感情を乱すことはなかった。


『せっかく僕がこらしめてやろうと思ったのに』

「……あなたがカラスを操ったの?」

『そうだよ』


フィオナが尋ねると、霊はニヤリと笑う。その笑みはどこか嗜虐的で、恨みのような感情も感じ取れた。


『きみはムカつかないの?』


霊は池の水面を一瞥し、フィオナに向き直る。

フィオナももう一度水面に浮かぶ紙を目に映したが、表情は変わらなかった。


「別に……拾えば済むから」

『……』


あまりにも反応が薄いフィオナに、霊は不服そうに眉を寄せた。

霊の表情の変化には気づかず、フィオナは池の淵に膝をつき手を伸ばす。


(頑張れば届きそう……)

「何をしてるんだ!!」

「!」


大きな声が響く。

指先が触れた瞬間、紙はふわりと逃げるように遠ざかってしまった。それを見てフィオナは体勢を直す。


「池から離れなさい! 早く!」


血相を変えて走ってきたのはファーノンだった。

その語気から緊迫感が伝わってきて、フィオナは言われた通り池から距離をとる。


「フィオナさん……」


ファーノンはフィオナの前まで来ると、肩で呼吸を整えながら鋭い視線を向けた。


「この池で水難事故があったと説明しましたよね」

「ごめんなさい。でも……辞書を落としてしまって」


フィオナは素直に謝る。

しかしクラスメイトに"落とされた"とは言わなかった。


「何の辞書ですか?」

「王国語辞書です」

「それなら私のを差し上げます」

「いいんですか?」

「もちろん」

「ありがとうございます」


ぺこりと頭を下げるフィオナを、ファーノンは切なそうに見つめる。


「いいですか? 命より大事なものなんてないんです。たとえ落ちたのが全財産だとしても、取りに行ってはいけません」


そして頭を上げたフィオナとしっかり目を合わせ、言い聞かせた。


「返事は?」

「はい」


少し大袈裟にも思えたが、ファーノンの圧におされてフィオナは素直に頷く以外の選択肢を持てなかった。

フィオナの返事に満足したのか、ファーノンはため息をつき、乱れた七三の前髪を元に戻す。


「他に困ってることはありますか?」


聞かれて、フィオナは少し首を傾げて考える。


「王立図書館の場所を教えてほしいです」

「四番街の……いや、地図を書いておきます。辞書も用意しておきますので、放課後私の研究室に来てください」

「はい。ありがとうございます」


去っていくファーノンを見送ったあと、フィオナは池の周囲を見渡す。


(いない……)


霊の姿はどこにも見当たらなかった。



***



「フィオナ」

「?」


放課後、帰り支度をするフィオナにレナルドが声をかけた。


「この後ヒマ? 一緒に行きたい場所があるんだ」


にこにこと話すレナルドに対して、フィオナは申し訳なさそうに首を横に振る。


「ファーノン教授の研究室に行かなきゃ」

「何で……」

「レナルドさん、私で良ければお付き合いしましょうか?」


二人の会話に、クレアが突然割って入った。

クレアはレナルドの視界を遮るように、すっとフィオナの前へ割り込む。


「ファーノン教授は時間にうるさいから、早く行った方がいいと思うわフィオナさん」

「……うん」


フィオナは軽く会釈し教室を後にした。

レナルドは控えめに手を振り、彼女を見送る。


「どこに行きたいの? アカデミーの中でも外でもよく知ってるから、きっとお力になれるわ」


クレアはもう一歩前に出てレナルドとの距離を詰めた。

甘い香りがふわりと漂い、華奢な仕草も相まって彼女の“女性らしさ”が強調される。


「クレアさんの貴重な時間を頂くわけにはいかないよ」

「そんなことありませんわ」


レナルドは遠回しに断ったつもりだったが、クレアは引かない。


「私、レナルドさんともっと仲良くなりたいと思ってたの」

「……」

(優しい方だもの。きっと押せば断れないはず)


しおらしい表情を見せながらも、クレアの内心では計算高い考えが渦巻いていた。

レナルドは眉を下げて苦笑する。その顔を見てクレアの紅い唇が弧を描いた。


「……ごめんね。フィオナじゃなきゃ意味がないんだ」


しかしクレアの思惑とは裏腹にレナルドは一歩下がり距離をとる。

柔らかな口調ではあるが、その言葉にははっきりと拒絶の意思が込められていた。


「いえ、こちらこそ困らせてしまってごめんなさい」

「そんなことないよ。じゃあまた明日」

「ええ」


クレアは笑顔を崩さなかったが、奥歯を強く噛んでいるのか、口元が少しだけ歪んでいた。


(どうしてあの子ばかり……)



***



「失礼します……」


ファーノンの研究室の扉を開けた瞬間、フィオナは固まった。


「散らかっていてすみません」

「いえ……」


お世辞にも「そんなことないです」とは言えず、フィオナは床に散らばった書類やら衣類やらを踏まないように慎重に歩く。


「……もっと整頓してると思ってました」


フィオナは素直に感想を述べる。

ファーノンの研究室はまるで空き巣にでも入られたかのように、物が散乱していたのだ。

髪型や身だしなみがきっちりしている彼からは想像できない有様だった。


「この方が集中できるんですよ。それに、どこに何があるかは把握していますので」


ファーノンはそう言うと、ぐちゃぐちゃの本棚から一冊の本を取り出し、フィオナに手渡す。


「どうぞ。最新版ではありませんが、まあ問題ないでしょう」

「ありがとうございます」


フィオナが受け取ったのは王国語辞書だった。

表紙に汚れがあったりページの角が折れていたり、使用感はあるもののまだまだ使える状態だ。


「帝国語と王国語はほとんど同じですが、たまに発音や意味の違う単語があるでしょう」

「はい」

「何か気になる言葉はありましたか?」


聞かれて、フィオナは小さく「あ」と声を漏らす。

つい最近、意味のわからない単語に出会ったばかりだった。


「『パシリ』とか、『えげつねー』とか……」

「……どこでそんな言葉を覚えたんですか」


ルイスが使っていた言葉を伝えると、ファーノンはあからさまに眉を顰めた。


「それは行儀の良い言葉ではないので覚えなくて結構です」

「?」


結局ファーノンはその意味を教えてくれなかった。


「図書館への地図はこの中に入っています。治安が良くないので必ず誰かと同行するように」


フィオナはファーノンから茶色い封筒を受け取る。ご丁寧にきっちり封までしてある。


「ありがとうございます」

「……フィオナさん」


頭を下げて研究室を出ようとするフィオナを、ファーノンが呼び止める。


「何か困ったことがあったら、すぐに大人を頼るんですよ」

「? はい」


ファーノンの言葉は教育者として自然なもののように思えたが、表情はどこか寂しげに見えた。


「フィオナ!」


フィオナが廊下に出ると、研究室の前で待っていたらしいレナルドが駆け寄る。


「用事終わった?」

「うん」

「アカデミーの近くに青いバラを育ててる農園があるんだって」

「!」

「ただ、初期のやつだからコーディ・ローズほど青くはないみたいなんだけど……」

「うん、行きたい」


青いバラと聞いてフィオナは食い気味に頷いた。

ぱっちりと開いた目は輝いているようで、わくわくと楽しみにしている様子が伝わってくる。


「荷物置いてくる」

「あ……フィオナ」


レナルドは一瞬だけ周囲を確認し、フィオナを呼び止めた。


「念のため、寮まで送るよ」

「? ありがとう」



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