03:"コーディ・ローズ"
「車輪の軸が折れてしまったそうです。首都には入っているので、今日はこのへんで宿をとりましょう」
「はい」
ハドリーが馬車の外から説明した。
幸い国境は越えていて、ここはロイフォード王国首都のネオローザ。アカデミーは首都の外れにあるため、予定通り明日には到着できるだろう。
「フィオナ、気をつけて」
「大丈夫だよ」
レナルドが先に降りて手を差し出す。しかしフィオナは、ハドリーの時と同じようにその手を取らなかった。
エスコートを断られたレナルドは苦笑して手を引っ込める。
「……いいにおい」
馬車から降りた瞬間、甘く心地よい香りがフィオナの鼻腔に広がった。
「ロイフォードはバラが有名なんだよ」
「へえ……」
「品種改良もさかんで、花屋にはいろんな色が並んでますよ。あ、ちょうどあそこにありますね」
フィオナはハドリーが指を差した花屋に視線を向ける。
店先を埋め尽くすバラは、確かに赤だけではなくオレンジやピンク、緑など様々な色があった。
「さすがに青いバラはここには置いてませんね」
「そうですね。青いバラは王室のバラ園でのみ生産されてるので、街には流通していません」
「青いバラ……見たことない」
「僕もないよ。"コーディ・ローズ"っていって、一本百万リルするんだって」
フィオナが知らないのも無理はない。青いバラは、つい最近になって生まれた新種なのだ。
「青いバラは五年ほど前にアルフレッド・ファーノンが開発に成功しました。彼はイメンスアカデミーの教授なんですよ」
ハドリーは卒業生として得意げに説明する。それ程、青いバラの開発というのは世界的な偉業だった。
「さて……僕は修理屋と宿を探してくるので、おふたりは観光してきたらどうですか?」
「いいんですか!?」
「もちろん。ですが、五番街からは出ないでくださいね」
「やった! フィオナ行こう」
「うん」
レナルドは浮き足立った足取りで、フィオナを先導した。
「見て、バラのアイスクリームだって! 食べようよ!」
「私は……」
「僕買ってくるから、フィオナはそこに座って待ってて」
自分の分はいらないとフィオナが伝える前に、レナルドは走って行ってしまった。
「……」
フィオナは仕方なく言われた通りにベンチに座る。そしてバラの香りがする空気を深く吸い込み、ネオローザの街並みを見渡した。
木造の建物が並び、1階にはカフェや宝石店など様々な店が軒を連ねている。貴族も平民も観光客も混ざり合い、活気がありつつも落ち着いた雰囲気を纏った街だった。
(青いバラは……どんな色なんだろう)
フィオナがそんなことを考えていると、花屋の隣の小道からひとりの青年が出てきた。
「クソッ、見失った……」
青年は周囲を見渡し、ぼそりと呟く。そして正面のベンチに座るフィオナと目が合った、その瞬間――
「!」
強めの風が吹き、青年の長めの前髪をかき分ける。垣間見えた瞳にフィオナは目を奪われた。
(青……)
"海みたいに深くて吸い込まれそうな瞳"
母であるエディットがそう形容した瞳と全く同じ瞳が、フィオナを見据えていたのだ。
さらに髪は漆黒。青年の姿は、母の傍にいた霊と瓜二つだった。
「……」
「!?」
つう、とフィオナの右頬に涙が伝う。
その様子に青年はぎょっと目を丸くして、今来た小道を引き返して行ってしまった。
「待っ……!」
「フィオナ!」
追いかけようと立ち上がったフィオナの腕をレナルドが掴む。
「何か視えたの?」
「……わからない」
レナルドに青年の姿は確認できていない。彼が現れる前に去ったからなのか、それともそもそも“視えない存在”だったのか。今のところ判別できない。
「どっちにしても、知らない土地で走り回るのは危ないよ」
「うん……」
「な、泣いたの? 大丈夫?」
フィオナの頬に涙の痕を見つけて、レナルドはアワアワとハンカチを取り出す。
「ゴミが入っただけ。大丈夫だよ」
フィオナはハンカチがあてられる前に、自分の手の甲で頬を拭った。
「……そっか」
レナルドは一瞬だけ寂しそうな表情を見せたが、すぐにいつもの柔和な笑顔を浮かべた。
「はい」
左手に持つカップをフィオナに差し出す。カップの中には丸く盛り付けられたピンク色のアイスクリーム。
「売り切れで一つしか買えなかったんだ。スプーン二つ貰ってきたから半分こしよう」
「……ありがとう」
フィオナはスプーンを受け取り、一口分をすくって口に含む。
「本当にバラだ」
「本当だ!」
バラの甘美な香りが鼻に抜けたあと、ミルクの優しい味わいが口いっぱいに広がった。
この穏やかな甘さは、ネオローザの景色とともに、フィオナの記憶に深く刻まれていくのだった。
***
翌日。
「わあ……」
「広い!」
イメンスアカデミーに到着したフィオナとレナルドは、ハドリーのあとに続いて中央のレンガの道を歩く。
「誰だろう?」
「留学生じゃない?」
そんな二人に好奇の視線が集まる。
休日にも関わらず構内に多くの生徒が出歩いているのは、寮で生活する生徒が多いからである。
「ようこそお越しくださいました」
奥の校舎まで進むと、昇降口の前に一人の男性が姿勢よく立っていた。
きちっと七三に分けられた茶色の前髪と、一番上まできっちりと留められたシャツのボタンから、彼の几帳面で真面目な性格が垣間見える。
「ファーノンと申します。学長は学会出席につき今日は不在ですので、僭越ながら私が校内の案内をさせていただきます」
男性はそう説明しながら丁寧に頭を下げる。
(ファーノン教授……青いバラを作った人……?)
昨日耳にしたばかりの名前だと気づき、フィオナはまじまじとファーノンの顔を見つめた。
「ファーノン教授、お会いできて光栄です。卒業生のハドリー・ブレイアムと申します。経済学科だったので教授の講義を受けたことはないのですが、教授のいるアカデミーに在学していたことを誇りに思っています」
ハドリーは一歩踏み出し、手を差し出す。
「……ありがとうございます」
一瞬の躊躇のあと、ファーノンは握手に応じた。
「ですが私はそんな大層な人間ではありません。その研究はもう……私の手を離れていますので」
「そんなご謙遜を」
にこやかに返すハドリーとは対照的に、ファーノンの表情だけはどこか陰りを帯びていた。
「ここからは私にお任せください」
ファーノンは一度瞼を伏せ、気持ちを切り替えるように言った。
「ハドリーさん、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「いえいえ。アカデミー生活楽しんでくださいね」
フィオナとレナルドが頭を下げると、ハドリーは気さくに手を振って去って行った。
「レナルドさんとフィオナさんですね。では、中をご案内します」
ハドリーを見送ったあと、二人はファーノンに続いて校舎の中へ入っていく。
ところどころ白い塗装が剥がれている壁が百年の歴史を物語っているが、床や窓は綺麗に磨き上げられていた。
「一階は各学年の教室と食堂、それから医務室があります。一学年の教室は一番奥ですね」
校舎内も生徒の姿がまばらに見える。その多くは食堂に出入りしているようだ。
「いい匂い……」
「食堂は休日もやっていますので是非この後利用してみてください」
「はい!」
香ばしい匂いに目を輝かせるレナルドを見て、ファーノンは微笑を浮かべた。
「二階へ行きましょう」
階段を上ると、古い木材が小さくキシリと鳴った。開いた窓から流れ込む初秋のひんやりとした風が、フィオナのスカートをふわりと揺らす。
「二階は研究室や実験室です。一学年のうちはあまり利用することはないでしょう」
階段を上りきったところでファーノンが説明する。
「ちょっと失礼……」
「「!」」
すると突然、背後からくぐもった男性の声が聞こえた。
振り返った先には白衣を着た三十代くらいの男性が立っていた。深緑の長め髪は無造作にうねっていて、「伸ばしている」というより「放置されている」と表現した方がしっくりくる。首に巻いたマフラーは質が良さそうだが、十月にしては暑苦しく見えた。
「……」
男性は重たそうな瞼の下からフィオナをじいっと見つめる。
フィオナは戸惑いながらもその瞳を見つめ返したが、灰色がかった瞳からは何の感情も読み取れなかった。
「どんな宝石が好きですか?」
「え……」
思いがけない質問にフィオナは目を丸くする。
「ボルジャー教授。教育に関係のないことを生徒に聞くのはおやめください」
ファーノンがため息交じりに言った。
「人生とは常に学習です。この質問が彼女の人生で大きな意味を持つ可能性もあると思いませんかファーノン教授」
「……」
ボルジャーが淡々と言い返すと、ファーノンは口を噤んで眉をひそめる。
「面倒なので適当に答えてもらえますか」
腰を曲げ、小声でフィオナに耳打ちする。
「オパールです」
「……そうですか」
ボルジャーは特に反応もなくフィオナの横を通り抜けていった。
その猫背を呆然と見送るフィオナとレナルド。ファーノンは深くため息をつき、右のこめかみを押さえた。
「私が言うのもなんですが……教授というのは変わり者が多いです。ただ、あれ以上の変人はいませんのでご安心を」
「は、はい……」
「三階へ行きましょう」
三人は気を取り直して再び階段を上る。
「三階は図書室と音楽室、あとは学長室があります」
ファーノンの声に耳を傾けながら、フィオナは何気なく踊り場の窓から外を見下ろす。
正門から校舎にかけて手入れの行き届いた庭園が続いていたのとは対照的に、校舎裏は雑草が生い茂っていて素朴な雰囲気が漂っていた。
「……!」
ふと、視界の端に黒髪が見えてフィオナは足を止める。
「フィオナ?」
レナルドが振り返り、不思議そうにフィオナを呼ぶ。
「……何でもない」
もう一度窓の外を確認したが、人の姿は見えなかった。
***
「図書室も長期休暇以外は開放しています。とうぞ中へ」
図書室内にもちらほらと生徒の姿が見える。
室内は静寂に包まれていて、ページをめくる音や、ペン先が紙を擦る音がたまに聞こえた。
「そこまで広くはないので、調べ物なら王立図書館をお勧めします」
「王立図書館はもっと広いんですか?」
「はい。ここの五倍はあります」
五倍と聞いてフィオナはパチパチと瞬きをする。その反応にファーノンな小さく笑った。
「ちょっと見てまわってもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
フィオナは奥の窓まで歩き、視線を落とす。
目に飛び込んできたのは、間違いなく黒髪の後ろ姿だった。
「……!」
青年が空を仰いだ瞬間、視線がぶつかる。
深く、鮮明な青。その瞳の色にフィオナは釘付けになった。
「何かあった?」
「!」
レナルドの声に肩が跳ねる。フィオナは自分が息を止めていたことに気づき、慌てて目を逸らす。
「うん、池が……」
「あの池には近づかないように」
ちょうどそこにある池で誤魔化すと、ファーノンが食い気味に言ってきた。その語気は少し強めに感じられる。
「何でですか?」
「……過去に水難事故があったんです」
ファーノンはネクタイの結び目を触りながら答えた。
(霊……なのかな……)
フィオナはもう一度外を見下ろしたが、黒髪の青年はどこかに行ってしまっていた。
「忘れないうちに学生証を渡しておきます。失くさないように気をつけてください」
「はい」
「ありがとうございます」
ファーノンから受け取った学生証を、フィオナは大切に握りしめた。




